玄関前に転がる憂鬱
鼻炎の痛みが彼女を襲う
「はい! はいはいはい。もうおしまいですよ、そろそろお腹一杯になったでしょう? はいっ、ごちそう様!」
獣から食いさしの餌を奪い取るかのような動作で、キンシは左手の中にまだ数個だけ残されている怪物の幼生を、ミッタの手が届かない所まで高々と掲げた。
「ぶー! (ノ゜з゜ノ)」
まだまだ食い気たっぷりといった感じのミッタは、不満たらたら名残惜しそうに小さな腕を天へと伸ばし、魔法使いの手の中に隠されているものを求め続けている。
「はいはい、あー駄目ですよそれ以上は、食べ過ぎですって。いけませんよミッタさん」
幼子の追従から逃れるようにキンシは手のひらを太陽の方向へと向けたまま、もう一度崖の側面を軽々と跳んで排水管へと幼生を戻しに行ってしまう。
珊瑚、と魔法使いの例え言葉をルーフは頭の中で反芻する。と言うことあの怪物の仲間だとかいう、どう見ても色鮮やかな砂糖菓子にしか見えない物質は、あの湿り気たっぷりな穴の中で育てられるようなものなのだろうか。
仮にも、たとえごく僅かな例外だとしても、人を襲い喰らう生き物の仲間に属する生き物を、こんな場所で勝手に育ててもよいものなのか?
何となくだが、ほのかに香るイリーガルに少年はそれ以上考えないようにしておくことにした。
さて、朝食が終了すれば是が非でも一日が開始されてしまうのであった。
「じゃあ僕たちは仕事に行ってきます」
「あら、そうなの。いってらっしゃい」
キンシとメイが、いかにもごく普通の日常風景っぽく状況を勧めようとしたので、ルーフは盛大に戸惑ってしまった。
「いやいや、ちょっと待てよ」
一行は再び電車の中に戻り、部屋の暖かさに冷えた体が一息ついた、その余韻すら許さずキンシは外出準備を開始し始める。
「とは言うものの、服はそのままですしね………」
少しだけ気まずそうに口元を歪めながら、キンシはそっと腋の下の臭いを確認してみる。
「昨日はそのかっこうのままでお休みになったんですか?」
メイは魔法使いの恰好を、撥水性には優れていても睡眠用には適していなさそうな、幾ばかりか寸法があっていない服を一瞥する。
昨日、数時間前に怪物を退治した時と、つまりは昨日とそのまま同じ格好のまま、キンシは夜を明かしたらしい。
「いやー、ちょっとばかし面倒事がありまして、着替える暇もなかったんですけれど……。でもまあ、ちょうど良かったということにしておきましょう、朝の準備が一つ減りました」
楽観的に不健康な解釈をして、キンシはその他の準備をするために部屋の中を移動し始める。
その姿を見てルーフは慌てずにはいられなかった。
「出かけるって、どこに行くんだよ」
「どこにと言われましても、仕事に行くとしか答えられませんよ。今日も遅刻したら、いよいよオーギ先輩に半殺しにされちゃいますし」
どこまでが本気なのか、いまいち判断のつき難い台詞を呟きながらキンシは引出しから。その引き出しは兄妹達が使っていた座席の下に、なかなか無理やりな形で設えたものだったのだが、その中から様々なものを取りだす。
メモ用紙やら新品のノートブックやら、謎の書類等々。そして小さな、不気味な液体が込められているガラス瓶の数々。
それらの物品をキンシは床に落ちていた鞄に、それはまだ食事中の際にトゥーイによってこの部屋に運搬された際、ちょうどよく床に落下していたキンシの所持品の一つであるが、その中に物を乱雑に詰め込んでいった。
「これでいいかなー? 忘れ物は無いかなー?」
引出しの中と鞄の中身を交互に、しつこいくらいに何度も往復しながら確認し、
「ま、いいか」
あまり納得がいっていないように、無理やり結論付けて立ち上がった。
肩掛け紐を斜めに垂らして、幅広のベルトを腰に巻き付け備え付けられている留め具を上着に固定する。荷物が満載されている鞄はベルトの側面に、直に縫い付けられていた。
キンシはすっかり慣れた確認作業として、その場で軽く数回跳躍してみる。
体の動きが上着を揺らし連動してベルトを、そのまま鞄も揺れる。先ほど搭載された荷物の他にも、どうやら鞄の底には他の、何かしらの物品が詰め込まれていそうだと、ルーフは内部から漏れる音と重量感でそれとなく予想した。
一体、そんなにも重そうな荷物をもって何の意味があるというのか。
「よしよし、原稿用紙!」
安定感があるかどうかは、いささか不安がある荷物を抱えながらキンシは謎の掛け声をする。
「お出かけ準備完了! 忘れ物は………、多分なし、無いということにしましょうしておきましょう、個々で忘れるようなものはどうせ、どうでもよかった事なんですきっとそうに違いありません、そういうことにさせてくださいお願いします」
何に対して懇願しているのか、あるいはそれ事大した意味などないのか、それにしては異様に異常に、まるで何かに怯えているかのように、引きつった表情でキンシは外出準備を終えた。
「今日も一日頑張りますか」
魔法使いは左手で拳を作り、それを何もない空中に攻撃っぽく突き出す。
鬱々とした性格ですが鬱という漢字は書けません。




