モチベーションを首を絞めて殺してやる
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怪物の喉笛に、少し前までキンシだったはずの怪獣が噛みついていた。
肉体の表面は骨のように硬く、そう易々と喰いちぎらせようとはしなかった。
「んぐるるる……! ぐしゅるるる……!」
顎の力を強める。攻撃を続ける、怪獣の肉体は一人の人間では到底なしえないであろうパワーをみなぎらせていた。
やがて牙の先端が血管を破る。血液がどぷり……とあふれ出ていた。
小さな噛み傷、たったそれだけでは怪獣の巨大な肉体に含まれている血液をすべて回収することなど至難の業なのだろう。
もっと深く噛まなくては、もっと多くの肉を破らなくては!
意識や意向が命令文となって、単純化された怪獣の思考に行動力を紡ぎあげている。
しかして、黒猫の怪獣一匹だけの力では目的を成し遂げることは難しそうであった。
怪獣はそれに気付いていない。飢え、乾いた獣の思考では冷静な判断など出来ようもなかった。
人喰い怪物が叫ぶ。
「 ああああああ ぎいいいいいいいい いぎいいいいいいぃぃぃ うぎいあああああヴぁア 」
喉を食い千切られそうになっているのに、実にいきのいい叫び声をあげている。
口を裂けんばかりに開く、食べるためではない、叫ぶために開いている。
体を大きくくねらせ、自身の肉体に噛みついている大きな黒猫を振りはらおうとしている。
「空中戦じゃあ、ちょっと分が悪いか」
冷静に状況を判断しているのはツナヲの声。
老人の魔法使いはいま、リッシェの胴体にまとわりついていた。
「ちょっとーあんまし腹のあたりさわんなよー」
リッシェが文句を言っている。
「さいきん太ったからさー、あんまし触られたくないんですけどー」
なるほどたしかに、服の上からでは判別することのできない肉の柔らかさがあるような。
……などと考えている場合ではないと、ツナヲはリッシェに反論をしようとする。
「悪いね、もうオレには空を飛べるほどの体力は残されておらんのよ」
しかし行動を止めるつもりは毛頭ないようだった。
「……でも、女の子ひとり? を助けるくらいの力ならまだあるね」
ツナヲは少し息を吸いこみ、右の人差し指を上に向ける。
呪いの火傷痕がオレンジサファイアのようにきらめいた。
輝きが人喰い怪物の口元に集まる。
またたく間にガラスの浮き球のような魔力の集合体が現れ、塊が開かれていた怪物の口の中にねじ込まれていた。
「おらっ! メインディッシュのあとのデザートだ!」
何時になく、久方ぶりに激しく体力と魔力を消費した。
疲労感、擦り切れる細胞たち。消耗の中で、しかしてツナヲはしばらく忘れていた若々しい激情を思い出しつつあった。
気合を込めた老人の魔法の一撃、方法としてはいたって単純なもの。
あめ玉のような魔法を食らった。
「 あぐむ むggggっぐ むむむむむむ むみむむyむむむむむむ むむ、う、う 」
怪物が苦しそうにえずき、もがいている。
異物の侵入に肉体が戸惑い、瞬間的に黒猫の姿を忘却している。
相手が油断していた。黒猫の怪物はそれをひと時も見逃さなかった。
爪をたて、牙をさらに奥へと食い込ませる。
肉を噛み、顎をそのまま勢いよく横に薙いだ。
肉が千切れる、ブチブチとした音色が空間の中に鈍く、湿った気配を奏でた。
骨のように白い体表に、怪獣の牙でこしらえられた創傷が赤々と艶めいている。
血が溢れる、ドクドクと流れる血液は濃厚なる魔力の気配を有していた。
「…………」
トゥーイがメイに合図を寄越している。
幼子のように抱きついていた腰回りを、右の人差し指でツンツン、とつついている。
幼児性のある合図の仕方に、メイは呆れるよりもどことなく温かみのある感情を抱いている。
なんだと言うのだろう? どうして自分はこうも、この魔法使いの青年に優しくしたくなるのだろうか。
理由を考えるよりも先に、メイは魔法使いたちが望む行動を用意している。
トゥーイの体をメイは怪物たちのいるところに運んでいる。
上まで魔力の翼を使って飛ぶ。辿り着いたところで、トゥーイはメイの体から手を離している。
落ちる最中にて、トゥーイは武器を強く、強く握りしめている。
琥珀色のギター、に似た形状を持つ魔法の武器。
トゥーはそれを大剣のように、黒猫の怪物の背中めがけて縦に一閃、切り裂いていた。
切り裂かれた、トゥーイは黒猫の怪獣の背中にへばり付く。
今日と言う日は異形のモノの背中に、毛じらみのように密着してばかりである。
トゥーイはそんなことを考えながら、怪獣の肉体から再び魔法少女の姿を取り戻していた。
引きずり出された、キンシが叫ぶ。
「縛って!」
それは自分自身に向けた命令文であった。
魔法使いの少女の意思に従い、彼女の肉体と同化していた怪獣の肉体がほどかれていく。
またたく間に猫としての形を失い、あとには大きな糸の塊へと変容している。
金色に輝く糸の群れ。それらが人喰い怪物の肉体へと巻きつけられていった。
全てを丸ごと、蚕蛾の柔らかく肥った幼虫ように包み込むとまではいかなかった。
「ちょっと少ないですが……」
キンシは不安の中で左手を握りしめている。
「しかし、為せば成る、です!」
キンシの意向に従い、魔法の金糸が怪物の肉体を締め上げていた。
新鮮な果実から瑞々しく、若々しい果汁を搾り取るように、金色の糸が怪物の肉体を締め付け続けていた。
「 あきゃ 」
怪物は悲鳴を上げようとした、だが上手くいかなかった。
喉の奥にはオレンジ色のガラス玉に埋め尽くされ、喉もとは黒猫の怪獣に喰いちぎられている。
糸が締める。
ギュウギュウと締め付けられる、怪物の傷口から次々と赤色の血液があふれ出していた。
あふれる血液は、しかして他の体液とは異なり雨の雫に溶けることをしない。
交わり薄まることもなく、あくまでも唯一を守り続けている。
怪物の周辺には、さながら臙脂虫で染め上げた赤色のカーテンのような揺らめきが漂っている。
血液は「普通」のそれらとは異なり、流れ落ちることもなく、ただそこに存在し続けるだけだった。
やがて怪物の肉体が糸によって元の形の三分の一程度まで縮小された。
その頃合いになって、空っぽになった怪物の肉体が動きを止めている。
そして、そのかわりと言わんばかりに、こぼれ落ちていったはずの血液たちがひとところに集合しようとしていた。




