胃酸の可能性に気付く主婦の午後
「この世界においては、よっぽど、とんでもなく、ものすごーく頑張りでもしないかぎりは、ニンゲンが他のニンゲンを殺すことは出来ないんだよね」
「いえいえ、エリーゼさん」
珍しくキンシがエリーゼの主張に反論を述べている。
「殺すこと自体は不可能と決定づけられる訳では無いんですよ」
「というと? どうしたら殺すことができるのかしら?」
メイがキンシに向けて小首をコクリとかしげている。
「まあまあ、落ちついてくださいメイお嬢さん。結論を急ぎ過ぎては、せっかくのお話の旨みがすぐに喉の奥に落ちていってしまいます」
「私としては、野鳥のように鮮度重視でエモノを丸呑みしたいところなんだけれど? キンシちゃん、あなたはすこしクドすぎる点があると思うのよ」
「んぐるる……そ、そんなことは……」
あるかもしれないと、実のところキンシ本人がもれなく常々思っていることであった。
悩みのタネであった。
予想外の的確さ、一発的中な矢のごとき攻撃性にキンシがそれなりに深めのダメージを負ってしまっている。
そんな魔法少女をかばうつもりなのか、トゥーイがおもむろに少女と魔女の間に立っている。
そして言葉を発する。
「私には100人の友人がいますが、服を脱いだ理論はただのかっこいい冷たいナイフと何ら変わりはありません」
電子的な音声。
ノイズたっぷりの言葉の連なりは意味不明としか言いようがなく、ニンゲンの肉声と言うよりかはむしろ壊れかけのラジオから発せられる雑音と表現したほうが相応しいと言える。
「うわ……いまのなに?」
エリーゼがいつになく不快感を強調した気配を瞳に滲ませている。
「マジキモいんですけど、なんなの? ニンゲンの声なの?」
いつもの飄々(ひょうひょう)とした動作や口調は無く、自身の感覚を阻害する不快感に対する敵意をむき出しにしようとしていた。
「落ちついてください、エリーゼさん」
青年に害意が向けられそうになっているのを、咄嗟にかばおうとしているのはキンシの感覚器官であった。
「これはただの音声です、機械から発せられるもので、その……音楽のひとつかふたつだと思ってください」
フォローをしようとして、しかしてどうにも自分の思うがままに言葉をつなげることが出来ないでいる。
納得が行かない表現方法。
「ふうーん」
しかしながら魔法少女の不満げとは裏腹に、魔術師の方はそれだけでそれなりに納得のような場所へと至らせていたらしい。
「あんまり心地よい音ってカンジじゃなくて、なんかヤダ~」
いささか奇妙と思えるほどに不快感を露わにしているエリーゼに、キンシが少しばかり好奇心を膨らませていた。
「んるる、もしかするとトゥーイさんの首輪の音には妖精族の方々の何かしらを害する音波がでているのかもしれませんね?」
「音で害虫は羽虫やコバエを祓うみたいな理屈ね」
メイの同調にキンシがぎょっとしている。
「お嬢さん?! 僕の言葉を勝手に害悪ましましに改悪しないでくださいよ……っ!」
何はともあれ、現状の危機感を把握しなくてはならなかった。
「魔法や魔術じゃこの世界のニンゲンは殺せない、けど」
エリーゼは担架の上に転がる物体に視線を落としている。
「そうだねえ~、例えば「普通の人間」が人喰い怪物に食べられたときは、フツウに消化されて死亡するケースがおさおさと有り得ちゃうってカンジー?」
であればどうしたらいいのか。
「そうだとしたら、これはもう、治らないのかしら?」
気付きに関して、メイはとりたてて特別そうな感情も抱こうとしなかった。
自身の足元に転がる人間の死体(未満)の惨状を、ただ目の前に現れてしまった厄介事として憂いている。
ただそれだけのことだった。
「だったら、このままこの場所にほうっておいてもいいんじゃないかしら?」
妙案を思いついた! と言わんばかりに、メイは瑞々しい視線の向こう側、魔術師に向けて同意を求めている。
「そうだよねえ~」
白色の魔女の意見にエリーゼはウンウンと同意を意味するうなずきを重ね合せている。
「怪物の死体だけ回収して、あとは全部忘れてサヨナラしてもいいかな? 別にいいよねえ~」
「いいわけないでしょうよ」
魔術師が選びかけている選択をキンシが慌てて否定している。
「こんな所に死体を放置してしまったら、腐敗臭がとんでもないことになってしまいますよ」
「大丈夫だって~」
魔法少女の不安点をエリーゼがなぐさめようとしている。
「雨で全部流されたら、誰も気にしないってば~」
「気にしますよ、いくらなんでも道端に腐乱死体があったら無視なんてできませんよ。目を剥いて凝視しますよ、SNSで拡散されて世間の注目の的ですよ」
キンシはすでに状況がある程度決定してしまったかのような、そんな大げさな素振りを表している。
「そんなことしたら……こんなチンケな地方都市、あっというまに都会の皆様から村八分に……!」
「現代っ子なのか田舎風情が抜けきっていないのか、悩ましいところだね」
ツナヲが彼女たちのやり取りに介入してきていた。
「落ちつきたまえよ、乙女さんたち」




