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愚か者ひとりめの彼はこの世界について説明します

とある男性により記された記録。


 話を聞いてほしい、少し長くなる。 


 テメエの話なんざ聞きたくない、聞いている暇がない。

 こっちは忙しいんだ! 


 と、言う人はぜひともこの話を読み飛ばし、さっさと次の事項へと進むことを強くおすすめする。


 なにせ自分は文章が独りよがりで、他人を思いやることがとても苦手なのだ。


 …………。


 ちょっと強気に出てみたが、どうしよう……。

 早くも軽く後悔し始めている。


 すみません、できればちゃんと聞いてほしいです。

 えっと、まずは自分の生息地について話してみよう。


 俺は今、灰笛(はいふえ)という所に住んでいる。

 

 以上。

 ……説明に関してはこれ以上語ることは無い。


 なのだが、しかしながらこれではあまりにも味気ない。

 ので、もうすこし具体的な説明。


 灰笛(はいふえ)

 そこは、魔法使いの都市である。


 魔法使いとは何か?

 とりあえず「魔法」を使えるヒトであると、そう思っておいてくれれば十二分だろう。


 多くの魔法使いが暮らす都市にはもうひとつ、怪物が生息している。


 怪物、それは異なる世界、異世界からこの世界に呼び出され続ける存在。

 彼らはえてして、「人間」を基準としてその血が混ざったモノを食べる性質を有している。


 ……こういうのは実例を見せるのが早い、と「先生」が言っていた。

 なので俺は今、この文章を書くついでに一個の魔法陣を用意している。


 結界のためではなく、ここに居ないものをこの場所に呼び出すための魔法陣だ。

 もうすでに出来上がっている。


 あとはここに……、撒き餌代わりの魔力鉱物を添えれば……。


 そうした所で、俺の体を大きな黒い影が覆い尽くしていた。


 大きさは、青年期のそれなりに健康な人間の顔面をすっぽりと覆いつくせられそうな程である。


 それは液体のように柔らかく、そして人間の体温と同じ熱さを持っている。


「……っ!」


 瞬く間に気管支を圧迫しようとしているそれらに、俺はたまらず声を発しそうになる。


 だが現実に言葉が発せられることは無く、それよりも先に怪物が捕らえた獲物を逃すまいと、まるで気迫のような鳴き声を上げていた。


「あー、あー、あー」

 

 彼らは何よりもまず、この世界にいる人間を食べようとする。


 それが獲物、つまりは俺の肉を捕まえて、まさにその身へ取り込まんとしている。


 鳴き声、ともつかぬ雑音。

 それが喜びを意味しているのか、あるいはそれ以外の感情なのか、俺には分からない。


 それに、相手が何を考えていようとも、俺には関係の無いことだった。

 俺は魔法使いで、これは怪物。食べようとしているモノ、喰われようとしているモノ。


 そこに結ばれる関係性など、誰に問うまでもなく解りきっていることだった。


 怪物は、まるで液体糊を規格外レベルに増幅させたかのような肉体で俺の全身を包み込んだ。


 飲み込まれた。

 温かな体液、肉体の内側で俺は空気のようなものを口から吐き出す。


 酸素を浪費する。

 そうする必要があった、必要性の後に俺は腰に手を回し、そこに用意してあった鎖状の武器を握りしめた。


 手段を手に入れた。

 俺は腕を力任せに大きく振りかざす。


 鎖の端、ある程度は伸縮自在の長さが遠心力に従って怪物の体を貫通し、そしてそのまま縄のようにその肉をぐるぐるとしばりつけている。


 柔らかい肉が突然の攻撃に硬直する。

 水糊がにわかに硬めのゼラチンと同じ質感を帯びる。


 窒息をする前に、俺は身体を大きく後退させて怪物の肉から逃れた。


 ジュブリ、粘度のあるいくつかの筋が俺の体に糸をひく。

 足元、踵の辺りで書類が崩れる音がかすかに聞こえてくる。


 まずい、俺は今更、あまりにも今更な後悔を胸に抱いていた。

 まさかここまでデカいのが来てしまうとは


 しかし今更後悔しても仕方のないことだった。

 責任もってた……、ではなく、殺すことにしよう。


 俺は鎖状の武器を構える。

 怪物が金属の音に反応して、その目線を俺にジッと向けていた。


 顔があるかどうかも分からない。

 怪物は液体のように柔らかい体を、楕円形を立体にしたような造形に固定させている。


 もしかするとここいらに巣食っていた、スライム系に属する怪物のボス級を呼び出したのかもしれない。


 そろそろ住み家の怪物除け魔法陣を描き直さなくてはならないか。

 などと、余計なことを俺が考えていると、怪物の方が油断のようなものを俺に感じ取ったらしい。


「  あー  あ あ」


 怪物が俺めがけて突進をしてきた。

 体が、今しがた自分の身を捕食していた肉体が近付いてくる。


 怪物が自分の方に接近する。


 いっそのこと喰われてしまおうか?

 その方が相手も油断する。

 俺はそう考えようとして、しかしすぐにアイディアを否定する。


 余分な負傷をする必要はない。

 まだ一日は始まったばかり。

 この後にもやるべきことが山のように準備されているのだ。


 何より、無駄に先生を……あの子を心配させたくない。


 そう考えた。

 俺は怪物の突進を回避し、すぐさま右側に回り込む。


 空振りに終わった怪物の肉が部屋の壁に追突しようとした。

 それよりも先に、俺は手に持つ鎖状の武器、その端に備え付けてある器具を怪物に叩き付けた。


 鞭のようにしなり、そして槍のように先端が怪物の肉に絡み、触れて刺さる。


 繋がりが出来た。


 先端の器具が怪物の肉に、刺さるように付着している。

 密着に合わせて、俺の手にしている鎖がビンッと張りつめる。


 ()れる

 確信を得た、俺は感覚を逃す前に指先に意識を巡らせた。


 吸い込んだ空気が血流に勢いを生む。

 体の内側、皮膚の内層、血液が激しく熱を発生させる。


 熱は秒をまたぐよりも早く増幅し、ついには燃え上がらんばかりの質量をもつ。

 だが確かな爆発を得るよりも先に、俺の皮膚を空気中に潜む魔力が冷やしていった。


 それは、まるで冬空の下の水道水の様に肌を赤く焼く。

 刃物よりも鋭く刺す、水のような冷たさと血の熱さの間に温度の違いが生まれる。


 差分が、俺の持つ魔力に意味を与える。

 確かなイメージが湧いた、それは氷の姿をしていた。


 怪物に攻撃をするための理由。

 電流のような衝撃が鎖の連結を走り、やがて先端へと届く。


 先端の器具に身体を触れさせていた。

 怪物の体から小さく悲鳴が上がった。


「……」


 それは、もしかするとただの呼吸音だったのかもしれない。

 判別は、俺にはつけられそうになかった。


 怪物の体は俺の魔力によって生み出された氷、強烈な冷気によってそのゼラチン質を凍らせていた。


 ゴトリ、硬いもの、氷のようになった怪物の体が地面に落ちる。

 それと同時に、バリン! と俺の持っている鎖状の武器が連結を中断させていた。


 怪物の衝突音の後に、鎖が床に落ちる金属音が虚しく空間を振動させる。


 流石に、こんな誰もいない狭い空間で冷却をする魔法は限度があったか。


 無理をしてしまった。

 体の疲労よりかは、俺は道具を無駄に浪費してしまった事に強い悔いを覚えていた。


 後悔もそこそこに、俺はたった今殺したばかりの怪物を足元に見下ろす。

 完全に肉を冷却した。本来ならば怪物相手にその方法だけでは、決め手としては不安要素が強すぎる。


 今回はスライムの仲間、亜種のようなものであるらしかった。

 柔らかな肉体。

 だからこそ、こんな単純な攻撃方法で事が済んだのだ。


 俺は怪物の近くに膝をつき、その死体に向けて両の手のひらを密着させた。


「…………」


 できるだけ長く、長く、その肉に、自分が殺した肉に祈りを捧げる。


 後悔のようなもの、殺した事実よりかは、殺した自分自身への疑いの時間だった。

 どう思っていたか、何を心に描いていたか?


 答えは簡単で、俺はこの怪物を殺す時によろこびを覚えていた。

 楽しいと思った、命を奪った瞬間に快感を覚えていた。


 この感情に抵抗がなかったと言えば、それは嘘になる。


 何故なら俺は魔法使いだから。

 魔法使いは怪物を殺すために、その体に強力な魔力を宿すことを許している。


 怪物を殺すことが魔法使いの望み。


「……」


 呼吸を一回ほど、その後に俺は祈りを止めて怪物の死体に腕を回す。


 作り上げた死体の一つ。

 出来ればその加工、怪物の肉から何が得られるのか、その具体的な例を今ここで再現したかった。


 のだが、時間がもう足りなかった。

 俺を食べようとした怪物の、もう二度と呼吸することの無い口。


 そんな物よりも、結局は時間の経過こそがこの世界で最も残酷なのではないか?


 ……などと、ポエミーなことを言っている場合ではない。


 俺は凍らせた怪物の肉を小脇に、部屋の中を軽く見渡す。

 そして手頃な台の上に、カチコチの死体をとりあえず安置することにした。


 置いて、その動作の中で俺はまた考え事をする。

 もしかすると……、まだこのスライムの仲間か子供か、あるいは子分のようなものがどこかに潜んでいるかもしれない。


 俺は黒いコーヒーゼリーと、ういろうを混ぜ込んだかのようなカラーリングのそれを見て、予想をしていた。


 そしてそのまま、怪物のことを考える。


 考えようとして、しかし上手くイメージが作れなかった。

 怪物がそれぞれに考えていることなど分かりようもない、それこそ、本当に分かりきったことでしかなかった。


 とにかく彼らは人間が食べたいのだ。

 食べることに、掛け替えの無い悦びを覚える。


 快感を覚え、それらは強力な依存性を有している。


 ここまで書いておいて、自然と肌が(あわ)立ってしまうのは、やはり被食者としての本能なのだろうか?


 いや、もしかするとこれはただ理解が出来ないが故の不快感に過ぎないのかもしれない。

 人間を食べたがるものに共感は出来ない、今のところは。


 何よりも、常々疑問に思うのだが、はたして人間の何がそんなに美味いと思えるのだろうか? 

 俺は目の前の死体に、口を閉じたままで疑問を投げかける。

 

 確かに現時点で、この世界で人間が一番魔力をもっている。

 魔力、と一般的には呼称される栄養素をことさら必要とする彼らが、人間を捕食対象として考える。


 そう考えてみると、あり得なくはない様な気がしてきた。

 だが幾ら理屈をこねてみた所で、それでも人間という、この世界で最も気持ち悪い生き物を食べたいなどと思えない。


 やはり、彼らの思考は俺には理解し難い。


 なにはともあれ、もうすぐ夜明けである。


 俺は時計の針を見た。


「……!」

 

 しまった、余計なことを書いたりやっていたりしたらもうこんな時間に。


 俺は慌て上着にノートをしまう。


 色々と予定外ではあったもの、報告はここで終わりにしよう。

 これ以上続けたらキリが無い。

 終わりを迎えるまでに夜明けが頬と目蓋に熱を灯すだろう。


 夢が覚める、夜の国はもう終わりだ。

 

 あの子が嫌いな朝がやって来る。

 それは仕方のないことだ。


 俺は部屋のカーテンを、そして窓を開ける。

 外界の明るさが俺の眼球を瞬間的に刺す。


 まばたきを一つ。

 そうしていると、不意に書いた文章に得体のしれない自信が湧いてくるような気がした。


 だが、そんなものは錯覚にすぎなかった。

 あやふやで、あいまいで、何一つとして根拠のない。


 それこそ、怪物を殺した時の嬉しさの方こそ感情として、心の在り方として相応しいと呼べるくらいだ。


 大量の自己否定と、その後に煙草の残り香のような自己肯定が俺の胸の内をかすめる。

 温かさと冷たさが、もしかすると魔法のように俺へ何か価値を与えてくれるのではないか?

 だが、結局はなにもできないまま、なにも変わらないままで、俺は渇いた目玉を閉じるだけだった。


 閉じたまぶたの裏側に、涙によって与えられる熱と痛みが顔の半分を圧迫する。


 次に目を開けば、そこには圧倒的な不安と空虚が目の前に果てしなく広がっている、……ような気がした。


 虚ろは牛乳(ミルク)よりも濃厚で、パセリのような苦々しさが舌の付け根にねっとりと張り付いた。


 この感情が何であるか、俺は名前について考えたくなる。


 だがそうしなかった、抱きかけた想像は窓の外から吹く風に溶かされてしまっていた。


 風の気配に誘われて、俺は窓の外を見る。

 そこにはただの光景、この世界の一部があった。


 考えられなかった心の形の代わりに、俺はもう一度この場所、灰笛(はいふえ)について考えた。


 この世界で何よりも大事な場所。

 俺がこの世界で一番愛している人。その人が、……先生が心のそこから好きだと、そう思う、そんな場所。


 だから、だからなんだ。

 俺もこの場所を愛さなくてはならない。


 例え報いなんてものを返してくれなくとも、行為を止めることはできない。


 それが、それだけが俺の記憶と肉体を以て断言できる、唯一の言葉だ。


 また、無駄な話に時間を費やしてしまった。


 そんな事よりも、俺の願望などお構いなしに日常は始まる。



 人の営みとはその思念そのものが一つの生命体のようで、常に予想外だ。


 意外性たっぷりの両手は人の領域を広げ、やがてこの世界を神と精霊から奪いとるまでに至った。


 寝息が聞こえる、あの子の間抜けな寝息が聞こえる。


 あまりにも弱々しい、夜と眠りへの執着が呼吸の音色へと膨らむ。


 微かなリズムの向こう側、部屋の外では生活の音が始まろうとしていた。

 遠く、遠く離れた所で、電車が線路を噛み潰す摩擦音が聞こえる。


 今日もここで「怪物」を食べるための方法が考えられているのだろうか。



 何処かの誰か、他の誰かの発する金属の音色に反応して、住み家の何処かで呻き声が発せられる。

 俺の聴覚器官が耳聡くその人間の音声を拾い集めている。


 声が聞こえている。

 その声は俺の記憶の中に残っている「先生」のそれと、どこか、似ていなくもなかった。


 だが同じではない、俺はそう考える。

 期待しようとしたことをすぐに諦める。


 ……。

 

 そろそろ準備をしよう。

 朝ごはんの準備だ、今日の味噌汁の具は何にしようか。


 俺は、俺が俺であると自覚している、自分自身が立ち上がる。

 まばたきを数回ほど繰り返し、そして軽く背伸びをした。

彼の語り(一人称)は一話のみに限定されています。

物語が気に入った方は、ご感想や下にある評価など、よろしくお願い致します。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 1000話も継続されているということで1話では何も起きない……なんて油断してたら面食らっちゃいました……。 面白かったです!
[良い点] とっても印象的な第一話ですね! 世界設定の説明ではあるけれど、彼の独白がちょっと哲学的な語りにも見えて、ただの「設定説明」じゃない不思議な空気感だと思います。 [一言] ツイッターのRT企…
[良い点] 読者(わたしたち)のために書いてみせ、やってみせ? 何故? [気になる点] ゼラチンに鎖はどうなのかな? 結局凍らせるなら鎖要らなくないかな? [一言] やって見せてくれたというより、行き…
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