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灰笛続き 12月29日 1つ 1382 食べられそうになるのも悪い気はしない

 依然として命の危険にされされ続けていた。

 あと少し、ほんの僅か、一ミリよりも短い刻印によって俺の肉体はむしゃむしゃと、もぐもぐと、ばくばく、ごっくんと、恐ろしき人喰い怪物の無限の胃袋に収められてしまう。


 実際のところかなりヤバかった。シャッター街を通り抜けた先、唐突に思われた空間の解放感。

 本来であるのならば正しく機能している効果のはずだった。

 建物が建物としての、もともとの姿を辛うじて残している頃。

 廃墟として過去に投棄されるより以前、このホールは訪れる客人たちに空間の広々とした効能を存分にもたらしたに違いない。


 いや、実際のところなんて分かりやしないのだが。

 ともあれ、俺はホール部分に設置されている柵に体をそれなりに強めの勢いでぶつけていた。


 全力疾走していた体の方向性が物理的に阻害されている。

 落下防止のために設置した柵という存在が、皮肉かな廃墟という圧倒的な無意味のなかで健気に機能性、存在価値を俺個人に主張しまくってきていた。


 ともかく柵のおかげで俺はとりあえず落下はまぬがれていた。

 しかし動きを止めたということは、逆に別の危険性の存在をより一層確固たるものしてしまうことと同義であった。


 ゴツゴツゴツ!

 怪物の足、昆虫のようにたおやかで力強く、機械時計の内層のように繊細そうな足が硬く地面と触れ合っている音。


 音色は間近に迫ってこようとしていた。


 怪物にしてみればまたとないチャンスでもあったにちがいない。

 少なくとも俺が異世界人……もとい人喰い怪物になれたのなら、獲物が行き止まりでまごついている光景など垂涎(すいぜん)ものの他になんと言えようか。


 とにかく怪物はまたとないチャンスと、ついに秘めるべき大切な部分を御開帳させてしまっていた。


 唇が開かれる。

 ちょうど俺に向けられている、視線を固定するように自由に、人喰い怪物に捕食器官が開かれていた。


 それは造形としてはいささか失望をしたくなるほどにありきたりなものだった。

 ただニンゲンの唇、いくらか薄目の肉を取り付けたばかりの器官。


 口の中には明朝の雪のように真っ白な歯がずらりと並んでいる。

 扁平な前歯、申し訳程度に鋭利さを残した犬歯、奥歯は流石に様子をうかがえそうにないが、まあさして特筆すべき内容もないのだろう。という事にする。


 肉を噛みきるのにはいくらなんでも心許なさすぎている。

 その歯はどこまでも「普通」で、「普通の人間」に近しすぎる捕食器官の一部でしかなかった。


「 かぱぱぱぱぱぱぱぱ 」


 怪物は大きく口を開いて俺の事を食べようとしていた。


 なかなかの壮観であった。

 ラグビーボールほどの大きさがある口が思いっきり、限界まで開かれている様子は普段の生活、「普通」の日常風景ではなかなか見れないおぞましさがあった。


 恐怖心を抱く、畏れにも似た感情。

 自分よりも圧倒的に強者の価値に位置する存在を目の当たりにした、畏怖の念は諦観のようなものを演出しようとした。


 ……しかし悲しいかな、俺の異世界人、あるいは恐ろしき人喰い怪物と呼ばれる存在に対する敬服のこころ遣いは矮小なものでしかなかったらしい。


 そう実感しているのはそれなりに強い確証がある。

 俺はほぼ無意識のなかでホールの柵に足をかけていて、今まさに飛び越えて虚空へと身を投げ出さんとしていたからだった。


 身を乗りだした途端下側の空間が強い存在感を以て下層から上層、俺のあごから脳天にかけて冷たい感触を通過させていった。


 全身を氷菓子で冷やした下で舐めとられたかのような、完全な冷たさとは言えない感触が全身の感覚のほとんどを占めてくる。


 飛び降りる。

 「普通」だったらありえない行動だった。


 だってそうだろう? こんなのはただの自殺行為だ。

 上から落ちれば下にぶつかる。

 この世界にも、たとえ「人間」を拒絶する……彼らや俺にとっては滅びかけの居心地が悪い世界であっても変わらないことはたくさんある。


 空の上、雨雲の呪いの向こうには月が青く輝いている。

 重力はヒトビトの重たい肉の体を支え続けてくれている。


 だからこのまま落ちてもいいんじゃないか。


 そんな夢心地で、俺は自殺をするかのような勇気を以てして柵を、「人間」にとっての安全性を乗り越える。


 無視をしていた。

 この世界のルールのような支配に逆らうのが、嗚呼、こんなにも心地よいものだったとは。


「上出来だよ、王様」


 下側から声が聞こえてきた。

 それは美少女の声だった。


「いや、まだ王様ですらない、中途半端なものでしかないかな」


 美少女の姿を見る。


「モア」


 体が落ちていく刹那、時間は限られているはずなのに、瞬間の一コマずつがまるで濃縮された果汁ジュースのように鮮烈になっていた。


 モアは魔術を使って下から上へ、ちょうど俺と別の方角に進みながら、ご丁寧に俺に向けてアドバイスしてきていた。


「忘れちゃいけないよ、君を健康にしてくれる全ての要素を」


 忘れるものか。

 言われなくても、俺の頭の中にはイメージがすでに出来上がっていた。


 ヒトビトの話し声が聞こえる。

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