表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1266/1412

多分カフェインの摂取のし過ぎですね

こんにちは。

 エミルはあっけらかんと、飽く()善意に基づいた提案だけを俺に伝えていた。


「遠慮するこたァ無いよ、これから仕事仲間になるんだから、むしろ相手の技量はしっかりと知っておいた方が色々と都合が良いだろうよ?」


 エミルの予想はおおむね正解に近しい。しかしただ、ひたすらに正しいだけだった。

 波声(なみこえ)湾に広がる、太平洋へと繋がる大海原、水平線のように果てしない正当性に俺はただひたすらに打ちのめされている。

 いっそのこと、生まれて初めてこの灰笛(はいふえ)で海を見たときのような、それに似た感動さえ覚えそうになっている。


「君も絵が上手いんだろ? だったら他の人の作品をどんどん見て、どんどん真似して、上達し続けなくちゃならんだろ」


 自分にはどうしようもない存在。どう足掻こうとも、抗おうとも、俺みたいな人間禿げクソ猿にはどうしようもない領域、世界の仕組みがある。


 それらを目前にした、あの絶望感に似た苦みと辛さが胸の内をごろごろと転がり続けている。


「そんな……ボクごときの描いたものなんて、作品と呼べるかどうかも怪しいレベルですよ……」


 俺の絶望など知る由もなく、しかして知っていたとて彼に何の落ち度も非も罪もない。

 ハリは少しくどいほどに言葉にこだわっている。

 そうしていながら、手元には一枚のアナログイラストレーションが完成しているのであった。


「見せて……ください、ハリ先生」


 呼び名を更新した。新しい認識が俺の中に決定されて、肉体の一部、骨のかけら、血液の赤いひとしずくに組み込まれていく。ような気がした。


「はいはい」


 こちら側の覚悟や決意など知らない。知った所で、本人にしてみればさして重要な問題でも無いのだろう。


「どうぞ、お粗末なものではありますが……」


 確実に謙遜だった。しかもかなり下手くそな部類に入る謙遜だ。

 飲みの席で「私ってそんなに持てないんですぅ~」とオフショルを指でたくし上げるセミロングの女並みに下手くそな謙遜……!


 むしろ腹立たしささえ覚えるのは、あくまでも俺の嫉妬心が仕様もない、どうしようもないものでしかないからなのだと。

 そうなのだと、自分に納得させながら、俺は勇気を振り絞って先生の作品を見ていた。


 それは車と蜂の巣が一体化した不思議な機械の上に、真珠の粒のように愛らしい少女が機嫌を良さそうに乗車している絵だった。


 鉛筆の身で描かれた、スケッチブックと墨の色がモノクロの心地よいシンプルさを持っている。

 構図や車の構造、その再現度とメリハリ……その他絵としての技法は目を見張るものがある。


 色々と言いたいことはあるが、しかし何よりも、とにもかくにも少女の姿、それが俺の目を惹きつけて話さなかった。

 花がほころぶ、とはこのことを言うのか。それは実に見事に可憐な少女であった。

 しっとりとした黒髪はサラサラと風に流れる。象牙の櫛のように繊細で、だが確かに肉の重さを誇る指先はたおやかに車のハンドルに触れている。


 農作業に都合が良さそうな頑丈な造りのジャンプオーバーオールは、まるで本物の素材を切り抜いたかのようなリアリティ。

 細やかな陰影は、布の下に潜る少女の裸を確信的に想像させてくる。

 実に扇情的だ。


 いったいどうして、こんな素晴らしいイラストを、どのようにして描くことができたというのだ。


「これはですね、先ほどのミゾレさんを見て、その姿から着想を得たイラストになるんですが……」


「はああッ?!」


 何だったか、信じ難い言葉、と言うよりかは……信じたくない事実、現実が目の前に急に出てきていた。


「ちょっと待て……今なんつった?」


「ミゾレさんの持つ肉体のたっぷりんこな脂肪のあれやこれやから着想を得て……──」


「い、いや!!! やっぱいい!!! それ以上は何も言うな!!!」


 ポニーテールの瑞々しい少女の恋の歌が、実のところは中年を熟したいけすかないヤロウなプロデューサーの作詞であったことに気付かされた。

 別に気づきたくもないのに、あえて知ってしまった。

 知った後の苦しみがまた一つ、俺の人生に重くのしかかってくる。


「相変わらずこの世界のありとあらゆるものを美少女に帰る気構えなんだなあ」


 エミルが感慨深そうに、しみじみとハリの絵についての感想を言葉にしている。


「う、うう……」


 俺はと言うと、なんとも情けないことに吐き気に見舞われているのであった。

 とは言うものの、嘔吐すべき内容物などほとんど無い。

 朝食はすでにほぼ消化しきってしまっている。


 それもそうだろうと、俺はなけなしに自分を納得させようとする。


 朝もすべてが終わるよりも前に他人が、人間が一名ほど首と胴体を解体されるショーを見せつけられたのである。

 そこからさらに続けて魔法使いと異形のモノの七転八倒に巻き込まれた。かと思えば個人情報を全世界にさらされる。


「何だこれ」


 自分でも訳が分からなかった。

 ただ一つ分かると言えば、吐きたくてもなにも吐けそうにない。ただ嗚咽だけが皮膚の毛穴を縮小させるばかりであること。

 ただそれだけの事であった。

ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ