美味しいものは否定できない
満腹
「彼方さんの……。……えーっと、メイさんが昨日襲われた生き物のご説明は、すでに幾つかしていたでしょうかね?」
何のことか、ルーフは一瞬だけ判別することが出来なかったが、しかしすぐに魔法使いが言わんとしていることを察する。
「あー、えー? 怪物についての情報なあ………」
海風、その中に空から漂ってくる雨水の気配を全身に浴びながら、ルーフは時間的にはつい最近とも呼ぶべき記憶の中を探る。
「あんときは全く、全然余裕がなかったから、お前が何かを言ったとしてももう憶えていやしねーよ」
その答えは半分ほど嘘で残りは純真なる真実でもあった。妹の、その時はまだ生命すら危ぶまれると思い込んでいた危機的状況に、自分がまさか他人の御解説を悠長に聞いている訳もなく。とは言うものの、脳細胞のどこかしらに魔法使いの言葉が音声としてこびり付いているような、そんな気が。
「ただ……、なんか虫がどうとかこうとか……?」
少年の素晴らしき記憶力にキンシは大げさともとれるリアクションを示した。
「それですよ、その通りでございますよ。花虫の幼生はいざ育てようとするとなると、これがまたなかなかに困難を極める事でしてね───」
「え、いやあの、ちょっと待て」
ルーフはそのまま太平洋まで流れそうになっている会話を無理やりせき止める。
「いろいろと分からないことがある、ありすぎるんだよ。その……、その金平糖みたいな塊は、結局どういうものなんだよ? まずは今ここで、それを説明してくれないか」
少年のもっともらしい要求に、キンシは稼働しかけていた舌を意識的に硬直させていったん思考を巡らせてみる。
「そうですね、ちょっと早合点が過ぎましたね、すみませんでした」
小さくうなずきながら反省を、そして次に言葉をどう練れば良いものか思い悩む。
「そうですねー……、この金平糖の事をどうご説明すべきなのでしょうか……? まさかそのまま直球なるものをいう訳には。……いや、むしろこの場合においては、彼らに対してならば真実を告げても問題はないのでは? 彼はともかく彼女の方は信用に値する心理を獲得しているように思われて、だがそれもまた僕の自己満足でしかなく」
「おーい?」
背中を丸めて、後ろから眺めると全体的に黒っぽい達磨のようになっている魔法使いに、ルーフは戸惑い半分ほぼ呆れ気味に声をかけようとして。
しかし少年よりも青年の方が先に行動していた。
「先生」
顔に眼帯しか身に着けていないトゥーイは、ぶつくさと小声で何かしらの自己満足な論述を続けているキンシの近くに立って語りかける。
「先生は王様にまだピアノの音を聞かせるべきあともう少し曲が終わるまでは秘匿を継続させて」
トゥーイからの提案にキンシは言葉を中断させて、左手の指を開いたままの恰好で彼のほうを見上げる。
「しかし、それでは秘密になってしまいます。それは必要以上の、不必要な秘密ではないのでしょうか?」
キンシの意見にトゥーイはゆっくりと瞬きをしながら自分の意見を返す。
「乳飲み子に口述をする必要が何処にあるのでしょう? 私たちは意味を殺してでも維持しなくてはならない事象が今まさに存在証明を求めているのです」
トゥーイはおそらく、何かに対する尤もらしい意見を述べていたらしい。
そのうえで、キンシは青年から目を離そうとしなかった。左手でミッタに食事を与えることを続けながら、キンシは青年に反論をする。
「そうかもしれませんが……、ですが僕は全く何も教えないという訳にもいかないと、そう思いますよ」
トゥーイは魔法使いの言葉にわずかながら瞳を揺らし、それ以上は何も言うことはしなかった。
あとに残したのは聞こえるか聞こえないかの、潮騒に溶けて消えてしまいそうな溜め息だけ。
その呼吸の残滓を鼓膜に感じ取りながら、キンシは少年に先ほどの言葉の続きを再開する。
「彼方さんが、貴方たちを襲った巨大なオタマジャクシ。それらと同様の生き物がこの世界は、特にこの灰笛には沢山生息していることは、ご理解頂けているでしょうか?」
急に話の矛先を自分に向けられ、ルーフは動揺しつつも早急にそれらしき返答をする。
「ああ、都会には、特にここみたいにデカい傷がある都会には怪物が沢山出現するっていうことなら、俺もなんとなく知っていたけれど………」
これもまた真実とはかけ離れた言葉であった。キンシが、魔法使いどもが呼称する生き物が巷を騒がせているという情報だけならば、ルーフも故郷の中から情報を得ていて。それは例えば新聞の紙面であったり、ネットの匿名掲示板であったり。
思えば不思議なまでに、実物そのものの確信的な情報などは全く存在していなかったような気がする。
だからこそルーフは怪物に対して勝手なイメージを、それは例えばゲームに登場する良心的な設定のモンスターのように、ファンタジー的魅力に満ち溢れた造形を期待していたのだが。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。本物の怪物は美しき創作物とは全然かけ離れており、いかにも現実的臭いを全身から立ち上らせている、それはもう気持ち悪い存在でしかなかった。
だからこそ、自分は生まれて初めて見る怪物に何一つとして対処が出来なかった。そのはずなのである。
と、一人勝手に少年が言い訳じみた自問自答をしている、その間にキンシは伝えるべき言葉を作り上げていた。
「そうですね、彼らは日々僕たち人間を驚かせてくれる存在ではありますね。そこで問題です仮面君」
キンシは少年にむけて唐突に問題文を突き付ける。
「そう言った、人が集まる場所には必ずと、それこそハンバーグに添えられる甘い人参のように付き添ってくる存在である。それらの生き物は普段、どの様なものを食べて生きているのでしょーか?」
「は、あ、はあ?」
脈絡なく開始されたクイズショーに、ルーフは眉間にしわを寄せて魔法使いのことをまじまじと見る。
「何だよいきなり……知らねえ……」
「正解は!」
嫌々ながらもルーフが答えを考える、そうする先にショーは幕を下ろされた。
キンシはそもそも彼の答えを期待することなく、勝手に正解を述べていく。
「正解は、生きている人間以外の何かです」
ルーフの反応を窺うこともせず、それは単に彼が自分の背後に立っているからでもあったが、とにかくなるべく彼の感情を無視してキンシは答えを続ける。
「それは、自分より小さく弱い肉体の彼方であったり、あるいはこの世界に存在しているとある物質、それは人間の体も含めた様々なものも含まれています。ですがそれはほんの例外でしかありません。枯葉は基本的にとあるグループに属している、広い意味では自分と同じ種類の彼方さんを主食としています」
言葉を一旦止めてキンシは左手からそれを一つ、潰してしまわないよう細心の注意を払いながら摘み上げ、少年の方に改めて見せてくる。
「これがその主食、花虫と僕らは呼んでいる彼方さんの集合体。その幼生、つまりは」
魔法使いはそれを、この世界のあちこちに当たり前のように存在しているそれを少年に説明する。
「貴方たちを食べた巨大なオタマジャクシ、彼らが食べる別の生き物の、それの赤ちゃんということになりますかね」
「………」
答えの後には何一つとして納得が与えらなかった。
その場所にあったのはミッタと呼ばれている幼い生き物が魔法使いの手の中にある花虫の幼生を、それはそれは美味しそうに名残惜しく咀嚼している音だけ。
それだけが、潮騒に溶けることなく鳴り響いていた。
食べすぎに注意です。




