人間の喉もとから妖精が出てくるわけないだろうがよ
こんにちは。
エミルは、この世界にあまねく程良く存在してくれているおおよその魔術師と同様に、魔術式を使って飛行能力を実行していた。
飛行用の魔術式。元々は別の器に発現していたものを、この世界における社会人生活のために革製のビジネスシューズに移転させたもの。
ミッタ……異世界よりはるばる、わざわざこんな世界に来訪してきてくれた彼女。
幼女の姿を持つ「~なのじゃ」口調を使いこなす、灰色の彼女によれば「けしからん、なんというナンセンス!」らしい。
そんな感じの魔術式は、先ほどまでは偽物の機関銃の発砲の衝撃から魔術式の本体、つまりはエミルの肉体を保護するための役割を担っていた。
靴底に素敵で魅力的なファンタジー小説の主人公、ないしスライムのような形をした疑似緩衝材を形成。 玉蒟蒻のようにぷっくりツヤツヤ、プニプニとしたフォルムが、機関銃の危険で狂暴な衝撃からエミルの肉体の破損を防いでいてくれた。
骨と肉を守る偽物のスライムは今、やはり当然と言うべきなのか、空を飛ぶためにその形状を大きく変身させている。
丸っこいフォルムは跡形もない。
この瞬間にエミルの身体を空中の運ぶのは幾何学的な印象を受ける魔法陣の重なり合いとなっている。
個人的にはスライムを靴底にくっ付けたまま空を飛んだ方が面白いと、そう思うのだが……。まあ、そのへんの事情は使う本人によって色々と事情が変わってくる。
だから仕方ないと、そう思うことにする。
それはそれとして……。
「んぐるるる……」
俺の体を安物の絨毯かなにかのように運び終えながら、ハリが血液の質量に思わず喉の奥を鳴らしている。
声の低さに俺はとっさに不快感か、あるいはそれらに類する感情を勝手に想像させてくる。
元々見た目の柔和さに反して音声が低めであるため、通常時でも「怒ってるのか?」と誤解したくなる節がある。
と言うのは俺個人の小心さが引き起こす事態なのだが、しかして、今回の喉鳴らしはどうにも特別に感情を想像するのが困難なものであった。
「なんと芳しい……独り占めしたいくらいです」
ああ、喜んでいるのか。そう気づくことが出来たのは、ハリ自身が発した言葉から推測できる、ただそれだけの内容でしかなかった。
「ちょっとくらい、いただいてもよろしいでしょうか?」
どうやら俺に質問をしているらしい。
「い、いただくって……?」
まさかこれを食べるつもりか?
鼻血による血痰か、あるいは女の体の月経機能に不具合がおきた際の経血のドロッとした塊のようなモノ。
(……なぜ俺が月経の不具合をしっているか、その辺は妹に聞いてもらわないと困る、実に解答に困ってしまう)
「食べちゃダメだろうよ」
とりあえず俺は魔法使いに、漫画家先生に提案をする。
正しいと思う行動を、可能な範囲にて推奨しようとした。
「っつうかこれ食べ物じゃ……──」
「ひとくちだけ!」
聞いちゃいねえ! ハリは俺をドサリと古城の草原の上に放り出すと、目のまえの「獲物」らしきものに触れようとした。
しかし、その寸前のところでまたしても魔法使いは魔術師のヘッドショットを喰らっていた。
「げぎゃ」
撃たれた体が倒れ込む。
弾丸の向こう側、根源にてエミルが「やれやれ」と首を横に振っていた。
その後に、エミルは俺に向けて「早くしと」と、血液の塊に触れることを推奨するジェスチャーを作ってみせてきていた。
人差し指を下側にちょんちょん。
触れということか、そういうことなのか。
「ええ……?」
丁度よくハリの腕の中から脱することになった、というか半ば強引に離脱されられたと言った方が正しいか。
いずれにせよ、地面の上に転げ落ちている血の塊に触れること自体、それ自体は俺でも何ら問題の無い行為内容ではあった。
実現できる。かと言って実際に行動に移せられるかどうかは、また別問題の様な気もする。
「…………!」
だが、気がするだけだった、気のせいだけにすることにした。
諦めと切迫感に包まれながら、俺は血の塊に指で触れている。
「うッ……?!」
想像していた以上に「それ」は柔らかかった、温かかった。
ぬるぬるとした感触は……なんだろう? 鼻水か、あるいはそれ以外の体液に似ているのかもしれない。
雨上がりの鉄棒に触れたときの指先の臭い、あるいはチーズを食べたときの爪の間の芳しさに似た気配。
嗅覚がびくびくと反応しているなかで、俺の指先は自然と血液の膜をびりびりと破いていた。
膜は薄く、治りかけの瘡蓋よりも脆かった。
血液がサラサラと流れ落ちる。
作りたて熱々の傷口から漏れ出る新鮮な体液のような流動体。
真っ赤な汁がこぼれた、そこからまた別の塊がはみ出てきていた。
「うわ……ッ?!」
血まみれの「それ」がモゾモゾと蠢いているのを見てしまった、俺はとっさに対象を敵であると認識してしまっていた。
だってそうだろう? 自分自身に言い聞かせる。
怪獣から出てきた何かが、まさか自分にとって有益になる存在であるはずがない。
そう思っていた、勝手に期待していたとも言える。
ありがとうございます。




