黙々と続く状況が楽しくてたまらないのです
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髪の毛。魔法使いの少女がもつ夜空のような黒い髪。
その質感を想像するほどに、トゥーイはこころの内に葡萄酒のように深い味わいの喜びを実感している。
腕にあらん限りの力と喜び、まだ見ぬ願望を込めて魔法少女の体を怪物の肉と肉のあいだから引き抜いていた。
赤色だったり透明だったり、血液滑液髄液等々、実に様々な体液にまみれながらキンシの肉体はこの世界に産まれなおしていた。
怪物の肉壁から引きずり出された、キンシの体は怪物の体液にべったりと染まりきっている。
ヌメヌメのずぶ濡れになっている、魔法少女の血色の悪い頬に湿った髪の毛が貼り付いていた。
呼吸は無事だったのだろうか? メイは第一、瞬間的にそれを不安に思う。
「げほっ……! げほげほっ……!!」
白色の魔女の不安点は、キンシの喉元から発せられた咳の気配にいったんは解消されていた。
とにもかくにも、命は無事だったらしい。
「…………」
トゥーイはキンシの体を腕のなかに抱き締める。
強く、強く、抱き締めている。
腕の強さは再会の喜びが八十パーセント、残りの二十パーセントは次に起こさなくてはならない行動の準備段階のためだった。
トゥーイはキンシの体を抱えながら、唇の中、前歯でシースナイフの背を固く噛みしめる。
そのまま怪物の肉体を足で大きく蹴っていた。
怪物の体から飛び上がる。
空を飛ぶ方法を知らない、持っていないトゥーイの体はキンシごと落ちていく。
惑星、この世界がもつ重力に従うしかない。
トゥーイは自分の背中を地面側に向ける、自分の肉が粉々になるのも覚悟で、とにもかくにも人喰い怪物から魔法少女を完全に救い出したい。
そう言う所存、こころはその思考で満たし尽くされていた。
しかし魔法使いの青年の願望は現実に否定される。
「無謀じゃん!」
若者のように若々しく叫んでいるのはツナヲの声だった。
トゥーイの耳、白色の柴犬のように整った形の聴覚器官が老人の声を拾い上げている。
と、同時にトゥーイの背中に感覚が伝えられる。
あまり硬度の無い要素たちが自分たちの体重を受け止め、何枚も、何枚も壊れていく。
薄いガラスが割れる音色の中、飛び散る破片に若き魔法使いたちは簡易魔術式が自分たちの体を受け止めてくれているのを光の明滅のように把握、理解していた。
ガラス板のような簡易魔法陣がのこり二枚となったところで、トゥーイとキンシの体はようやく落下の力をほとんど失うことができていた。
「危なかったなあ」
ビルの屋上の上、地面から少し離れたところ、魔法陣に引っかかっている若者二人にツナヲが笑いかけている。
「とりあえず、まずはお帰りなさい、と言うべきなんかな?」
トゥーイへの心配もそこそこに、ツナヲはキンシの状態を確認しようとしている。
姿勢を屈めて右の手、人差し指でキンシの頬に触れようとした。
種の国、スパイスをたっぷり使ったカレーが美味しい土地に伝わる文様に似た呪いの火傷痕が刻まれた人差し指。
老人の指が魔法少女に触れようとした。
「…………」
しかし彼の指をトゥーイがジッと睨んでいる。
ちょうど口にくわえているナイフのように、紫水晶に似た色彩の左目が老人を睨みつける。
その時になってようやく、この魔法使いの青年はほんもののナイフに見合った攻撃力、殺意や決意を抱き、そして満たされているのであった。
「落ちつきなって、トゥーイ君よ」
ツナヲは呆れるように指をいったんキンシから離している。
「せっかくビルから落としたスイカみたいになるのを止めてあげたってのに、その顔はいくらなんでも無いんじゃないかね?」
落下死についてを幾ばかりか独特な表現方法で話している。
ツナヲは人差し指でクルリ、と空中にて透明な円をひとつ描いている。
パリン、と割れるのはトゥーイの背中を支えていた簡易魔術式の数枚たちだった。
支えを失った、トゥーイの背中がようやくビルの屋上にぶつかりあっている。
「…………ッ」
少しの落下にトゥーイの呼吸が僅かに詰まる。
落ちた青年の腕の中、腹部の上でキンシがもぞもぞと蠢いている。
「んぐ、んぐるるる……」
喉の奥を低く鳴らしながら、キンシは小さく呟いている。
「……見つけました」
言葉を言う、手繰り寄せた情報を少しでも多く確実なものにするために、最も相応しいと思われる言葉を即座に選んでいる。
言葉を使う、その後にキンシの肉体が数秒遅れて現実を受け入れようとしていた。
「げほっ! げほっげほおっ!」
口の中鼻の中耳の中、肉体にある中で衣服に守られていない穴と言う穴に怪物の体液が侵入しているのだった。
「キンシちゃん」
うずくまって急きこんでいるキンシの背中をメイがやさしく撫でている。
「あ……ありがとうございます……」
呼吸を整える途中にて、キンシの意識は常識の上にあるべき思考の形を取り戻していった。
「みなさん……ご迷惑をおかけしました……。助けていただき、ありがとうございます……」
現状でできるお礼の言葉を口にしている。
そうしていながらも、少女の思考は一つの結論に囚われ続けているようだった。




