8:角隠し
邂逅と決別を繰り返すのにはもう飽きた
だから周りに落とし穴を掘っておくんだ
誰も私に近寄らないように
落っこちた奴は埋めてしまおう
あっちこっちに墓標を立て続けていたら、いつの間にか無数にあった落とし穴は埋まってしまい、そこには誰かが立っていたんだ
8:角隠し
一面が水平線。熱線降り注ぐ南海のど真ん中に浮かぶ頼りないボロ船、なんて言ったら、船長に怒られてしまう。見てくれはボロだが、大型の漁船ほどもある木造の船には魔導エンジンが積んであり、風に頼らず軽快に自走していた。厚着のままだとステータス異常をきたしてしまうため、僕は上着を脱いだ状態で海面へと釣り糸を垂らした。
「随分デカい得物もってんじゃねーか嬢ちゃん」
浅黒い肌に真っ白い髪と髭、口にはパイプをくわえ、屈強な上半身を惜しげもなく露わにした老人が、手すりに括りつけた銀のハルバードを見てそう言った。
重量がある分、持ち運ぶとかさ張る為、普段は部屋に置きっぱなしだけど、先日の件もあるし、自衛のために持ち歩くことにした。とはいっても、今日の目的地は孤島だ。きっと役には立たないだろう。
「嬢ちゃんはやめてよ船長」
彼の名前はパイポ。この船のオーナーであるユグドラシルという名の木工職人専用クランのメンバーで、その見てくれから船長と呼ばれているらしい。顔の広い恵さんの紹介で、この船を貸してもらっている。そういえば、ユグドラシルは聖樹の名だ。木を切り倒して加工する木工ギルドの名前には、些か不謹慎な気もする。
船はこの世界では貴重だった。外洋を渡る船ともなると、作るためには高度なクラフト系の複合スキルを持つ職人が何人も必要な上、一隻つくるのに何か月もかかってしまう。だからこそ、金さえあれば手に入れられるようなものでもなく、戦闘にのみ特化した嫌われ者の超越者たちがそれを所持しているとは考えづらく、海に出てしまえば、流石に手出しは無理だろう。
「いいじゃねーか、その槍だか斧だかに劣らずでっかい乳してんだからよ」
などと、ビギニタイプのアンダーウェアに包まれたブラジルNo.2の胸を見ながらセクハラを吐く。複雑な僕の表情を見ると、「俺だって中身はハゲ散らかったオジサンだからな、お前さんの本性なんか気にせんわ」などと宣う始末だ。乗せてもらう時にしっかり自己紹介をしたから、船長はこのキャラの中身が男だということは知っている。
ガハハと豪快に笑う船長を見てつられて笑う。
「俺は禿げて無いけどね」
「なんだ、リアルでもそんなアフロみたいな毛量なのか?羨ましいもんだな」
ブラジルNo.2の髪はくせっ毛で、ボリュームのあるキャスケットをかぶったようにまん丸だった。髪型は自由に変えられるが、最初にランダムで宛がわれたこの髪型を通している。
「しかしなんだ、そんな野暮ったいんじゃなく、もっとかわいらしい髪型にすりゃいいもんをよ。せっかく女のキャラにしたんならよ」
「俺なりのこだわりが有るんだよ」
ふーん、と、興味無さそうに海面を滑る浮きを眺めると、「俺はあれだ、ツインテールが好きだな」などと、全く人の話を聞いていない様子だった。
「そういえば二人は?」
タクミくんとアリスは、船室に居るはずだ。
「ガキんちょの方は気持ち悪くてモニターを外しちまったようだな。口の悪い方は寝てる」
初めての船に、最初ははしゃいでいたタクミくんだったが、すぐに船酔いしてしまい、船室で横になっていたのだが、遂に限界を迎えた様だ。
釣り糸を上げてみるがエサは付いたままだった。
「さすがにこの速度で走ってちゃ釣れねぇんじゃねーか?釣りはよくしらんけどよ」
確かにそうかもしれない。
「じゃあ、諦めて二人の様子でも見てくるよ。船長もよそ見して座礁とかやめてよね」
「そうしたらその胸に付いた浮き輪が大活躍だな」
そしてまたガハハと笑う。そのうち、セクハラでアカウントが停止されてログインできなくなるに違いない。
船倉へ続くドアを開くと、狭い階段が段々に繋がっている。何層か降りれば、船の底だ。真ん中に廊下が通り、左右に幾つかの部屋がある。僕は、二人がいるはずの部屋を開けた。
アリスが壁に持たれて床に座り、タクミ君を膝枕していた。アリスは僕に気づくと、邪魔ものは消えろと言わんばかりの眼光を向てきた。無視して「寝てるって聞いたけど起きてたんだ。タクミくんの様子はどう?」と尋ねると、「見れば分かるでしょ」とぶっきらぼうに返された。
武器を持たないこの少女に対する疑惑。だけど僕はたった一人だけ。武器を持たずに最強になった人を知っている。
このゲームには、最強と呼ばれるプレイヤーが2人いる。一人は、半年に一度だけ王都アルベリオンで行われる公式のPVPイベント「王立闘技大会」の中で最も熾烈を極めるロイ鯖大会で9回連続で優勝したギーグス小林だ。神奈川県の品川に拠点を置くプロチームのギーグス、そのMMO部門に所属する小林ユウタが使用しているキャラクターで、ちょっと前までは、最強と言えばこの人の一強と言われていた。反応速度、キャラコン、知識、人気のほぼ全てにおいて、我らが雷鳥鯖で最強と呼ばれている電電さんの上位互換。
ハイエルフのクルセイダーで、剣技と魔法を駆使して相手に合わせて戦型を変えるオールランダー。その二つ名は、「BANされないチーター」
そしてもう一人が、直近の第11回大会で、彼を破ったユイ・キサラメだ。誰もが彼女をこう呼ぶ。「豪運アニオタ」と。
豪運の由来は、そのキャラクターにある。彼女は理論的にもっとも強いとされる種族とギフトの組み合わせを引いた世界で唯一のプレイヤーだ。その確率は天文学的とされ、宝くじを当てるよりも難しい。彼女のキャラクターが売りに出されたら、何百万、もしかしたら何千万もの価値があるともいわれている。
種族はタクミくんと同じエンシェントエルフ。そしてギフトは、やはり激レアな「二枚舌」だ。これは魔法を二つ同時に詠唱出来るスキルで、このギフトを手に入れる為に、この5年の間、転生を繰り返す者は少なくない。ただでさえ強いこのギフトだが、エンシェントエルフが持つと意味が全く変わってしまう。このゲームの魔法は、すべての属性で共有された限界値が存在し、ひとつの属性魔法しか極めることが出来ない。しかし、その属性の究極魔法同士を二人で同時に詠唱し、掛け合わせることで、究極魔法を遥かに超える合成魔法を撃つことができる。
そして。エンシェントエルフの種族特性は、すべての属性を極めることが可能な「精霊王」。そう、エンシェントエルフが、この、二つの魔法を同時に発動できる二枚舌を手に入れれば、一人で合成魔法を放つことが可能になる。
彼女は、なんのプレイヤースキルを使う事も無く、ただこの合成魔法をぶっ放すだけで、最強の名を手に入れた。
ちなみにアニオタの由来は、ユイ・キサラメという名前が有名なアニメのキャラクターのものだから。
さて、本題はここからだ。「武器を持たずに最強になった人」とは、このどちらでもない。チーター、つまるところ、化け物に称されるプロゲーマーを倒したプレイヤーが、実はもう一人いる。
5年前に現れた、まだ最強と呼ばれる前の化け物を退治した勇者は、白い髪に白い肌、白い瞳の、真っ白な少女だった。
第一回大会の出場資格は、ランキング百位以内に入っていることだ。その大会に出ることが出来るプレイヤーは、一人残らず猛者だと言える。その大会に、一人、異質が混じっていた。武器も携えず、まともな防具も着けず、白いワンピースを着た、いたいけな少女は、何百万人という観衆の前で、薄ら笑いを浮かべていた。
「何こいつ?」
「悪目立ちしてんのが混ざってんな」
「逆に寒いわ」
「いや、逆に可愛い」
初戦が始まる前から、SNSには、彼女に対するコメントがちらほらとつぶやかれていた。その時の僕も、まだ奇をてらっているだけの目立ちたがり屋としか思っていなかった。
「そいつ強いよ」
と誰かがつぶやいた。
「そいつに素手でやられた」と呟いたのは、ロイ鯖でもそこそこ有名なクランの団長だった。
「闘技場でランク上げしてた時に当たったんだ。その時はゴスロリ着ていて、その舐めた格好のままボコられた」
闘技場とは、PVP、つまり対人戦を目的としたプレイヤーが集まる場所だ。どこでも対戦は可能だが、PK(プレイヤーキラー:合意なしに他プレイヤーを殺すと、様々なペナルティーが与えられる)にならないためには双方の同意が必要になる。同意を得られる相手を探す為、対人戦希望者は自発的に闘技場と呼ばれる場所へと集まった。
「団長が?嘘だぁ」
クランの団員と思われる誰かがそうつぶやくと、「ガチガチのガチだって。全部クリティカルポイントに当ててくんのよ」と、団長が続けた。
クリティカルポイントとは、ダメージが二倍になる体の部位だ。ただし、素手の様に、攻撃力が少ない場合はもっと意味がある。クリティカルポイントには、最低保障ダメージというものがあり、どれだけ攻撃力が低くても相手の体力の一割がダメージとして入る。つまり、攻撃力が皆無であっても、十回殴れば相手を倒せる。
「いや、それこそ有り得ないっしょ」
と、他の団員が呟いた。
そう、有り得ないのだ。どれだけ正確に狙おうと、クリティカルポイントは当て辛い位置に有り、更に相手は動く。その上、防具を付けている為、そこへのダメージは相手の動きを止め、防具をかいくぐり、反撃を避けながら攻撃を行わなければならない。技能と能力がかけ離れている場合でなければ戦闘中に一発入れるのも難しいのに、全ての攻撃で当てるなんて事実上不可能だ。
「俺もやられた」
「あ、じゃあ俺も」
「俺も秘孔を突かれて爆発した」
などと、悪ノリなのか本当なのか分からないコメントが増え、真相が曖昧なまま、僕は彼女の初戦を目のあたりにした。
それは、雪の様だった。
相手はランキング九十九位、といっても、たった半年で転生し、強種族のオーガを引き当てて育て上げ、その上で100位以内にランクインした優勝候補の一人。その巨大な体躯を持つオーガのウォーロードが振り下ろした斧を、彼女は、まるでステップを踏むように軽やかに避けた。スピードがあるわけじゃない。まるで、それがダンスの振り付けの既定事項であるかの様に、当たり前であるかの様に、避けた。ふわりとそよぐ彼女の白い体は、本当に、雪の様だった。
次の瞬間、その体躯の影に少女が隠れると、巨大なオーガが崩れ落ちて、その身を地に臥せた。
誰もが、事態を掴めず、ただ、舞台の上で、真っ白な少女が頬をほのかに赤く染め、薄ら笑いを浮かべていた。
「なんだ?」
「え?おわり?」
「なんだこれ」
「なにこれ」
「なにこれ」
「なにこれ」
「なにこれ」
「なにこれ」
「なにこれ・・・」
静寂を割って、次第に観衆のざわめきが広がっていく。
スキルを使ったり、魔法を使ったり、対戦相手達は、あらゆる対策を練って彼女に挑んだが、薄ら笑いを浮かべながら、彼女はそれらを軽くあしらってトーナメントを勝ち上って行った。
「チートじゃねーの」
と、言う声も上がったが、大会中に出された異例の公式見解は「不正無し」。その発表自体が隠蔽だと疑う声もあったが、とにかく彼女にお咎めは無かった。
決勝戦、まだハイエルフでは無くホーネスで、「BANされないチーター」と呼ばれる前のギーグス小林は、あっけなく彼女に負けた。
そして初代王者を冠した彼女は、まるで雪が溶けるかの様に消えてしまった。
時が経つと、まだ情報の検証が不十分な時期であったことや、チーター疑惑、それからアップデートなどでバランスの調整が多々行われたこともあり、彼女の強さは奇跡から偶然へと評価を落とし、いつの間にか最強候補の名からも姿を消していた。だけど、いまだにあの鮮烈な姿を覚えている者も多く、最強に、彼女の名を上げる者は、少なくない筈だ。多分。
彼女の名前は性が白雪、名が姫。あわせて白雪姫、確かそんな名前だ。
目の前で、いたいけな少年に膝枕をする、この破廉恥な女が、あのスノウホワイトと同じだとは思わない。無様にも操作が不能なほどに自らの速度を上げてしまったこの女が、雪のように可憐に舞う彼女と、同じはずが無い。
「何睨んでんのよ」
アリスが僕を睨み返す。
「いや、睨んでなんて無いよ、ははっ」
視線を逸らして誤魔化す憐れな僕は、それでも、心の中で彼女を無様だと笑う。
つづく