灰笛続き 12月8日 1つ 1342 予想外に空を飛ぶのが楽しかったんだ
「安心して。空を飛ぶのに、少なくともこの世界で難しいことも辛いこともそんなにないはずだよ」
モアの予想。とはいえそれは曖昧な見当とは異なり、少なくとも少女の中ではすでに確定された耳孔でしかない。
彼女はあくまでも俺に知っている事、決まりきった情報を伝えているにすぎないのであった。
「そうだねえ……ちょうどいいや、さっきの階段をイメージしてごらんよ」
階段とは俺が今しがた登ってきた魔術式のことを指している。
主に客人向けの転移魔術式、本来ならば空の上であろうとも仮初めのオシャレなデザインがほどこされた階段で地面まで安心安全に運び終えることが出来る。
土地にニンゲンを返すための魔術式を、あろうことか俺は真逆の意味、空の上へと向かうために強引な目例文をくだしていた。
当然不具合はおきる。
思えば雨雲に近づいてきたころから足元がギシギシと悲鳴をあげていたような気がしなくもない。
だがしかし、それとこの状況にどのような関連性があるというのだろうか?
「まあまあ、難しいことは考えずに、まずもって足場だけでも確保しなくちゃね」
それもそうかと、俺は宙吊りのままで目を閉じて考える。
考える、青空の色、ラリマーの美しい青について考えた。
想像力を使った。
ひゅう、と風が小さく鳴った気配がした。
音色は女児の手の中にあるリコーダーのひと吹きのようにか細かった。
コツリ。硬いモノが触れ合う音程、感触は俺の右足に繋がるそけいぶを走り抜け、感覚神経に存在を強く主張している。
「え?」
なにが起きたかどうかも分からないままに、しかして肉体は本能的に魔術式の起動を理解力よりも先に受け入れようとしていた。
「ほら、上手く出来た」
「なにが?」
「足元を見てごらんなさい」
モアの言う取りにしてみる。
足元、ブラブラと居場所を失い、女一人の細腕次第で地面に真っ逆さま、ミンチの真っ赤な水たまりになる可能性をたっぷり含んでいた爪先。
そこには今、たったいまとても丁度が良さそうなホバリング機能を備えた謎の板が一枚発現していたのであった。
「まな板?!」
思考を働かせようにも、俺の愚鈍なる脳みそでは処理しきれない程の情報の量と重さだった。
とりあえず見たままの印象だけを言葉にするので精いっぱいである。
「青色のイカしたまな板が俺のことを支えている!」
正確にはまな板ほどに短くはなく、どちらかと言うとスケートボードの板のような長さを有している。
本物のまな板のように色を含んだ混濁は有していない。
丸みを帯びた長方形は所々に硝子のような透明度を帯びていた。
決定された枠組みが硝子に似た透明な板を形成し、浮遊力を以て俺の体を支えてくれていた。
しっかりと重さを受け止めてくれている。
魔術か魔法の何かしらに属する現象であること、それだけの事は理解できる。
しかしどうして浮遊のための術式が俺のもとに訪れてくれたのだろうか?
「さすがお姉ちゃん」
困惑しきっている俺の腕を握りしめたままで、モアが此処にはいない彼女についての称賛を口にしている。
「人形師、フィギュアの作り手としての腕はすでに一流の域に達しているね」
人形を作る彼女、と言えば俺の頭の中では一名の女しか見当がつかなかった。
「ミナモが、この魔術式を作ってくれたのか……?」
「もっと正確に言えば、お兄ちゃんの持っている魔術式を上手い具合に転用したんだね」
「転用」
「コピー&ペースト。なんとも素敵なコピペなんでしょう」
「……一気に安っぽくなったなあ」
しかし安心感をはいくらか得られた。
情報を獲得できた実感。それらが俺に空を飛ぶための魔術式を正しく運用する冷静さへと結び付けられていくのを感じる。
足場を確保している。
俺は魔術式を信じて、まずは体重を本格的に足元の空飛ぶ魔力のタブレットに預けることにした。
もとより体重のほとんどはタブレットの世話になっている。
今さら意識を改める必要も無く、魔術式はこの世界に発現した瞬間から現在の時に至るまで俺のことを支え続けてくれている。
ただそれだけの事に過ぎない。
であれば次の問題は業をより正しく、より良く運用できるための姿勢を整えなくてはならない。
「おっと、ととと……!」
足場はスケートボード一枚分しかない。
状況を受け入れた途端に雑念が増えに増え、俺は狭苦しい足場で上手くバランスを保てないでいる。
「ほらほら、落ちついて」
モアは引き続き俺の手を掴んだままでいてくれる。
それはとても助かることだった。彼女の支えが無くては、どの道俺はタブレットからバランスを崩して、あとは語る必要も無い状況になっていただろう。
「この状況でフツウに死んだら、たぶんただの自殺として受諾されて、フツウに助からないからね」
「え、マジ?」
これは何とかして努力しなくてはならない。
まだ死ぬ気など無い。
積極的に生きていたいとは思わないが、しかし今すぐの死を希望するほどの苦しみと傷を負っている訳でも無い。
理由がないなら生きていくことにする。
そういうワケで俺は無事に空を飛ぶ方法を獲得したのであった。
ホッと一息。
モアが俺に話しかけてくる。




