僕の最強は誰にも渡さない
こんにちは。ご覧になってくださり、ありがとうございます。
こいつは一体何を言っているのだろうか? 俺にはまったくもって、皆目見当もつかなかった。
俺の理解力を地平の彼方に置いてけぼりにしたまま、そのままで、七三分け(三の部分が少し少なめ)の若い男性が引き続き俺に微笑みかけてきている。
「ああ……嗚呼、そのお顔、まさにあの御方に生き写し、この世のすべての宝石よりも美しい、奇跡の見目麗しさ」
なんだかインターネット上にはびこるステルスマーケティング並みに都合のいい事ばかり語っているような気がする。
いったい誰のことを言っているのだろう?
このなんの変哲もないバスの中にそんな、そのようなハリウッド女優も砂場の上にひれ伏すような美人がいるというのだろうか?
「ああ王子様、星から産まれ星に至る愛しの王子、ルーフ様」
俺の名前を言っている? 聞き間違いかと思った。
…………いや、思いたかった、と表現したほうがより俺の現実な心理状況に則していると言える。
認めたくなかった、大きく二つの意味において。
一つは今しがた絶対的な殺害行為を人間に働いた人物が自分の事を認知しているという状況。
これはかなりマズイ、もしかすると次のターゲットは俺かもしれなかった。
希死念慮は常日頃からしつこい鼻風邪のように患ってはいるものの、こうして実際に、直に死の場面を目の前にすると途端に生への執着心が爆発的に増幅してくるのを感じる。
胸の内に灯油ストーブの熱よりも熱い生命力を抱きながら、俺はどうにかしてこの場を生きて、可能ならば五体満足でやり過ごせる方法を頭のなかで検索しようとする。
…………あ、でもすでに右足は喰われっぱなしだから、五体満足のクエストについてはゲームオーバー済みか。
なんでもいい、どうでもいい、とりあえず次の理由、もう一つについて。
ただ単に、俺は他人からこんなにも尊重される理由が見つからなかった。
これに関してはただの不理解、相手の言葉を自分の内側、内層に認めることができなかった。
ただそれだけの事である。
なのだが、しかし、だというのに、こころを占める理由の割合は二番目の方が多く、色濃く、コンロの上の油汚れのようにしつこいモノのように思われて仕方がなかった。
ともあれ、どうやら他人の首を刎ねたばかりの、男性は俺のことを知っているらしかった。
「ルーフ様」
男性は血に濡れた右手、薄だいだい色の巨大な首切り鎌に変形させた一部分を抱えたままで、俺の目の前で体を屈めている。
しゃがみこんでいるが、どうしたのだろう? お腹でも痛くなったのだろうか?
「お会いできて幸甚の限り、この上ない喜びと光栄でございます」
どうやら腹痛では無く、男性は俺に向けて跪いているらしかった。
「このような下賤の民草に危害をうけられたこと、大変申し訳なく思います。せめてわたくしめがもう少し早くこの場所に、貴方様のもとに駆けつけていたのならば? ああ、ルーフ様がお気を悪くすることなど無かったというのに!」
いよいようつぶせ、匍匐前進でもしそうなほどに、男性は姿勢を低くしたままで俺の方に近づいてきている。
そして足の爪先、親指の辺りに左手を、まだ人間の形を保ったままの指先で触れている。
もしかしたら、俺はいまから足の指を剥がれるのだろうか。
そうだったら良かったのに、ほのかに期待しているのは、少しでも多めに相手に対する害意を抱きたかったからに過ぎない。
しかし俺の期待は外れることになる。
男性は別に、俺なんかの爪を剥ぐつもりなく、かと言って何をするかと言えば、なんと、俺の足に口づけをしているのであった。
何だったか、なにかしらのマンガでオッドアイのイケメンが美少女にこのような真似をしていた、俺はそのシーンを思い返していた。
それが他人に対する敬意、と言うよりかはそれを通り越して隷属を乞う行為であること。
そのことを思い出している頃には、俺の体から野郎の体が押し退けられていた。
実に素早い手つきであった。
男性は右手の巨大な鎌で、いましがた自らの手で首を切断した野郎の、ほぼ死んでいる肉の塊を俺の体から剥いでいる。
動作は時間、時計の針の進み具合に換算して五秒、六秒も経過していなかったのだろう。
正確なところは分からないが。
ともあれ、野郎の体は虚しくもバスの床の上に落ちていく。
ベチャリ。と湿った音を奏でているのは、まだこんこんと染み出ている首の切断図、太くて大事な血管から漏れ出る血液のあたたかさ、柔らかさの質量だった。
俺が死体になりかけの胴体を眺めている。
ぼんやりとしてしまう、のは状況があまりにも急展開で、現実感が著しく欠落しているからだったのだろうか。
答えを求めても解答は返ってこない。
その代わりに、俺の体は他人の体温に包まれていた。
抱きしめられた、他人を殺そうしたばかりの男性の腕の内側に抱きすくめられる。
まるで戦乱の時代に生き別れた家族、恋人、兄妹にでも再開したかのような、それほどに強烈な愛情の表現方法であった。
「愛しています」
男性は俺に告白をする。




