とっとるとっとるとっとる風
こんにちは。ご覧になってくださり、ありがとうございます。
「大変です……っ!」
ハリが慌てている。こころの底からの感情、動揺はしかしながらわざわざ言葉にするまでもなかった。
それこそハリや俺、ミッタ、肌色の鎌の男性の他、バスを利用している憐れな乗客の全てが瞬間的に把握している緊急事態であった。
「……」
物言わぬ静物になってしまった、バスの運転手の前方にて、操縦者の意識を失ったバスが暴走を起こそうとしていた。
ガリガリガリッ!
硬いモノが削れる騒音が聞こえる。
それは飛行しているバスの側面が、同じ空の上に浮遊しているビルの側面にぶつかった、現在進行形の異常事態を知らせる轟音であった。
バスが大きくかたむいている。
元々空を飛んでいるのである、均衡が崩れた際の崩壊度は陸上バスの比ではない。
現状は何とか墜落だけはまぬがれている。
ここはバスそのものに組み込まれた魔術式に感謝するしかなかった。
バスが傾く。
それに合わせて中身、主に人間たちの体もバス内の横へと転げ落ち、互いの肉体で生命の安全を圧迫し合っていた。
苦しそうな呼吸の気配。
それぞれに動物の特徴を模した聴覚器官たちが、ふわんふわんと柔らかな体毛を冬の気配に吹き飛ばされる薄の群れのように揺らめいている。
耳の群れ、肉の密集から悲鳴があがる。
バスの運転手が実質消失してしまった、このままでは危ない!
それは誰もがいずれ至るであろう最悪の結末だった。
だからこそ、俺がこのバスの内部にいる他の誰よりもはやく、先んじて行動を起こそうとした事など、さして重要でも大切なことでも無い。
そのはず、そうだと思いたかった。
「……………ッ!」
息をするのも忘れそうになるほど焦っている。
車椅子の車輪を回転させて、俺は自分の肉体をバスの前方、人々の波の向こう側、空になった運転席へと進ませようとした。
「…………??」
だが上手くいかなかった。
何故か、どうしてだか分からないが体が思うように動かなかったのである。
この感覚、どのように表現すべきだろうか。
全身を木工用ボンドに漬け込んで三分ほど放置したらこんな感じになるのではなかろうか。
…………なんか、脳みそゼリーのゴミクソ馬鹿なユーチューバーみたいなイメージだな、コレ。
ともあれ、俺の体は自由意思のほとんどを阻害されたままになっていた。
理由は分からない、どうしてこんな事になっているのだろう。
不可解さが暴力的な質量と重量を持って意識を圧迫する。
呼吸を奪われるように、理性が2B鉛筆よろしくゴリゴリと削られていくのを感じる。
肉体そのものが凝っているというのに、悲しいかな、車椅子の方は稼働能力をガンガンに働かせているらしかった。
ちょっとの前傾の身で、あとはバス全体を支配し尽くす重力の崩壊。
それらさえあれば俺の体は前方につんのめり、車椅子の外側へ無為に、無力に放り出されるのみであった。
せめて目を食いしばる……じゃなくて歯を食い縛ることで衝撃に備えようとした。
無駄な行為だと頭の片隅で理解しつつ、俺は来たるべき痛みに恐怖している。
「…………?」
しかし落ち行く俺の体を受け止める腕が一本。
「だいじょうぶか?」
以外にもかっこいい声、なんというか学生服が似合いそうな爽やかなイケメンボイス。
「あ、ありがとうッす……」
俺は助けてくれた腕の持ち主、デブ気味の男性に礼を伝えた。
彼は相変わらずスマートフォンで何かしらの撮影行為を続行している。
最初は気づかなかったし、意識することも無かった。
だが、ここまで徹底しているとむしろ尊敬をおぼえつつ、やはりほのかな不快感を芽生えてくる。
とはいえ、しかしながら今は緊急事態、多少の不快感と個人情報がなんだというのだ。
お礼だけを伝えて、立て直した姿勢の先に俺はもう一度車椅子の車輪を前進させる。
他人との触れ合いがコミュニケーション能力を中心とした基本機能に効果的な改善をもたらした。
と、言えば聞こえが良いが、実際はスマホジャンキーデブとの不本意な密着、そこにおける不快感が肉の凝りを忘却させてくれたにすぎなかった。
たどり着いた先、俺は人並みをかき分け、と言うよりかは他の人が勝手に血まみれの俺を避けてくれたのだが、ともかくバスの運転席に辿り着いている。
「ハリ!」
俺は魔法使いの名前を短く呼ぶ。
「はい?」
名前を呼ばれた魔法使いは一瞬だけきょとんとしている。
理由も真意も置いてけぼりにしたままで、俺は魔法使いに要求だけをしている。
「これ、どかせ」
動体を掴み、俺は運転手を別の場所に移動させようとする。
当然俺の腕力だけではどうにもならない、だから魔法使いの助けが必要だった。
ハリが運転手の胴体を鷲掴みにする。
「よいしょ」
小さな掛け声だけ、それだけでハリは軽々と運転手の体を運転席から外していた。
「何をするつもりなのです?」
ハリに答えを返すよりも先に、俺は自分の体を上半身の可動域だけで運転席に移動させていた。
「ここはいい、お前は「アレ」を相手し続けてろ」
命令文のようなもの、しかし実際は懇願に近い要求だけであった。
「車、運転できるんですか?!」
ハリが俺に至極まっとうな疑問を投げかけている。
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