泣き声は止まりません
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ぽたり、ぽたり。と、メイの血液がビルの屋上に点々と落ちていく。
膝小僧より少しうえ、太ももが始まるあたりの血管をシースナイフで切り裂いた。
恐ろしき人喰い怪物が、白色の魔女の新鮮で真っ赤な血液の気配に気づいている。
「 あい??? あいあいあいあいあいあいあいあい あいいいいいいいいいいいいいいいいいい 」
目の前に上質かつ上品、甘くて瑞々しい魔力の姿を見出した。
飢えた人喰い怪物がよもや目の前の獲物を見逃すはずもなかった。
「 おぎゃあああああ おぎゃあああああああ おぎゃあああああああ ごぎゃあああああ !!!」
怪物は歓喜に満ちあふれた叫び声をあげ、滞っていた肉体を一気にこの世界のなかへと引き摺り揚げていた。
「…………」
トゥーイは怪物の姿形を見続けている。
メイもまた、目下に広がる異常なる異形をつぶさに観察しようと試みていた。
「 うああああああああああ うーーーあーーーー あああーーーーーーーーー あ 」
腹を空かせて不機嫌な赤ん坊を一つ所にまとめたような泣き声。
あるいはアルコールを過剰に摂取し、アスファルトの上に座りこむ酩酊した人間の不明瞭、意味をなさない、価値の無い呻き声のように不快な音。
音を聞きながら、メイはそこに意味を求めようとはしなかった。
目的はただ一つ、魔法使いの少女を捕食した忌まわしき人喰い怪物をこの世界に引きずり出すこと。
そしてメイの目的は彼女自身が想定していた以上に効果的な結果をもたらしていた。
「 ぎゃあ ぎゃあ ぎゃあ ぎゃあ ぎゃあ っぎゃあ ぎゃあ ぎゃあ ぎゃあ 」
怪物が激しく呼吸をしながら、今まさに、世界の狭間からこの世界に完全にその姿を現していた。
姿を見た、メイはかつて故郷の村で見つけたゲジの姿を検索していた。
人間の常識から大きくかけ離れている姿。
…………。
見た目のおぞましさ、いや、個人的な主観として足の多い生き物に拒絶反応を表さずにはいられない。
メイは虫を踏み潰そうとした。
しかし彼女の肩にそっと手が置かれる。
振りかえればそこには祖父の姿。
メイが祖父の名前を呼び、唇は質問文を紡いでいる。
…………。
さて、あの時自分は何を彼に問うたのか。
記憶に囚われかけている、メイは首を横にちいさく振っていた。
ふるふると頭部が揺れる。
灰笛に降る雨の雫が雨合羽が散っていく。
足音が聞こえる。ビルの上に走る青年の姿。
駆け出しているのはトゥーイの足だった。
紫水晶のような輝きを放つ、左目は真っ直ぐ怪物の姿を見つめていた。
巨大なゲジのような姿をしている。
人喰い怪物は猛禽類の頭蓋に細長く連立する骨の連続を持っていた。
脊髄をメイは頭の中で想像する。
頸椎にはじまり尾椎に終わる連続体。
細かい骨の連なり。とは言うが、あくまでも怪物の全長を基準とした比較でしかない。
実際に近くによって見れば、骨の一片は運送トラックのタイヤほどの巨大さを有しているのだろう。
メイは怪物の姿を見ながら、魔力の翼を羽ばたかせている。
羽根の一枚一枚が風をはらみ、追従する怪物を誘導する。
怪物がビルの屋上、近くの空間に身をぶつけている。
怪物の一部、骨が魔力鉱物混交コンクリートにぶつかる。
ゴリゴリと削れているのは怪物の肉体の方か、あるいはビルの一部分か。どちらにせよ、トゥーイには灰笛が破壊されることなどさしたる問題では無かった。
足が地面を大きく蹴る。
飛び上がる、トゥーイは怪物の一部分に乗りこんでいた。
「…………」
ナイフを歯のあいだに挟み両手をフリーにする。
自由が効くうちに怪物の肉体、脊髄に類似した巨大な部分をよじ登っている。
「 ??? ??? ??? ??? ???? ???? ???? ??? ? 」
体表に異物を感じた、怪物は頭部……? と思わしき器官を振り仰いでいる。
砕かれた頭蓋骨、トゥーイのギターに破壊され露わになった中身がボタボタとこぼれ落ちている。
たっぷりの水分を含んでいる中身。脳珊瑚の模様のようにうねる表面、木綿豆腐のように柔らかいかけらが崩れていく。
このまま完全に空っぽになるまでこぼれ落ちていけば、もう少し殺す段階が楽に済まされるのではないか。
メイはそう期待した。
しかし魔女の期待は外れることになる。
こぼれ落ちていくはずの脳みそは、落下と同時に次々と内側から増幅しているらしかった。
結局、心臓を破壊しなくては怪物に死はもたらされないのである。
たとえ肉を八つ裂きにしても、たとえ全身にガソリンをまいてライターを近付けたとしても、心臓が動いているのならば生命は続行される。
確実に殺す意識が必要になる。
そしてそれらの方法はいま、トゥーイの右手の中に握りしめられていた。
トゥーイは大きく息を吸いこみ、右手に握りしめたナイフを怪物のうなじにあたるであろう部分に突き立てた。
骨と骨のあいだ、わずかな隙間にナイフを沈み込ませる。
怪物が悲鳴を上げていた。
「 ! 」
アコーディオンのメロディーを何層にも重ね合せた、一個の存在では無しえない重音がトゥーイの聴覚器官を貫いていた。
白色の柴犬のような耳を反射的にペタリ、と平たくしている。
トゥーイの頬に生温かい液体が飛沫していた。
無色透明の粘り気のあるもの、女の股から滲み出る愛液に感触が似ている。
トロリした感触が頬を滑って落ちる。
滑液を溢れださせながら、怪物は大きく身をよじらせていた。




