灰笛続き 12月6日 2つ 1337 ムチムチの赤い血液が美味しそうでたまりませんでした
悲鳴をあげてはならない。そりゃあ、味方が喀血を起こしているのならば悲鳴の一つでも上げるべきなのだろうか。
その辺の判断を付けることは出来そうにない。
それよりも、俺は魔術式を急いで解除しなくてはならないという強迫観念に囚われていた。
「落ちついてくださいルーフ君、これは大したことではないのですよ、げほ」
俺が扉に触れて魔術を解除しようとする行為をハリはどうにかして止めたがっているらしかった。
しかし抑制は、少なくとも俺にとってはほとんど意味を為していなかった。
「そんな血まみれで、他人の心配をしている場合じゃねえだろうがよ」
「それはそうですが……。いや! しかし、話を聞いてもらいたいのです」
直立して話せる、他人のことを心配できる程度には体力は残っているらしい。
「動いちゃダメなのです、まだ終わっていないのです」
なんの話なのだろう、まずまずに切羽詰っている様子がある。
ハリは俺の姿を追いかけようとして一歩、それだけ前に進もうとした。
だが上手くいかなかった。
「ごぅうえええ……」
我慢していた内容物、喉から発生した血痰が口の中にせり上がってきたらしい。
ハリは苦しそうに頬を膨らませた後に、ついにはこらえきれなくなって口の中から赤黒いゼリー状の塊を吐き出してしまっている。
ぼとぼとと落ちる、血液の凝固はプルプルと震えて古城の中庭、雨に濡れた土と草に染み込んでいく。
「ボクは大丈夫ですから……これしきの拒絶反応、慣れたものですから……」
「とてもそうには見えないが?」
俺はハリの方に近づいていく。
よろよろとよろめくのはまだ義足に使い慣れていないから、すこし頭痛がする、皮膚がピリピリする感覚。これはおそらく魔力が新しい道具に戸惑っているのだろう。
「おぅうええ……」
ハリはついに堪えきれなくなったように身を前に屈めている。
出血は一応収まっているらしい、しかし体内に残留する血液は体外に排出されることを肉体の持ち主の意向に反して求め続けているらしかった。
「大丈夫なのか?」
どうするべきか、これが普通の喀血ならば専門的な薬品による治療が最適かと思われる。
医者ならばそうすることが出来る。
だが俺にできる事は限られていた。
「ひゅーひゅー」
ハリの喉の奥から笛の音のような喘鳴が聞こえてくる。
血液の気配、においが唇の端から咥内、喉の奥までまとわりついている。
「落ちつくんだ」
ハリに心配されていたはずの俺が彼の事を心配している。
そうせずにはいられないほどには、魔法使い先生の苦しみは段々と累積していっているようだった。
そういう風に見えて仕方がなかった。
「どうしようか……。……そうだ、簡単な治癒魔法なら」
ハリが眼鏡の奥で少し目を見開いたような気がした。
だが表情の変化を考慮するよりも先に俺は彼のために魔法を使うことにしていた。
「アバタケタ……じゃなくて、ちちんぷいぷい、だったか……。
えーっと……。
私の宝石、愛しの宝石、
雨は甘く、夜は安らぎ。
濁りも澱みもしこりも痛みも、全て沈むは青い海」
妹の受け売りである。
メイが使っていた魔法の呪文を借りることにした。
呪いの言葉に合わせて俺は手の平をハリの背中に触れ合せる。
白地の清潔そうなワイシャツの布が爪に触れる、布の感触は少し硬い。
背中の皮膚は柔らかく筋肉は硬く、背骨の結束力は固い。
触れ合っている指先に光が明滅する。
べっこう飴のような粒に光の加減で青色がちらつく。
俺の魔法の気配であることはそれとなく察せられた。
自分で描いた文字を忘れないような感じと言えば分かりやすいだろうか?
筆跡を覚えているように、忘れないように、魔力の気配は既視感をしっかりと含んでいた。
さて、上手く出来ただろうか?
「どうっすか……」
ヤバい、なんだか異様に緊張してきた。
そういえば家族以外に治癒魔法を使ったのって、これが初めてな気がしてきた。
故郷の村で暮らしていた時はよく祖父に治癒魔法を使っていたものである。
なんと言っても祖父は実験やらなんやらでしょっちゅうケガをしまくっていたものである。
ある時は道端に生えていた謎の植物にかぶれて、またある時は昼食のインスタントラーメンにアレンジを加えようとハムを包丁で切ろうとしたときに。
実にいろいろな症例があった。
だが主に治していたのは妹の指先で、俺はそれを近くで見守っていただけだった。
妹の使う治癒魔法は実に美しかった。
それらも今は遠い過去。
妹は俺の失態によっておった負債で限りなく灰色な魔法使い共に人質にとられてしまった。
「はぁ……はぁ……」
俺が妹について、この世界で一番愛している女について考えている。
夢見心地な気分になっていたかもしれない、本来の時間よりも遅れてハリの呼吸音が俺の耳に届いてきていた。
「ああ……だいぶ楽になってきましたよ……」
すでに喉の奥から笛の音は聞こえてこない。
気道は無事に本来の機能を取り戻したようだった。
「それは良かった」
俺は安心する。
そして次の行動に移行しようとしていた。
「じゃあ、問題を殺してくるよ」




