灰笛続き 12月7日 2つ 1340 雨雲の少女は雲の上に寝そべれない
「雲を触ったらフッカフカの布団みたいで、寝そべったらとっても気持ちいいって思っていたの、そう信じていたのっていつまでだった?
あれってさ、やっぱり某アルプスの少女アニメが原因だと思うんだよね。
だってそうでしょ? かわいい女の子がブランコで空を飛んでふんわりと雲のクッションに身を沈める。
あんなにも素晴らしいアニメーションなら、幼い無垢なこころは簡単に雲への夢を抱いちゃうと思うんだ。
かく言うあたしもあのアニメを初めて拝聴したときには、もしかしたら自分はアルプス山脈の麗らかハツラツな美少女で、朝は山の新鮮な湧き水で顔を洗って、昼にはシャイな山羊使いの男の子と山羊の世話をして、夜は寡黙なおじいさんとミルクとパンとチーズの美味しい晩ごはんを食べて。
そして夜には乾草のベッドで眠る。
そうかもしれないって、そう考えたんだ」
「…………」
聞こえてきた、少女の声、言葉について俺は考える。
そして彼女に向けた返事についてを言葉の上に変換させていく。
「楽しそうにしているところ悪いんだが、モア、どうしてお前がこんな所にいるんだよ?」
こんな所とはどこか。
答えは簡単、俺たちはいま雨雲の内層にいるのであった。
唐突に話しかけられた。
状況が突拍子もつかな過ぎて頭が混乱しているようだった。
慌てふためいていると同時に、しかしてこころのなかには侵されていない冷静さが留められている。
いっそのこと安っぽいオモチャに「キエエエエエエ!!!」と発狂じみた笑いを浮かべる子供の用になれたのならと、夢を抱かずにはいられない。
「どうしたの?」
少女の声、モアと言う名の彼女が俺のことを心配してくれていた。
「どうしたもこうしたも、くつしたもねえよ」
俺はモアに自分についての現状を伝えている。
「尊敬すべき愛しの先生のかたき討ちをするためと言う名目のなかで都会の機密事項を暴こうとしたら、雨雲の向こう側に繋がる階段を上っている最中に雨雲の中からモア、お前さんの声がいきなり聞こえてきたんだよ」
俺は雲の中、水蒸気が生み出す白い靄の向こう側に向けて話しかけている。
相手が見えない以上、どうしても思いっきり独り言を勝手に長々と言っているような気恥ずかしさを抱きそうになる。
三秒ほど経過した、気がする。
秒針にしてみれば短い、ささいな経過に過ぎない。
だが肉体の感覚としては三時間、豪雨のなかで待たされたような心持ちだった。
事実俺の体はすでにびしょ濡れになっている。
せっかく身に着けたレインコートもよもや雨雲の内層へ侵入することは想定外であったらしい。
前髪が雨粒の気配をたっぷりと吸い込み額に張り付いている。
不快な密着を指で拭おうとしたところでようやくモアが返事を用意してきていた。
「驚いたのはこっちの方、って言ったらちょっと責任転嫁みたいになっちゃうかな?」
モアはこちらの様子を窺うような声音を使ってきている。
「あたしは魔法陣の点検をしようとしていたんだけど、それがどうしてルーフ君がこんな未踏の地にさまよっているのか、まったく状況が分からないのだけれど」
どうやらモアは「仕事」の最中であったらしい。
であれば邪魔をしてしまったのはこちらという事になるのだろうか。
「俺は、扉に用意されていた魔力がこのあたりで限界を迎えて、それでどうしたものかと立ち往生していたわけなんだが」
魔術式によって形成されたラリマーのように青色が美しい階段は、ちょうど雨雲の内部にてそれ以上の上昇を中断してしまっていた。
魔力切れと言えば分かりやすいか。
「ああ、それはきっと圏外になったんだね」
俺の拙い状況報告にモアが的確な理解力を働かせている。
「魔術式が対応している範囲の外側に出たから、構築も中断されたんだと思うよ」
「そんな、無線LANアダプターみたいな理屈なのか……」
ワイファイと言わないところに安直な配慮を感じる。
ともあれ俺はどうやらこの先には進め無いようだった。
「これ以上、上にのぼれないのか……」
どうしたものか。このままだと問題の魔術式を見ることも叶わないままに、ただいたずらに体を雨にさらしただけで事が終わってしまう。
「弱ったな……。いったん戻ってエミルあたりに魔力でも借りるか?」
相手は嫌がりそうだが、強行するだけの気力はもれなくたっぷりあった。
「その必要はないよ」
多少の流血沙汰も覚悟の上、のつもりだったのだがしかしモアが俺の案を否定してきていた。
「戻りたくても、もう戻れない」
どういうことなのだろうか?
精神的にヤバいことをしている自覚はある。
先生のための復讐心が三割、残りの七割は短絡的な好奇心。
まさかモアにも俺の自分勝手なワガママがばれてしまったのだろうか。
「だってほら、見てごらん」
どれを見るというのだろうか?
視線が分からないのでモアが何について話しているのか、その辺については分からないままだった。
だが俺がモアの言葉の意味に気付くよりも先に、明確な結果が俺の左足の辺りに現れてしまっていた。




