灰笛続き 12月6日 1つ 1336 ダメージは毒攻撃のように累積するみたいだ
「げほっ! げほっ! げほっ! げほっ! げほっ! ごほほぅ……」
魔法使い先生がなにやら辛そうにしていた。
体を前に屈折させながら、気管支に発生した異物感を繰り返す咳で追い出そうとしている。
「大丈夫か? ハテナ先生」
「げほ……。……だから「仕事」以外でその名前を使わないでくださいよ」
反応できる程度には呼吸機能を取り戻しつつある。
しかしまだ俺には彼が、ハリが急に体調に変異を来たした理由を知らないままでいた。
「ああ、すまんすまん」エミルがふと思いついたように申し訳なさそうにしている。
「お前さんにとっては、この空気はあまりよろしくないんだったな」
そしてエミルは速やかで滑らかな動作にて扉の形状を持った転移用魔術式のドアを閉じている。
ガチャリ。
と、ありきたりな音色の後に古城の外側、灰笛何処かの空にワープできる穴の蓋を閉じていた。
「よろしくないって、どういうことだ?」
俺の質問に答えているのは患っている本人、ハリの少しだけ苦しそうな声だった。
「魔力が少ない空間だと、どうしても、呼吸が苦しくなってしまうんですよ。
そういう体質なのです」
ハリは話しているなかにて、会話における発声と共に元の呼吸方法を取り戻そうとしているらしかった。
咳き込みで震えた体の上、眼鏡が少しずれてしまっている。
「発作なんて最近はめっきり減っていたんですが、やはり空の上の空間だと魔力の量も減ってしまいますね」
楕円形の眼鏡の奥。
翡翠の色の瞳が涙の気配にうるうると潤んでいる。
「げほっげほっ……。空気中に含まれている魔力が少ないと、このように……げほっ、気道が狭まって人体の生命活動を停止させようと……」
「それってかなりヤバくないか?」
下手をしたら魔法使いが、尊敬すべき先生が死んでしまうではないか。
「大変だ、ハテナ先生が死んでしまう」
「いえ、死ぬほどのことでは……」
しかしハリの言葉は俺には届いていなかった。
話を聞くよりも優先すべきことがあると俺は強く信じていた、信じきっていた。
それこそ扉の外へ身を投げた妖精族の彼のように、俺は魔法使いの命を守るための行動へと移行しようとしていた。
「こんな危ない扉はささっと、サクッと仕舞わなくちゃいけねえ」
まずもって危険な空気と繋がりあう可能性がある道具を始末しなくてはならない。
願わくば破壊をするのが望ましいが、しかし古城に対してこれ以上損害を働くわけにもいかない。
解除する方法を探ればいいのである。
扉が魔術式であるというのならば、そこには必ず何かしらのルールが組み込まれているはずだ。
俺は歩いて扉に近づく。
「あ、ルーフ君……」
背後でハリが不安げな声を発しているのが聞こえてきた。
扉に怯えているのだろうか?
……違うような気がする。だが詳細について検索するよりも、まずは危険物の解除である。
「ひとりで大丈夫なのか?」
エミルの声が少し遠くの方から聞こえてきた。
確認をしてきている、魔術師の彼は扉から少し離れたところで救出作業にせっせと勤しんでいた。
人間の姿をしている、ぐったりと眠っているのは古城が収容している患者の一人。
先ほどまで暴走していたモノ、怪獣となって俺たちに襲いかかってきた一匹だったモノ。
エミルはそれを担架のような形の浮遊機能を有した器具の上に乗せようとしている。
おそらく患者に然るべき治療を施すために、施術のための空間へと運ぶ必要性があるのだろう。
魔術師は忙しそうにしている。
であればやはり、危険な魔術式の解除は俺が行わなくてはならないようだ。
「げほっ! げほっ! げほっ! げほっ……ルーフ君、ちょっと待ってください……」
ハリが俺のことを心配していた。
もしかするとまだ義足が使いなれていないこと、肉体に馴染んでいないことを不安に思っているのだろうか?
「ご心配には及ばねえよ」
とりあえず手軽なところから不安点を解消してさしあげなくてはならない。
「魔術式の解除くらい、これくらいなら俺ひとりでも出来るって」
要するにスマートフォンの設定を軽く変える程度なのだろう。
システムを一つから作りかえるか、あるいは全部を破壊し尽くすことよりかは幾らか簡単なのだろう。
「要するに術式を停止されれば、少なくとも穴は閉じるだろう」
「いえ、そういうことでは……──」
なおも魔法使い先生は俺のことを止めようとしていた。
一体何がそんなに不安なのだろうか?
怪訝な気持ちが芽吹いている。
振りかえると、そこには赤色があった。
「がぱ」
ハリはとっさに口元を覆っていた。
そうすることで僅かでもこぼれ落ちた赤色を誤魔化そうと、隠そうとしていた、そのつもりだったのだろう。
しかし行為は無意味であった。
唇からこぼれ落ちる真っ赤な……血液の雫の質量はハリの手の平一枚ではどうしようもないほどの量と重さを世界に主張していた。
ぼたぼたとこぼれ落ちる血液は指の間を通り抜けてハリの手の甲を赤く染めている。
「先生?!」
原因は分かりきっていた。
「大丈夫です……」
口の端に赤い筋を流しながら、ハリは状況が危険ではないことを一生懸命に俺に向けて主張しようとしていた。
しかし、残念ながら魔法使いの気遣いもまたどうしようもなく無意味なものでしかなかった。
 




