波の浪間に抱き締めて
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トゥーイが鉄製の五徳をゴトン! と地面に置いている。
他人調理器具を使うのにとても丁度がいい、金属製の座。
雨に濡れていたスーパーマーケットの屋上、地面が金属の座を受け止めていた。
「火がいるわね」
メイは五徳の上にガコン! とフライパンを設置している。
座の中心にフライパンの底が安定するよう、細やかなる位置調整をおこなっている。
「キンシちゃん」
メイが魔法使いの少女の名前を呼ぶ。
「キンシちゃん、火を用意してちょうだい」
しかしメイの呼びかけに答えるべき声が聞こえない。
「キンシちゃん?」
メイがキンシがいるはずの方角に視線を向けている。
そこでは、キンシが魔法の巨大な傘にへばり付いているのが確認できた。
「んるるるる……んぐるるるるる……」
キンシは喉の奥を鳴らしながら、先輩であるオーギの作成した魔法の傘にすがりついている。
まるで樹液に誘われたカブトムシかクワガタムシか、なにかしらの昆虫類のように、キンシは口と鼻の穴を魔法に密着させている。
「んるるるる……。ああ、嗚呼……いいにおいです……」
魔法少女の様子を見た。
「んんと、あれはしばらくダメそうね」
メイはすぐさま諦めをひとつ、心のなかに作っていた。
「オーギセンパイの作った魔法にすっかりトリコ、興奮しまくっているってかんじね」
「なんかヤダな、その言い方……」
白色の魔女の表現にオーギが分かりやすく拒否感を覚えている。
「それそれとして」
メイは気を取りなおして、次にトゥーイの方を見上げている。
「それじゃあ、キンシちゃんの興奮がさめるまでに、トゥ、下準備をしておいてくれないかしら?」
メイに要求をされた。
「…………」
トゥーイはすぐさま右手を空中にかざしている。
開かれた手の平の中、紫色に透き通る光が小さく明滅した。
光の後に一本の丸筆が現れていた。
「何でもかんでも魔法を使って取り出すのって、逆にめんどくさくねえか?」
オーギが上着のポケットにスマートフォンを仕舞い込みながら、後輩であるトゥーイに疑問を投げかけている。
「……………」
さて、どう答えたものか。
トゥーイは先輩魔法使いに己の流儀を伝える方法、文法を作りだす術を持っていなかった。
「…………」
できた事と言えば、小さく肩をすくませるだけであった。
それはそれとして、トゥーイは急ぎメイの要求に答えなくてはいけないのであった。
トゥーイは地面に膝をつき、右手に丸筆を構えている。
そして身に着けている灰色の作業着の左ポケットから、ちいさなプラスチックの薄いケースを取り出していた。
ケースはオーギの使うスマートフォンとさして変わらないか、それよりかは少し大きめのサイズ感がある。
かなり使いこまれているのだろう。
四隅は傷つき擦り減り擦り切れ、合成樹脂の白さは煙草の煙を浴びた壁のようにくすんでいる。
トゥーイはパカッとケースの蓋を開く。
そこにはさらに小さな四角に区分けされたくぼみがあった。
小さく浅い視覚の穴には、色とりどりの水彩絵の具と思わしき材料が付着している。
絵の具は保存がきくように、乾燥させたワカメのようにカピカピになっていた。
「……………」
よく見ると、それは小さな調色版であった。
トゥーイはテクテクと結界の外側、魔法の屋根の無い場所、雨の降っている空間にパレットをかざしている。
雨水を受け取った、パレットの内部に然るべき潤いが取り戻される。
「水に関しては、現地調達が主だそうですよ」
少女の声が聞こえる。
すでにいくらか聞き慣れている声音、それがいる方にオーギは首を傾ける。
「キー坊」
オーギがキンシの様子を見て、ほんの僅かだけ驚いた風にしている。
「なんや、もう魔法にハァハァ発情せえへんでもエエんか?」
「ええ、もうたっぷり、思う存分堪能させていただきました!」
キンシは鼻の穴をフッハー! と膨らませながら感想をオーギに伝えている。
「実にすんばらしい魔法でした、ごちそうさまでした!」
「そりゃどうも」
キンシの興奮具合をオーギが軽くあしらっている。
魔法使いの先輩と後輩がやり取りをしている。
それらを横目に、トゥーイが傘の下にて地面に丸を描こうとしていた。
基本は〇。
トゥーイは赤色の絵の具を使って、ほぼ真円に近いであろう図形を作っている。
「まあ、キレイなまる」
メイがほめようとしているのを、トゥーイが左手でサッと静止している。
まだ感動を覚える段階ではない、とでも言いたいのだろうか。
トゥーイは自分の右側にパレット置き、丸筆で赤色の絵の具をくりくりと弄くっている。
色を乗せた筆先で、トゥーイが円の内部に文様を描いている。
さらりさらり。
迷いの無い筆跡は、実に熟れた動作であった。
「わあ、すごいスピード」
メイが思わずトゥーイに、「普通」に話しかけている。
「いつも、こういうのを描いているのね」
メイは問いかけたあとで、目の前の青年が文法を自由に使えないことをすぐに思い出している。
「…………」
トゥーイは沈黙のまま、丸の中に模様を染め上げ続けていた。




