これは決してにせものの餌ではありません
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後部座席の真ん中に座るキンシ。
魔法使いの少女の右側にて動く老人の姿が腕を動かそうとしている。
ツナヲと言う名の老人は、蜜柑色の瞳を車、クラシックなタイプの車両の内側をじっくりと眺めている。
「オートマチックじゃない窓開け、レギュレーターハンドルとか何十年ぶりに触ったかなあ」
ツナヲは妙に嬉しそうに、楽しそうに窓を開けるためのハンドルをクルクルと回している。
「んるえ? れ、れぎゅー……? ハンドル……?」
キンシが目をぱちくりとさせながら、見知らぬ機構の登場に関心を示している。
「なんですか? なんですか? それって、回すのですか?」
魔法少女が好奇心を持っているのを視界の片隅に、ツナヲはクラシックカーの狭苦しい後部座席にて腰回の環境をモゾモゾと整えている。
「ちゃんと見とりんよ」
キンシの視線が注目をしているのを視界の端に確認しつつ、ツナヲが指に掴んだハンドルをクルクルと回転させている。
きこきこと窓が開けられると、車内に更なる新鮮な空気が涼やかにふき荒れていた。
「おお~」
見慣れぬ仕組みにキンシが小さな感激をキラキラと胸の内に輝かせている。
「そう言えば、魔法使いのキンシさん、君は車の免許は持っていないのかな?」
ツナヲがキンシに質問をしていた。
「そうですね、車両の運転許可証はまだ取得しておりません」
「おやおや? 都会に住む若者にしては、ずいぶんと珍しいね」
ツナヲがそう言うのを、否定していたのは運転席のリッシェの声音であった。
「魔法使いなんだしさー、自分で空が飛べるんだから、わざわざ車に頼る必要も無いんじゃないのー?」
「あら、そうなの」
リッシェの言い分にメイが小首をコクリとかしげて不思議そうにしている。
「いや、しかしながらそれはかなりの例外だよ」彼女たちの言い分にツナヲはまだこの世界の事情に基づいた反論を用意することが出来ていた。
「空を飛べるほどの魔力は、通常……「普通」の人間にはなかなか使いこなすことなんてできないんだよ」
「んるる? そうなんですか?」
「そうなんだよ」
不思議がっている魔法少女に、ツナヲはこの世界の事情の一かけらを説明している。
「そうじゃなかったら、みんなわざわざ魔術や化学、飛行器官や電車、地下鉄バスタクシーを使わずに、自由気ままに空を飛んで生活するよ」
そう言いながら、ツナヲは窓の外から吹く雨風に、蜜柑色のフワフワな体毛に包まれた兎のような聴覚器官をそよがせている。
「風通しを良くしても、人口密度は高いままだよね」
ツナヲが、口ではそう言いながらも実際のところこの状況をある意味、楽しんでさえいるような雰囲気を声の上に漂わせていた。
「リッシェ君の仕事現場ってのは、もうすぐ着くのかな?」
「うんうんー、とりあえず探知機担当のコたち的にはー? このあたりにいい感じのが見つけられそうってカンジー?」
そう言いながら、リッシェは空を飛ぶクラシックカーのハンドルを上に動かしている。
車が上昇をする。
「でも、だとすると……」
キンシがツナヲに疑問を投げかけている。
「空を飛ぶ方法が無かった人たちは、どうやってこの世界を移動していたのでしょう」
キンシは想像力をつかおうとした。
知らない世界について想像をしようとした。
分からない。
「そうだなあ」
魔法少女にとって分からないことを知っているツナヲが昔のことを思い出していた。
「すくなくとも、建物はいまみたいにしっちゃかめっちゃか、みさかい無しのギュウギュウ詰めみたいにはなっていなかったなあ」
ツナヲは車窓の外側の光景を眺めている。
「ビルなんてものは一個もなくてさあ。木で作った家々はちゃんと土の上に立っていて、魔術式もほとんど使われていなくて」
ツナヲは遠くに向けていた視線を車内に戻している。
「だからさ、石炭とか脂とかをエンジンの中身で爆発させて、その推進力で地面の上で走っていたんだよ」
「地面の上しか走れないのですか!」
キンシの目が点になっていた。
「それはすごいですね! 空が飛べないとなると、人喰い怪物との戦いとも難儀しそうです」
キンシが過去の世界について空想しようとしている。
「考えているほど悲しいことばかりでも無かったよ」
想像力を働かせているキンシに、ツナヲは当事者としての淡々とした記憶だけを呟いていた。
「ただ、……うん、魔法使いは、そう呼ばれていた人たちは、いまほど楽しい訳では無かったかな」
そう言いながら、ツナヲは右の人差し指に刻まれている呪いの火傷痕、自らを魔法使いたらしめる証を眺めていた。
「いやはや、いい時代になったものだよ。ねえ? 「ナナキ・キンシ」さん」
彼が名前を呼んだ。
「はい」
魔法使いの少女がそれに答えている。
魔法少女の声を聞いた、ツナヲはそれに違和感を少しだけ覚えている。
「ともかく、だ」
しかしすぐに誤魔化すように、取り繕うように、ツナヲは次の展開に向けて新たなる感覚を期待しようとした。
「ミツバチたちの仕事場が、近づこうとしているらしいよ?」




