灰笛続き 12月21日 1つ 1367 特別なことなんてどこにも無い
「一方俺は自分の行動のほとんどを変な女、奇妙で危険な美少女に握られているということか」
「いきなりどうしたの?」
モアが俺の事を不思議そうに見ている。
例えば奇々怪々さに畏れのような感情を抱いているかと言えば、決してそのようなことは無かった。
モアは引き続き俺の事を、まるで愉快な習性を保有する人畜無害な小動物でも愛でるような甘ったるい視線だけを向けてきている。
「ついにイかれちゃったのかな?」
「そうだとしたらかなりウけるが、残念ながらそんな面白いもんじゃねえよ」
発狂したい気持ちは山々ではあるが、しかし残念ながらそこまでの気力を発揮できるほどの思い切りはまだ持てそうにない。
解決しなくてはならない問題が目の前にあるとなると、それらが分かりやすいほどに正気さの強度は増してしまう傾向にあるようだ。
……少なくとも俺にとっては、の話なのだが。
「それはともかく、とりあえず簡単に呪文でも作っちゃいなよ」
「呪文」
何のことかと少しばかり考えてしまう。
「最近流行のアレだよアレ」
困惑をさらに楽しまんと、モアはアバウトな表現を俺のもとへと塗り重ねていった。
「昨今の魔法使いは言語入力で魔力にさらなる命令文を重ねていくんだ。
方法としてはかなり古典的だけれど、しかし最近になってアナログ入力の方がより安全性と個別性が確立できるってことが明確化されて」
「呪いの言葉を呟けば、サクッと個人情報にアクセスできる、パスワードみたいなものなんだろ」
長くなりそうなモアの語りを雑に中断させる。
「まあ、うん、そういうことだね。パスワード、そう! パスワードだよ」
語り口を雑に切断されたことにモアはどうやら面喰っているようだった。
「ただ言葉を入力するのではなく、自分を一つの確立したキャラクターであることを再認識するために、個別の声紋を世界に刻みつける。
古来よりは唄であったり、あるいは現代的には歌唱とおなじ意味を持つね」
「ああ、そういえば」モアは一つの事、誰かの事についてを思い出していた。
「呪いによって言葉を失った代わりに、歌をうたうことでしか音声を紡げなくなった魔法使いがいるそうな」
「それは……難儀だな」
そうとしか言いようのない状況を想像しようとして、しかし俺はすぐに自分のやるべきことを手短に思い出している。
「呪文……」
どうしたものか。
こういうのはフィーリングで考えるしかないのだろう。
嗚呼、イラストであったら人間なりリンゴなり四角形のティッシュ箱なり、分かりやすいモデルを用意することが出来るというのに。
嗚呼、マジで面倒くさいな、魔法って。
「さあさあ、お早く手短に」
急かされている。
だが仮に俺が呪文を考えるのに丸一日かけたとしても、もしかするとこの美少女ならばいつまでもどこまでも待機してくれるのだろう。
何故かそう確信できてしまえる。
言葉のために呼吸をする。
「我々は家来である
汝らは意志を持ってはならない
天にまします天使よ、貴方がみそなわしたもう魂をここに」
古い願いの言葉。
この世界を支配する天使に向けられた賞賛と誓い、捧げるべき自主性についての言葉だった。
いつだったか、俺は祖父の言葉を思い出す。
自分自身の声の裏側、透明な声音が俺の頭の後ろあたり、ぷるぷると柔らかい部分を震動させていた。
「天使の事を忘れてはならないよ、愛しの王子さま」
そんなこと言ったっておじいちゃん、天使って誰だよ? 会ったことも無い奴の事をどうしてそんなにも敬えるんだ?
「そりゃあもちろん、彼らの作った作品の素晴らしさを日々実感しているからさ」
作品となんであるか?
問いかけようとしたが声は届かない。
と言うか、実際に言葉を発したかどうかも分からなかった。
「…………っは?!」
どうやら白昼夢を見てしまっていたらしい。
意識が無意識に飲み込まれつつある寸前、瞬間に俺は手の中に物体が握りしめられていることに気付いていた。
右手の中、小さな物品が存在している。
「いえい、大成功だね」
モアの声の下側、俺は右手にある一本のシャープペンシルを見下ろしていた。
黒色を基調としたペン。
持ち手には細やかな横向きの溝が刻まれ、人間の持つ皮膚にほど良く密着しそうである。
「これが俺の道具」
「そう、それが君の道具だよ、ルーフ」
言葉で説明しようとしてもどうにも上手く出来そうにない。
ただ一つ確定的なのは、ペンはもともと俺がもっていた火器が変容したものであること。ただそれだけであった。
モアはさっそく俺に魔法を使うことを要求してきていた。
「じゃあ探索用の魔法陣でも一発作ってもらおうか」
「どうすればいいんだ?」
モアは俺の前で空中に人差し指をかざしている。
「そこはほら、くるっとまるっと、丸を描けばいいんだよ」
「丸」
マルということで、俺はとりあえずペンを使って空間へマルを刻むことにした。
果たして神も無いというのに、魔法のペンは素晴らしいまでに俺の意向に従ってくれていた。
空間に描きあげられたマル。
円形の中心が生き物のように脈打ち始めていた。




