灰笛続き 12月15日 2つ 1356 盛り上がって盛り合いましょう
魔力はまだ残っている、むしろ感情の増幅が消費した分のエネルギーを補おうとしている。
そんな気配があった。
俺は長方形のような形のタブレット型飛行用魔法陣の上で膝を曲げる。
身を屈めて指先を足元に、自分が沈んでいた魔法陣の感触を確かめる。
落ちたときはまるで本物の海のように滑らかな、「水」のような質感を持っていた。
だが指先で丁寧に救い、指紋の色々に絡みあわせてみると、「水」の塊はもっと強い存在感を放っている。
プルプルと艶めくのは熟れたサクランボのよう。
手の平、指の先でかき混ぜようとすればプニプニと柔らかい。
感触はフルーツゼリーを銀のスプーンでグチャグチャかき混ぜたもののようだった。
強く凝視する。
星のまたたきのようにほの白く、しかしどこか青さを含んだ輝き。
子細に観察してみると魔法陣はいくつもの魔力の粒によって造形を織り成しているようだった。
気になって、たまらず触ってしまう。
「あるじ様」
ミッタが俺の事を心配していた。
「ヘタに触れるとまた、おのが生命力を吸われてしまうぞ?」
それでもいいのだろうかと、どちらかといえばミッタは俺自身の行動よりもそこに付属する結果の様子、想定できる具合についてを心配しているらしかった。
「大丈夫だって」
俺はミッタの事を安心させようとした。
しかし試みは現実の前に否定される。
プクリ。空気がはじける音。
お風呂にポカポカと浸かりながらタオルで偽物のクラゲを拵えるように、そしてクラゲを殺すように、空気の質量が一気に水の中に溶けていった。
「言ってるそばから……!」
のじゃロリ口調を忘れてまで、ミッタは俺が必要以上に「海」に触れることを嫌がっていた。
「本気で消えるつもりか!」
「その気はねえよ」
しかしもはやほとんど寒天ほどに透き通ってしまっている自分の指を見て、説得力が皆無であることを己が身に知らしめるより他はなかった。
■
視界にまたしてもスマートフォンの電子画面が映る。
そこには見覚えのある棒グラフがあって、しかし最初に閲覧した時よりもかなり気配が変わっている事に気付いた。
「あれ? 何かグラフがめちゃくちゃ減って……──」
モアに理由を問おうとしたところで。
ビーッ!! ビーッ!! ビーッ!!
とんでもなくけたたましいアラーム音が周辺の空気を震動させた。
警報は実にやかましく、そのせいで俺の周りを取り囲んでいた魔法陣の美しい粒たちが逃げてしまっていた。
警告音はこのようなことを伝えている。
「警告! 生命活動に危険が及ぶレベルで魔力が消耗しています。このままでは……」
「いや、うるせえ?!」
騒音に俺はとっさに両手で耳を塞いだ。
「モア、なんだそれ?!」
緩やかな円形を描く空白の上で、俺は彼女に音の停止を求めていた。
「超絶怒涛にうるさいんだが? 耳がいかれちまうってのッ!」
しかしモアはアラーム音を止める気は無いようだった。
「音を止めたら、いよいよ君は存在の全てを喰い尽くされるだろうよ」
モアは継続してスマートフォンの画面を俺に向けて表示するだけだった。
見ろ、ということなのだろう。
見て欲しいならハッキリと意思表示をしてくれればよいものを。
よもやモアというものが俺に遠慮をしているというのだろうか?
「まさかここまで魔法陣に魅了されるとは、思ってもみなかったね」
心苦しさとはまた別に、モアは自身が予期していなかった事態にある種新鮮な驚きを覚えているようだった。
「それもそうだろうよ」
なにを今さら、アホみたいなことをぬかしているのだろう、この女は。
「こんなにも素晴らしい魔法陣なんて、そうそうお目にかかれないだろうがよ。
腕の一本、足の二本がしばらく動けなくなろうが、じっくり観察して脳みそに映像を焼き付けなくちゃいけないだろ?
むしろそれ以外の選択肢なんて無いだろ」
しまった、興奮してつい早口になってしまう。
喉の奥が妙に爽やかなのは鼻の穴が必要以上に広く膨らんでいるからなのだろう。
鏡が無いので表情を確かめるすべがないのが残念だ。
「ああ、ここにペンと紙が……──」
「欲しいのなら差し上げよう」
俺の要望、もしくは単純な欲望を叶えてくれるのはミッタだった。
灰色の髪を持つ幼女が指先をつい、と動かせば俺の手元にちょど良さそうなスケッチブックと二番の柔らかさな黒の鉛筆が現れていた。
「よっしゃあっ?!」
意味が分からない、と諦めきれるほどでも無く、おそらくミッタが魔法のポケットからあらかじめしまってあった色々な道具を取り出してくれたのだろう。
「これで絵が描ける!」
しかし俺の行動はモアに阻害されていた。
「just a moment please」
ガシッと俺の頭を掴んでいる。
少女の体が目の前にひらめいた。
「何をしやがる」
モアが俺の両腕を強く握りしめている。
どうやら彼女は俺にまだ絵を描いてほしくないようだった。
「君に描いてもらいたいものはまた別にあるんだよ」
そして彼女が俺に身をそっと、しかし確実に、意図的に寄せてきていた。
抱き締められる、とそう思ったが、どうやら違った。
唇と唇が触れ合う。




