消えた夢遊病の記憶
こんにちは。ご覧になってくださり、ありがとうございます!
「そんなにひどい呪いをかけるなんて、いったいどんな罪を犯したのかしら?」
メイが疑問を覚えている。
言葉にしたあとで、メイはハッと自らの言葉を後悔していた。
「ううん、なんでもないの。こんなこと、わざわざ聞くひつようなんて無いわよね」
他人のプライベートに安易に触れてしまった。
良識と常識、それ以外はもちろんのこと、もろもろの拒絶と拒否、否定がメイの腹の内に勇猛果敢なる進軍を行おうとしていた。
白色の羽毛をもつ魔女がシュン、としているのをキンシが物珍しそうに見つめていた。
「ご関心をお持ちでしたら、ぜひともお教えしたい所存です」
キンシはそう言いながら、腕を空に向かって上げている。
「とある人の、研究結果? レポート? ……いえ、そのような大層な名前を付けるほどのことでも無いのですよね」
オーギという名の先輩魔法使いがこしらえた、魔法の傘はそろそろその実態を保てなくなっているらしかった。
「その大部分がなにげないものでしかないのです。
人間が人間たらしめる、意識、こころが形成される前。物心がつく頃にそばにあるものたち。
音楽や小説、映画とかマンガ、全ては人間の手によって作られます。
それらは、汗をかいた優しく美しい母親が赤ちゃんの紅ほっぺに語りかける言葉と、同じものにされるのです。
本来は違うはずなのに」
「言葉」
メイはキンシの独白のような説明から、必要とされるだけの要素を拾い集めている。
「キンシちゃんの。ナナキ・キンシの魔法の本質ね」
「ええ、そうですとも。ご理解が早いようで、さすが、メイお嬢さんです」
キンシは指先で魔法の傘に触れている。
左手の指先、薬指にいたる呪いの火傷痕が、その黒ずみに微かな透明さを帯びている。
シュワワワン……。
氷のように冷え切ったガラス瓶の内側、開封された炭酸飲料の放出のような音色が鳴り響いた、
見ればキンシの、キンシという魔法使いの手によって、魔法の傘が端からゆっくりと解体されていくのが確認できた。
幾何学模様があっていた。
イエロートパーズの揺らめきは、端っこから徐々にその文様を氷のように、透明に、空間の中へと溶かされていく。
「魔術とは違って、魔法っていうのはあまり長持ちはしないものなのです」
キンシがメイに説明のようなものをしている。
「もちろん、それなりの実力者の方々がこしらえたものならば、たとえ本人の肉体や精神、心と呼ぶに値する意識。
総合して。命と呼べるがこの世界から消滅したとしても、魔法の影響は残り続けるそうです」
「キンシちゃんたちがあばこうとしていたものも、魔法のひとつ、ということになるのかしら?」
「おお、そのとおり! ザッツライトです、メイお嬢さん」
ほぼ自動的に話を連結した。
少なくともキンシにしてみれば、メイの勝手な想像力は好意的で肯定的なものでしかないようだった。
「異世界の言葉を読んでみたかったのです。
自分以外のだれか、他人を求めようとしたのです。
キンシはここでひとつ、間を置く。
「そうしたら、向こう側に拒絶されてしまいました」
悪手を打ってしまったという風に、キンシは表情に苦いものをにじませている。
「あいての、怪物の事情を知ろうとするのには、……まだ未熟で、どうしようもないほどに餓鬼だっだのですよ」
キンシが魔法の傘のおおよそを解体し終えている。
雨が、灰笛という名前の土地を濡らす人口の、魔術による雨が彼らを濡らす。
「怪物さんの言葉を知ろうとしたのね」
メイは身に着けているポンチョ式の透明な雨合羽のフードを被っている。
「だって気になるじゃないですか」
だがキンシの方は、好奇心そのものには罪悪感を抱いていないようだった。
「異世界ですよ? この世界とは異なる、魔法も魔術もなにも無い場所ですよ?
そんなもの、僕らにはとても想像できない……」
うっとり。
と、したところで、キンシは右目に暗い影を差している。
「……ですが、そのせいでお父さんは僕ら、この世界をかばってひとり、呪いを一身に受けてしまったのです
」
後悔が魔法使いの少女の体を包み込む。
「呪いをうけて……それで……」
落ち込んでいる魔法少女の右隣にて、メイは頭の中に想像を回している。
図書館の地下室、隠し部屋、少女の肥大した左眼球に眠る竜。
「意識をうしなうほどの呪いだなんて、いったいどれほどの」
メイは途中で言葉を区切る。
魔法少女の過去について、聞きたいことはまだ山のようにある。
のだが、しかしながら、今日という日の糧を得るための労働もまた、世界の真実と同様に彼らに必要とされた役割。
これも一種の呪いであるには間違いなかった。
「ごー」
声が聞こえた。
メイは声のする方に視線を向ける。
「あら? いまのって、トゥのこえだったかしら?」
いやしかし、まさかそんな。
信じられない、と思っているメイに、トゥーイは重ねて言葉を投げかけていた。
「ごー! ごー! ごー!」
およそ言葉とは思えない。
この世界に産まれて六カ月の赤子の方が、まだよっぽど世界の常識に則した音声を発せられるのではなかろうか。
その程度の言葉であった。




