7.スケアクロウ
本当のことを言えば、許されるのなら、この手を伸ばしたかった。この手で掴みたかった。指の隙間からこぼれ落ちるように、その希望は奈落へ消える。深い深い闇の底へ追いかける勇気もなく、決意も無く、故に臆病で、卑怯で、それでも願い、それでも祈る。果ての無い空の下、果ての無い世界の上、果ての無い夢は、霧散して無限に霞む。揺れるその影は、本当に僕のものなのだろうか。
7:スケアクロウ
現実の世界での時刻は天辺を回り、鈍い眠気が心地よく燻り出していた。ウサギ幼稚園の庭に、まだ起きている園児たちと園長先生が、集まり、僕らを見送ってくれるらしい。恵さんには、すべてを話してしまった。騎士団のレイブン老から聞いた事、アリスとタクミくんと超越者たちのことを。、
恵さんが、口ひげとピンクのエプロンをひらひらと揺らしながら、「久々にジルちゃんに頼ってもらえてうらしかったわ。また来てね」とほほ笑んだ。
「ジルねーちゃんは甘えん坊だからどうせまたすぐ来るよ」と、マー君が茶化すが、やられっぱなしも癪である。
「マー君は園長先生が大好きだから、俺に取られたく無いんだよね」
「なっ!んなわけねーだろタコ!」
マー君が顔を真っ赤にさせても、恵さんは「アラアラ」といつも通りほほ笑んだままだ。
つまらなそうに立っているアリスは、女児たちに囲まれ、両手を引っ張られてぐらぐらと揺れていた。タクミくんも積み木で遊んでいた園児たちと別れを惜しんでいる。
恵さんが、少し心配そうに「これからどうするの?ジルちゃん」と、訪ねてきた。アリスの件があるから、騎士団には頼れない。タクミくんは初心者だし、逃げ回るのなんて不可能だ。実を言うと、何も考えていなかった。
「大丈夫。プランはもちろん考えてあるよ。すべて想定内」
そう答えると、恵さんは、両腕を腰に当て、眉を八の字に上げて困ったような顔で、ため息交じりに口を開く。
「ジルちゃんは本当に意地っ張りなんだから。ほら、前に南の群島に行きたいって言ってたじゃない。それで船を持っている知り合いに聞いてみたのよ。そしたら船出してくれるって」
「ほんと!?いつ?!」
嬉しさのあまり、つい嬌声を上げてしまった。
外洋船は、とても希少だった。サービス開始当初から実装されてはあったものの、作るための工程は複雑で、完成したのは一年以上経過した後だった。初めての航海はロニ鯖の最大手の商社ギルド「獅子と一角獣」によるもので、その航海で発見されたのが、メルクリウス群島だ。メルクリウス群島は、ギルド長であったトリスメギ・・・なんちゃらさんが名付けたもので、本来は第一発見者のクジラ船長が付けるべきだという人もいて、別名クジラ諸島とも呼ばれている。
まだ図鑑に記載していない生物が、山ほどいる場所だ。
「今からでも平気よ。海の向こうなら、さすがにあの怖い人たちも追ってこれないでしょ」
「たしかに、向こうで落ちておいた方がいいかも。今からお願いできる?」
と、言うのは建前で、早く行きたい。
「うん、連絡しておくわ」
「本当に色々とありがとう、恵さん」と、礼を言うと、二人の方を振り返った。
「二人とも聞いてた?船に乗れるよ」
タクミ君は、園児たちと涙を流しながら、「また・・・また来るからね。皆、元気でね」などと言いながら、別れを惜しんでいる。さながら滞在系のテレビ番組のクライマックスの様だ。
一方のアリスは、女児達にまとわりつかれながらも真顔で「さっさと行きましょう。でないとこいつら皆殺しにしそうなの」と、物騒なことを言っている。さっきまで一緒におままごとをして、赤ちゃんの役を嬉しそうにしていたクセに、なんて言ったら、多分僕が殺されるから口が裂けても言わない。
船は海の都と呼ばれている三大国家のひとつ複合企業国家バリューシャ貿易の首都、水上市場マゼラの港に停泊しているそうなので、すぐに列車で向かうことにした。
その列車の中で「でねぇ、その群島固有の牛が手に乗るほど小さくて、肉食のカタツムリの餌になちゃうんだよ」と嬉々として群島特有の食物連鎖について一方的に話していると、タクミ君は真剣に耳を傾けて、「牛を動きの遅いカタツムリが捕まえて食べるんですか・・・すごいですね」などと相槌を打ってくれるが、アリスはというと、窓枠に頬杖を付き、詰まらなそうな顔で、「つまんない」と、見れば分かりそうなことを態々教えてくれた。
「これからが面白いんだって。かたつむりは粘液で罠を張って・・・」
「カタツムリはもういいわよバカ!そんなことより折角南の島にいくんだから水着が欲しいの。買いなさいよ」
「アリスちゃん、お金ないの?」
「あるわけないでしょ」
見りゃわかるだろと言わんばかりの不遜な態度で、そう云い放つ。そういえば、アリスの装備はどう見ても貧弱だった。超越者なのに、S級どころか、B級さえそろっていないように見える。更に言えば、武器も見当たらない。
「あのぉ、アリスちゃんって武器って何を使うの?」
「使わないわよそんなもの・・・って何よその目」
疑惑の目だ。格闘系のクラスであっても、金属性のグローブなどの武器を使う。
「素手ってこと?格闘系のクラスとか?」
「あーうるさい!なんであんたに答えなきゃいけないのよ!」
疑惑が積もる。アリスは間違いなく超越者だが、超越者だから強いと決めちつけていただけで、もしかすると、弱いのではないか、という疑惑だ。そういえば、超越者の中で、アリスのデータだけがほとんど無い。それは大会にも出ず、対人戦闘をする機会が極めて少ないからだ。
「ご、ごめん。じゃあさ、ステータス見せてくれない?」
「嫌よ」
即答だ。
「アリス・・・」
タクミくんが、縋るような眼でアリスを見つめた。アリスが目を逸らす。
「わ、分かったわよ・・・しょーがないわね」
ステータスを見るには、相手の許可がいる。UIを開くと、相手にステータス閲覧の許可を求めた。
システムには「拒否されました」の文字。
「アリスさぁん」と、いい加減にしてというニュアンスの声色で訴えて見ると、「ま、間違ったのよバカ!」と、ごまかしているが、多分ワザとだ。
そして、そのステータスを見て確信した。アリスは弱い。ステータスはカンストしていたが、スピードに関連するものに極振りされている。大昔のゲームなら極振り、つまり一つのステータスに全て注ぐようなやり方もあったが、このゲームでは愚策だ。必要なステータスがなければ装備しても機能せず、耐性も得られなければ、武器も持てないから攻撃も通らない。更にこの振り方では、どの上位クラスにも属せない。つまり、初期クラスのままという事。
「・・・アリスちゃん、ギフトは?」
ステータス画面では確認できないギフトについて尋ねてみた。
「無いわよそんなの」
「無いって・・・転生してないの?」
「しちゃったらまたレベル上げないといけないじゃない。いやよ面倒だし」
このゲームにはレベルが無い。行動に対して関連ステータスが上がっていくだけだ。ステータスには合計での上限があり、上がったステータスの合計を一つの指標として、プレイヤーは独自にレベルと呼んでいる。
「アリスちゃんて、本当に強いの?」
その言葉を発した瞬間、空気が変わった。アリスの眼光に、僕は慄く。
「私の事、ナメてるの?」
一瞬だ。何が起きたのか見えなかった。アリスがいつの間にか僕の胸倉を掴み、背もたれに押し付けている。
「いやっ・・・ごごごごめん」
パニックになったまま、両手を上げて謝罪するしかなかった。
「ア、アリス、ダメだよ」
タクミくんが、アリスの腕に縋りつく。アリスは僕をにらみつけた眼光でタクミ君を一瞥すると、目を閉じ、ため息とともに、僕の胸倉を掴む手を放してくれた。
「本当にごめん、アリスちゃん」
と、また窓枠に頬杖をついて、車窓の外をつまらなそうに見つめるアリスに謝る。
「いいわよ、水着で許してあげる」
水着一丁で許してもらえた。安いものだ。
潮風が鼻を擽る・・・わけがない。ここはゲームで、嗅覚は機能しないからだ。駅を出ると、青い空と、広がる白亜の町の先に青い海が広がっていた。
「わぁ・・・綺麗ですね」
タクミくんが、無邪気に笑っている。
「じゃあ水着買いに行くわよ。あんたのおごりだからね」
アリスが珍しくはしゃいでいた。きっと買い物でテンションが上がっているのだろう。
「あ、俺は一旦家に戻って装備を取って来たいんだ。お金は渡すから、別行動をしよう」
「いいわよ、はい」と、手を出すアリスに銀貨5枚を渡すと、それをじっと見つめた後に、僕を睨みつける。
「なにこれ、足りるわけないでしょ」
「えー・・・いくらの水着を買うつもりなの・・・」
銀貨5枚は円換算で大体5千円くらいにはなる。こちらの世界では、能力が重視されるため、それで十分色々な種類の水着が選べるはずだ。
「私に安物の水着つけろっていうの?殺すわよ」
「だって、水に入るだけ・・・」
「ん」と、手を差し出すアリス。
有り金すべてを渡す。アリスの手には、金貨2枚と銀貨7枚が握られている。
「なにこれ・・・少なすぎ」と、それでも文句を言われる始末だ。
「もう無いから。振っても出ないからね」
「アリスが無理言ってごめんなさい・・・」
アリスの代わりに謝るタクミくんはもう立派なアリスの保護者だ。
「タクミくんはどうする?俺の家に来る?」
「え?じゃあ・・・」
「バカじゃないの、タッキーは私の水着を選ぶの!」
アリスが、タクミくんの腕を引き寄せた。
「じゃあアリスに着いて行きます」と言うタクミくんは、観念した子犬の様な顔をしていた。
港で再開をする約束をして、二人と別れて路地を行く。海とは反対方向に進むと、アパート街が現れる。ランタンの灯る、薄暗い階段を上がっていくと、階段は、踏みつけるたびにギシギシと音を鳴らした。ドアの前で立ち止まる。僕の部屋だ。廊下は白くて細いストライプの走る水色の壁。部屋のドアは真っ白に塗られている。鍵を外し、ドアを開く。部屋の中は埃が待っていて、窓から入る光でキラキラと輝いている。その奥に、僕の銀のハルバードが壁に掛けられている。銀色に輝くそれの名はラルム。
僕の「涙」だ。