自虐家の兄
ルーフは唸っていた、歩けど歩けども、ちっとも目的地に到達する気配がないのだ。
「んー、んんん?」
少年は誰にも、傍らの妹以外には聞こえない程の小声で、都会の謎に対抗するための声を吐き出す。
妹の手を握っていない方の手で、懐にしまっていたスマフォンを取りだした。
彼のまだ成長しきっていない手の平に、ちょうどすっぽりハマるほどのサイズ。その板チョコレートみたいに薄い機械を、器用に片手だけで操作する。
「えーっと地図検索……」
機械が手の平から発せられる水分に反応して、指示された命令に従い画面内に情報を掲示する。
地図機能を提供するアプリが、小さな画面に簡素な色遣いの土地情報を映し出す。
ルーフはとりあえず方角を確認しようとした、北はどっちだ?
波寄駅から出発して数十分、二人の兄妹はずっと見慣れぬ町中を、とぼとぼと歩き続けていた。
あー………、迷ったなこれ、完全に。
ルーフの脳内にある冷静さが、いやにのんびりとした口調で、他人行儀に肉体へ通告してくる。
ルーフはその声を否定したかったが、しかし受け入れるより他は無かった。さっきからずーっと同じ道を、ぐるぐると廻っているような気さえしている。
これが…都会、これが世に聞くコンクリートジャングルなのか。ルーフは一人納得する。そうでもしないとただでさえ不安定だった心が、緩やかなとどめの一撃と言わんばかりに折れてしまいそうだったのだ。
実際問題、灰笛の林立する建造物は兄妹に確実な疲れを蓄積させていた。
「…ん…」
弊害と言うものはいつだって、突然予告もなく現実に出現してくる。それまで気丈に兄の手を握りしめていたメイが、苦しげな吐息と共に体を丸く折り曲げた。
「どうした、メイ」
画面に集中力を削いでいたルーフは、そこでようやく妹の異変に気付いた。彼女と同じく体を曲げ、うつむいて陰りが差している顔を覗き見る。
「ごめんなさいお兄さま、ちょっと靴紐が」
「お前靴はいてないだろ」
「あれ、そうでしたっけ、うふふ……」
メイは兄妹間でしか受けないネタを繰り出した。顔は笑顔を保っている、だが体は嘘をつくことが出来ない。彼女の体を包み守る白い体毛は、その一本一本、端々を疲労感で満たし、今にも限界を超えそうになっていたのだ。
ルーフは後悔した、どうしてもっと彼女を気遣ってやれなかったのか。携帯ばかりに、自分の問題ばかりに気を取られて。
そして同時に自身を激しく憎悪する。お前は一体何をやっているんだ?このクソが、大事な、何よりも大事な妹を無理やり巻き込んで、こんな無理をさせて。
ルーフは拳を握りしめる。
自虐をしても仕方がない、そのことは理解してはいる。
冷静になれ、今度は体から脳に命令を下す。
少年は拳に湛えた力を腕に回し、砂糖細工を扱うように妹の体に手を回した。
と、そこに空から違和感が聞こえてきた。
「ん?」
ルーフは最初、妹が溜め息の一つでも吐きだしたのかと、そう思い込もうとした。
期待しようとした、の方が近いかもしれない。
だが、少年の期待は外れた。
上を見上げる、そこは駅から少し外側の空だった。
「詩歌」
氷を溶かし、愚者をだまし、
鞘を血に染め上げる。
青空を破壊し、異形を屠るは灰笛。
そして三千世界の烏を全て殺す。




