灰笛続き 12月1日 1つ 1329 行方不明の礼儀正しさ
だが予感は今回においてはそれなりの精度をもって現実に合致してた、かもしれなかった。
なんにせよ魔法陣はいったん役割を終えたらしい。
つまりは持ち主である魔術師の彼の意識、こころから発せられる命令文を達成したことになる。
クリアを得た魔法陣が氷のように溶けていく。
実際に誘拐して固体から液体に変容するという訳では無い。
魔力を基準とした魔的な存在には基本的に実体はない。
だが意味ならばしっかりと存在している。
溶けた魔法陣は青さを捨てて透明になる。水道水のように管理された透明度とは異なり、色彩は野生に発生する水晶のようにくすんでいる。
微かに白く濁る色合いの下、ボタリ……と影が古城の中庭の上に落下していた。
それは約一名の人間の姿で、意識を失っているそれは成長を終えたサイズ感を持っている。
男なのか女なのかは判別できそうにない。それどころか年齢さえも把握できそうになかった。
視界に問題が起きたという訳では無く、ただ単に俺の興味が造りなおされた人間、古城の患者から外れている。ただそれだけの事でしかなかった。
魔法陣が消えようとしていた。
青色はすでに遠くへ消えてしまっている。
青空が夜に変わるように、それは避けがたい現実でしかなかった。
またいつか青さを取り戻せると分かっていても、繰り返される別れに感傷めいた寂しさを抱いてしまう。
「…………」
魔法陣に触れようと手を伸ばそうとした。
しかし指先に魔力の気配が触れるよりも先に、魔法陣はついには完全なる透明へと変わってしまっていた。
ひゅうひゅう。
空気が狭い道を通る、音も無く通り抜けた気配が耳に聞こえた気がした。
雨のにおいはまだ鼻腔を包んでいる。
だがそれは魔法陣の匂いとは異なっている、ということはすぐに判別できてしまえていた。
「はーあ」
たっぷりの呼気を含ませながらエミルが脱力をしていた。
「なんとか患者を回収、これで始末書入力が一枚減るよ」
問題を起こすこと自体が前提のような基準でものを語っている。
戦いの場面は終わった、始末も色々と突いた。
「おっつかれっサマあぁぁぁぁぁーーーーバケーションッッッッ!!!!」
環境の安全を確認した。声は人知れず撒かれてアスファルトの隙間に芽吹くカタバミのように力強かった。
「マヤさん」
ハリが声の持ち主の名前を呼んでいる。
俺の体を支えつつ、体の向きはなるべくそのままに首の方向だけを出来るだけ変更させている。
若干無理な変更であるため、魔法使いが身に着けている眼鏡の位置が少しずれてしまっていたが、しかし彼はそれを訂正することが出来ない。
何故ならハリはまだ俺の体を支え続けているからだった。
もうその必要性はないと俺は思うのだが、しかし魔法使いの腕を完全に払う理由も依然として見つかっていない。
見つけかけたが、しかし魔法陣はすでに消えてしまっていた。
「お疲れさまざま、いやあ、ドキドキしたってカンジー」
宝石店の店員であり、俺の義足の制作者の一人でもある彼、コホリコ・マヤはまるで戦闘の場面における当事者のような口ぶりを使っていた。
「あんたは何もしとらんだろうよ?」
俺はハリに寄りかかったままでマヤに指摘をしている。
「何を言いやがるかこのアンチクショウは!」
俺の言い分をマヤはすぐさま真っ向から否定してきていた。
「オレちゃんがわざわざここまでルーフクン、キミの義足を持ち寄っていなかったら、キミはいまだに土の上でミミズのようにのた打ち回っていたことだろうよ」
「それは……」
打ち消そうとした。
「……そうかもしれないなあ」
「そこは否定しましょうよ、ルーフ君」
受け入れてしまっている俺のことをハリが呆れるように見ていた。
間違いであると主張したいのは山々ではあるが、しかし宝石店の転移の言い分はあまりにも俺の状況に正しく則していた。
義足が無ければ、俺はいまだに右足を欠落させたままでまともに歩くことすら出来なかった。
現状においても自立して行動できているかと言えば、それはまた別の議題になってしまう。
だがいずれにせよ、俺が暴走した怪獣に向けて自爆攻撃をすることが出来たのはマヤが持参してきた義足によってもたらされた結果とも言える。
「別に、ルーフ君がそう思うのならばいいのですよ」
しかしながらハリはどうにもこうにも不満げな様子を崩そうとしなかった。
「別にぃ……王子さまがわざわざ自爆魔法を為されなくとも、ボクならば自分だけの力で怪獣の無力化なんてお茶の子さいさい……」
どうやら魔法使い先生は宝石店の店員に苦手意識を持っているらしかった。
共感は出来そうにない。俺にはまだマヤのことを嫌いになれるほどの決定的な情報を保有している訳では無い。
これから獲得できるかもしれないが、可能ならばそのようなマイナスな状況には陥りたくないものである。
なにはともあれお礼を伝えなくては。
言葉を発するだけなら簡単で、もっと重要なのはこちらの姿勢ということになる。
少なくとも他人の手を借りたままの状態で謝礼を表すのは俺のこころが許してくれそうになかった。




