興奮するのは黒猫のせいじゃない
「はあはあ……はあはあ……はあはあ、はあはあ……はあはあ……。ぜえ、ぜえ……。……ぜえ、ぜえ」
俺の耳元であえぎ声が鳴っている。苦しみと快楽の中間地点に位置する呼吸の気配と言えば、やはりこれはあえぎ声と表現するより他はないのだろう。
吐息は唾液に湿り、古城に降り注ぐ雨の気配と交ざりあって一つになる。
荒い呼吸は、……まあそれなりにセクシャルな魅力をはらんではいる。
元の声が割かし美声寄りで、男性的な魅力に満たされている分、そこに切迫した状況というエッセンスが加えられると、なおさらエロスが増すような気もする。
「古城に来た途端美少女のナマあえぎ声が拝聴できるなんて、幸先いいなあ……」
しみじみとしていると、声の持ち主であるハリから非難の訴えが聞こえてきていた。
「なにか、さっきからやたらとエロ親父じみたことしか言ってませんか……っ──」
しかしすぐに自分自身が語るべき苦悩と懊悩、正しくは自分の身に起きている危険についてを再認識していた。
「──……って! そんなことはいま、いまは! いまだけは!!! どうでもいいんですよっ!!!」
まったくもってその通りである。俺はハリの言い分にこころの底から賛同していた。
そうするより他はなかった。そうでなければ、少しでもこの魔法使いの意に反することをすれば、俺の命はこの中途半端な地点にて一時停止、……いやあるいは、永久凍結を喰らうことになる。
何故か? 理由は単純かつ簡単で、ありきたりである。
俺達は今、人喰い怪物に襲われ、喰われそうになっているところを追いかけられ、逃げている真っ最中なのであった。
「悪いなあ」
罪悪感と共に、俺は意識を少し過去に戻している。
たしか。
…………。
たしか、こんな感じだった。
「真名についてお話してみましょうか?」
「いや、いいよ」
説明口調が始まりそうな予感を、俺はハリの提案を拒否することで回避していた。
別に話を聞くのも悪く無いアイディアだとは思う。未来の時間から過去を振り返ってみて、たくさん生まれるであろう選択ミス。そのなかでも取るに足らない、ささいな欠落でしかないのだろう。
「あ」
気付きの声をあげたのはエミルの方が先だった。
しかしながら、命の危険について、そのための対処方法を行動に移せるか。選択を成功に導いたのはハリの肉体が先手であった。
「!」
音が聞こえたような気がした。草木の上を何か、湿った長いモノが這いずりまわるような音。
俺が気配に気づいて、まずは視界のなかに正体を掴み取ろうとした。
その時にはもうすでに手遅れであった。と、そのことに俺自身が気付くことが出来たのは、俺の体がハリによって抱え上げられていた。
その結果の後の産物でしかなかった。
抱え上げられて、中古品の絨毯のように運ばれる。
と言うよりかはむしろ、その場から緊急回避を受動的に強行されているにすぎなかった。
崩壊の轟音が聞こえたような気がした。
確信をうまく持てないのは、実際に眼球の中に映っているのがただ車椅子が破壊されたという、破壊行為としてはあまりにも小規模すぎる結果を先に知ってしまった。
ただそれだけのことに過ぎなかった。
バキバキバキバキバキバキ、メキャメキャメキャメキャ!!! グシャアア!!!
間違いなく俺の体の一部になっていたモノ。
ようやく自分の内側、内層の仲間に組み込まれ、違和感なく扱うことが出来るようになってきた。
だというのに、大きな存在はいとも容易く、それこそ自転車のタイヤが空気漏れを起こすような気軽さにて、俺の肉体の一部はそれに……
……人喰い怪物、らしきものによって破壊されていたのであった。
「なんだあれ?」
とりあえずのところハリのおかげで車椅子と心中することは避けられた。
それは少し残念なこととして、俺は破壊を来たした存在について、その正体を考えようとした。
まずは観察。
しかしていざ見澄ましてみると、語るべき内容があまりにも多すぎていた。
分からないなら分からないなりに、なるべく詳しくことを言葉にするべきか。
いや、それだと効率が悪い気もする。ここはひとつ、引用でもパクリでも何でもやって、より分かりやすいイメージを獲得しなくては。
「あれは……ッ!」
ハリに抱えられたままで、俺は的確なる表現方法を選んでいる。
「原作オオトモ・カツヒロ氏による劇場アニメ版「AKIRA」、上映一時間四十七分付近で現れる怪獣形態キャラにそっくりだ!!!」
「とても分かり辛いっ??!」
俺の表現方法にハリが早速コメントを送ってきていた。
「えー……なんでだよ」
「相手」が動こうとしている。
まだこちら側、つまりは古城にのこのこと迷い込んできた憐れな肉と血液と魔力の塊。もとい約三名ほどの人間の群れには気づいていない様子だった。
「何でも糸瓜もありませんよ、ルーフ君」
くるりと俺の視界がその、「怪物らしきモノ」から逸らされている。
のは、ハリが俺を右側の型の上に抱えたままで、ハリ自身が怪物の方をもっとよく観察しようとしていた。その試みによる必然的な現象に過ぎなかった。
「そもそもそういう、他の作家方々の作品っていうのはですね、著作権的にとても厳しく礼節に守られているわけでして……。
つまりのところ、たかが怪物に出くわして喰い殺されそうになっている程度のことで、易々と使用して良い方法ではなくてですね……──」
くどくど。




