夢のなかであいましょう
こんにちは。
動けるはずがない、俺はそのことを知っていた。
何故ならこれはただの夢で、もっと詳しく表現するとすれば、睡眠中に俺の経験、記憶を元ネタにかりそめの現実感を抱かせるもの。ただそれだけこと、そのはずだった。
だからこそ決まりきった映像、祖父を殺した光景だけを見続けることができる。
だからこそ、俺は家族を殺した罪を再認識することができる。
「それってただの自己満足、オナニーと変わらないじゃない」
いきなり何を言いやがる。出会い頭に放送禁止用語を平然とぬかすとは。
放送倫理だったり、言語統制であったり、その他諸々の社会的都合。
それらを原動力にしつつ、俺は色々な意味で怒りを覚えそうになる。
手の中の刃物を捨てる。
祖父を殺すために使用した刃が音も無く消えていった。
血液で真っ赤に濡れた手の平のままで、俺は夢の中に登場した「ヤツ」の方を凝視しようとする。
見た、そこには約一名の女らしき姿が佇んでいた。
「でもオナニーだとちょっと可愛い感じがしちゃうよね。もっとかっこいい感じにしたいなら、マスターベーションの方がそれっぽいかも」
そんなことを言っている場合か?
というか、それ以前に、それ以上自慰行為の呼び名うんぬんについて議論するのは危険な行為の様な気がしてならない。
…………ほら、アレだろ? 世の中にはちょっと言葉の使い方を間違っただけで、まるで鬼の首を取ったかのような正義感を振りかざすやつとか、山よりもたくさんいるんだぜ?
俺はそれらの必要性を解くために、女のような声を持つそいつのこと見る。
もうすでに、かなり夢と現実の境い目が曖昧になりつつあった。
えっと、これは夢だよな?
「まあ、行為の名前なんてどうでもいいんだけどね」
女がそう語る。
姿形は、やはりと言うべきか女そのもののようにしか見えなかった。
サラサラとした黒髪は毛先を胸元にまで至らせている。
黒色を基調としたセーラー服。
襟は白色で、胴回りのカラーと同じ色の細いラインが走っている。
襟からのぞくリボンは赤色。
まるで新鮮な人間の血液で染め上げたかのような、ある種の危機感をおぼえさせるほどに鮮やかな赤色。
それをスカーフに、胸の衷心より少し下にて一つに結んでいる。
胸元は薄い、肉の凹凸を感じさせないことを相手に伝えるべきか否か。
俺は邪念のようなものを振りはらいつつ、女の細い腰へと視線を移す。
「しなやか」とは聞こえが良い、しかしむしろ栄養不足を心配したくなるほどに細い腰回り。
そこから下半身、スカートは膝が少しのぞく程度。
短いか長いかで表現するとしたら、露出面で言えば長めのスカートと言える。
スカートの裾からのぞく足は枯れ枝寸前ほどにほそっこい。
白色のハイソックスが無ければ、ダークブラウンのローファーの重さにも耐えられないのではなかろうか。
「上から下まで、じっくりヌメヌメとした観察ご苦労様」
自覚している以上に長々と凝視してしまったらしい。
俺は慌てて視線を女から逸らそうとする。
「どうせなら、この最高に可愛いフェイスを見て欲しかったのに」
女は自画自賛をしながら、頭部に生えている黒猫のような聴覚器官をピコピコと小さく震わせていた。
「ルーフ君って、本当にちょっと世間からずれているよね」
眠子(猫の特徴を持つ獣人族の一種のこと)であるらしい女。
…………いや、むしろまだ少女の域すら脱していない。
俺は自分と同い年ぐらいであろう、少女に向けて問いを投げかけている。
「なんで、俺の名前を知っているんだ?」
自己紹介をした覚えはない。
そもそも家族を殺害したばかりの光景のさなかで、見ず知らずの少女に快活な自己紹介をするような輩が、果たしてこの世界にどれだけ存在しているというのだ。
ちなみに俺は約一名……いや、二人か? そのぐらいだったら指名することができる。
それはそれとして、俺は少女の主張に耳をかたむけることにする。
「そりゃあもちろん、最近巷を騒がせた少年Rと言ったら知らない人はいないんじゃないかな?」
「おい、テキトーなこと言ってんじゃねえぞ」
反論が思い浮かび、おもわず声を発していた。
そして俺は驚いていた。
かなり動揺をしていた、夢のなかで自分の音声を使えるのはこれが初めての事だった。
「ところでさ、もしかしてルーフ君はまだこれがただの、「普通」の夢かなにかかと思っているつもりかな?」
「違うのかよ」
質問をしようとして、しかして思考をすぐに変更する。
「ちょっと待て、これってもしかして夢じゃないのか?」
少女が黒猫のような聴覚器官をピン、とまっすぐ立たせている。
「その通り、ちょっと君の精神世界を汚染して、こうしてお話をしているんだよ」
それってかなりヤバい技を使われているんじゃないか?
大丈夫なのか? 俺のメンタリティ。
「大丈夫だって、君の精神のひとつやふたつが崩壊しても、この世界のほとんどはそれに困ることなんて無い」
「この野郎!」
少女、しかも美少女に向けて使用する罵倒としてはあまり相応しくないような気がする。
だが時すでに遅し。
せめてこれがただの夢であったのならば、まだ非現実の中に救いを求めることができたかもしれない。
しかし現実はそうはいかなかった。
「それで? お前は俺の精神世界になんの用があるんだよ?」
どんな質問文だ。
自分で自分の言葉に疑問を抱かざるを得ない。精神世界に直接介入って……どんなディストピアものだよ、ジョージ・オーウェルもびっくりだ。




