舌打ちするならツバを汚らしく飛ばす勢いで
こんにちは、ご覧になってくださり、ありがとうございます。
バスは上から来ていた。
空を飛んでいるバス、車輪はゴムを下側に噛むのではなく水平に、まるでベイゴマのように回転をしている。
しゅるるん、しゅるるん、しゅるるん。
細い管から空気が噴出されるような音色を奏でながら、空を飛ぶバスがバス停に到着している。
ふしゅるるるん。
満腹感を獲得した獣の寝息のような空気の気配を吐き出す。
バスの車輪がすみやかに回転し、タイヤの黒く分厚いゴムが地面をしっとりと噛んでいる。
「さーて、今日も今日とて一番運転席に近い席をぶんどりますよ!」
「なんでだよ」
「そう言う趣味です、車窓の向こう側を見るのが趣味でして」
「へえ、いい趣味だな」
皮肉や嫌味を込めた訳では無い、少なくともこの時点では。
俺も乗り物に乗る時は、可能ならば若干強引な手を使ってでも窓際に座りたいタイプなのだ。
それこそ生まれて初めて故郷の村を飛び出した時も、俺は窓際の席で生まれて初めて見る都会の風景に夢中になっていた。
それはそれとして。
「だが、残念だが、俺はそっちの入り口からは入れねえや」
「あ」
ハリが気付いている頃には、すでにバスの運転手が的確な作業を行おうとしていた。
「押しますよ」という声掛けののち、俺はバリアフリーに特化したバスのスロープの上を移動しているのだった。
バスに乗車。
「うーん、失念してました」
「なんだよ、人間社会上における自分の存在意義について忘却したのか?」
「違いますよ……そんな哲学者みたいな崇高な悩みではありませんよ」
あれこれくだらない話をしている間に、地面の上に一時的に降り立っていたバスが浮遊をしている。
目的地に向かうための飛行。
灰笛、……ないしこの世界では空を飛ぶ乗り物などさして珍しくもない。
そう言う認識を教えてくれた、祖父の姿をまばたきの瞬間的な暗闇のなかで思い出す。
揺れるバスの中、ハリは結局窓際の席に座ることなく、俺のそばに寄りかかるようにしている。
「んるる……」
と、俺にしか聞こえない程度の音量で喉の奥を鳴らしている。
不満げにしているのが、愚鈍な俺でもそれなりに把握できてしまえる。
それもまた魔法使いの残念なところの一つでもあった。
「一応ながらも監視官としての役割を賜ったというのに、これではまるでボクがルーフ君にお世話をさせらているような心持ちですよ」
「それは最悪だな。俺だってお前なんか世話したくねえよ」
「ですよねえ」
互いにある程度までは正直なこころを語れるのは、もうすでに他人では片付けられそうにない関係性の累積にすぎなかった。
バスが進む。
「目的地までどれくらいかかるんだ?」
「そうですねえ……乗り場を三つほどこえた辺りなら、一番最寄りになるのではないでしょうか」
どれくらいの時間がかるのか、想像をしようにも俺はこの土地のことなどまったくもって知らないのである。
故郷の村であったならば、自転車なり自家用車なり、あらゆる移動手段から想定した到着時刻を計算、導き出すことができるというのに。
しかし残念なことにここは灰笛、そしてさらに俺はもっと知らない土地へと移動させられようとしているのである。
分からないことは分からない。
そう思えるほどには、俺はまだ人生について何も知らないままでいるのだった。
あれこれ考えを巡らせている。
そのついでに俺はバス内の様子を簡単に観察することにした。
とは言ってもとりたてて語るべき内容は見つからない。
ノートパソコンをたくみに捜査している若いOLらしき女や、ひっきりなしにスマホを操作している脂肪まみれな男。
その他、いずれかの目的地にバスを使って向かおうとしている人々。
それらは俺と同じ人間であり、そして同時にどうしようもないほど交わることのない他人でもあった。
走行している内に、空を飛ぶバスは次のバス停へと到着しているのだった。
当たり前のように空を飛んでいる。
バスは空を飛んだままで、当然のごとく空のうえにあるバス停に止まる。
扉が開けば、空のうえ特有の冷たい風が車内へと侵入し、空気の中に新しい色を塗り重ねていく。
自由が効く体であるのならば、そして俺がもう少し大人の余裕を保有していたのならば、矢張り大人の余裕を持ってバスの安全地帯に身を置くことができたのだろう。
そうするべきだった、理論的にはそうなるはずだった。
……しかし得てして、愚か者の組み立てる理論と言うものは現実において失敗するものだった。
「……チッ」
見ず知らずの他人に舌打ちをされている頃には、俺は自分がバスの乗車口に身を乗りだす勢いで近付いてしまっている事に気付かされていた。
「おいガキ、邪魔なんだよ、どけや」
言い訳や謝罪を考えようとするよりも先に、他人の男は立て続けに自分の意見だけを主張している。
「ったく……ショーガイシャがバスなんかのってんじゃねえっつうの」
言葉に怒りを覚えているのは、俺では無く、俺の後ろ側に立っている魔法使い約一名であった。
「ちょっと、その言い方は無いんじゃないです……──」
言いかけた言葉は、しかし俺の抑制によって中途半端に制止させられていた。




