蜂蜜の都合なんて知らないままで時は過ぎゆく
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「んるる……?」
まるで問題事が自分に深く関連しているかのような、そんな言葉づかいである。
少なくともキンシは、リッシェの言葉にそのような解釈を導き出しているようであった。
「リッシェさん? あなたは、なにを知っていて……?」
「あー……うん、まあ、アレだよアレ」
キンシに追及をされそうになった、リッシェは居心地の悪そうに耳元に指先を添わせている。、
健康的な血液の気配と適切な肉の量を持つ、指はリッシェの三角形に尖っている耳の形状をなぞっていた。
「あら」
耳を見て、メイは彼女が妖精族か、あるいはそれに類する種族に属する人間であること。
この世界にとっては、あくまでも「普通」の分類に入る人間のひとつ、一種類であることを把握していた。
それはそれとして、リッシェは蜂の巣に支配された車から身を乗りだして、自分から見て後方にあたる空間を見やっている。
「ヤバいかなー?」
リッシェが不安がっている。
それにモブキャラクター……。
もとい、灰笛の善き一般市民の一人である男性が補足の様なものを入れてきている。
「ヤバいもへったくれも無ェよ?! お前らも早く逃げねェと、殺されるぞ……!」
そういいながら、一般市民は背中のプロペラを最大限に回転させ、この場からの逃亡飛行をしていた。
「あ! みて!」
メイが指を指している。
その方角、逃げ行く人々の向こう側、凶事の本体である「それ」がビルの陰から現れていた。
まずは足と思わしき突起物がちらりとのぞく。
かと思えば、その上から光のきらめきが周辺に光の粒をまき散らしていた。
「む、虫っ?!」
思わず口をついて出た表現の言葉に、キンシは後の時間になって自らの認識の整合性を確かめている。
たしかに、間違いなく、それは昆虫の翅と思わしき器官であった。
遠目で見てもかなりの大きさがある、ゆうに一メートルは越えているだろうか。
いや、もしかするとそれ以上あるかもしれない。
巨大な布の袋、のように見えるモノ。
切り分けたローストビーフのような、不揃いなたるみが四つほどぶらさがっている。
袋のように見える「それ」の上部には、暗い色の輪っかのようなものが密着しており、輪は袋の穴を絞るように閉じている。
まるで金貨を大量に詰めた海賊船の戦果のような膨らみ。
ずっしりとした重さは、灰笛に降り注ぐ雨の気配を思いっきり吸いこんでいる。
羽音が聞こえる。
「あれは、虫の翅でしょうか?」
袋の穴を埋める封印の形を見た、キンシが言葉による表現方法を左目の奥に探し求めていた。
キンシが見つめている。
向こう側に膨らむ巨大な布の袋のようなものは、口を黒く細い足と、袋よりさらに大きな翅……と思わしき器官によって固定されているのであった。
虫の翅のように見える。
器官は四枚ほど揃っているように見える。
上側二枚はコッペパンのように整った楕円形、クロム透輝石のように美しい緑色の外殻が一筋、細く翅を覆っている。
下側の翅二枚は扇を二分割にして、切り分けたそれぞれを左右に備え付けたかような、巧みなる曲線を描いている。
合計四枚に見える、少なくとも人間の視覚上に確認することが出来るのはそれだけであった。
「それ」は四枚の翅を絶え間なくはばたかせている。
上側二枚と下側の二枚を交互に、浮遊力を獲得するための懸命なる躍動は生命力の奔流の一端を想起させる。
大きな翅の四枚に捕らえらえている、布の袋は真っ直ぐキンシたちの方に突進してきていた。
「うわわ……っ?!」
瞬く間に距離を詰められてしまった、キンシたちは各々にその場からの逃亡を図ろうとしていた。
「ヤッバー! マジヤッバー!」
リッシェは急ぎ旧車のハンドルを握りしめ、長靴の黄色い靴底でアクセルを全力で踏み締めている。
ハンドルを手前に引く。
リッシェの腕の動きに車が合わせる。
操作盤が持ち主の意向に従い、クラシックカーがタイヤの回転と共に魔術式を組み込んだエンジンを唸らせる。
車が上昇するのを見た。
「ああ! 待ってください!」
キンシが突然の思い付きとして、リッシェの運転する車の中に体を滑り込ませていた。
「メイお嬢さんも一緒に!!」
「ええ?!」
突然の行動にメイは戸惑いながら、しかしながら、すぐさま状況をその身に受け入れようとしていた。
「えーい!」
メイは白色の魔力の翼をたくみに繰りながら、白くて小さな体をリッシェの車の中に突き入れている。
「ちょっとちょっとー?!」
車の中に二人分の重さが追加された、リッシェは搭乗者約二名の存在に戸惑っている。
「なにカッテてに乗ってきてんのよ?!」
「まあまあまあ、いいじゃありませんか」
キンシがハチの巣の下の娘をなだめようとしている。
「もんくを言っているヨユウは、無さそうよ、リッシェちゃん」メイが車からちいさく身を乗りだして、後方を確認している。
「ほら、もう相手が……人喰い怪物さんが、すぐそこまでせまってきているわ!」
メイの言う通り、巨大な布の袋をぶら下げている、翅をもった人喰い怪物はもはや目と鼻の先に迫っているのであった。




