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6.眩暈

海の底の闇の中で温かく揺れるアンコウの光

オレンジ色の夢が奏でる幻想的で致死的な罠

ロマンチックでシニカルで、実に甘い発光する真実

大きな口で、砂と一緒に飲み込まれた瞬間、きっと夢から覚めるのだろう

移ろう現の虚ろな魚は、目覚めの時まで闇を泳ぐ

潰れた目を懸命に開いて、闇の中の希望を探して、ゆらゆらと揺れながら、海の水に涙を溶かしながら


6:眩暈


 これは夢だろうか。

 園児たちが元気に戯れるウサギ幼稚園世界樹支部の園庭の隅にあるベンチに、うさぎの耳を付けたアリス・イン・アンダーランドが、死んだ目をして座っている。その周りで、女の子たちがおままごとをしていた。アリスの瞳だけがこちらを向き、僕を捉えた。

「あぁ・・・えり・・・さい」

口が小さく動くと、消えるような声で何かをつぶやいた。すると園児たちがこちらに気付き、「おかえりなさーい」と元気な挨拶の合唱がすがすがしい青空の下に木霊した。

 呆然としていると、マー君が走ってきて、「ただいま、だろぉ」と言いながら、容赦のないローキックを僕にかます。

「ぐふっ・・・はい・・・ただいま・・・」

「よし、タッキーは中にいるぞ」

「うん・・・あの子は何?」

 マー君に、アリスを指さして尋ねる。

「さあ?最初はうるさかったけど今は皆と仲良しだぜ」

 仲良しには見えない。アリスの座るベンチへと近づくと、その周りで遊んでいた女の子のグループの一人が「あ、ジルおねぇちゃんも一緒にあそぶー?」と舌足らずな口ぶりで尋ねてきた。

「いや、用事があるからまた今度ね」

「そっかー、じゃあアリスちゃん、また赤ちゃん役ねー」

 と言われても、アリスは死んだ目のまま動かない。

「あの、アリスちゃん?」

 僕が尋ねると、「・・・ちゃん付けすんな・・・きも・・・」と、力無く答えた。放って置いた方が良さそうなので、彼女のことは園児たちに任せ、タクミくんの元へ急ぐことにした。


 家に入ると、園児たちに交じって、タクミ君が楽しそうに遊んでいる。

「ほら、見て。タクミおにいちゃん」と、積み木を見せられ、「うわぁ、上手だねぇ」などと上手くあやしている。

「みんな、ただいま」

「あ、ジルさん、おかえりなさい」

「おかえりなさーい」

 タクミ君に続いて、園児たちも元気に挨拶を返してきた。

「楽しそうだね」

 と言ってみると、タクミ君は満足そうに笑った。

「みんな、素直でいい子なんで」

 たぶん、全員が君よりも年上だよ、とは言えなかった。

 キッチンに続く奥の扉が開き、園長が顔をのぞかせた。

「あら、おかえりなさい。お話は園長室を使ってね。応接室を兼ねてるのよ」

「ありがとうございます。行こう、タクミくん」

「はい」

 タクミ君が立ち上がると、園児たちは「えーもっと遊ぼう」と駄々をこねただした。

「うん、お話が済んだら、また遊ぼうね」と、上手にあしらうと、僕たちは扉をくぐり、廊下へと出た。

「僕、教育学部に通っているんですけど、保育士もいいかもって思っちゃいました」

 教育学部、ということは、大学生なのだろう。もっと若いかと思っていたが、それも言わないで置いた方がよさそうな気がした。

「タクミ君なら、先生でも保育士さんでも、ピッタリだと思うよ」と、思ったことをそのまま伝えてると、彼は嬉しそうにほほ笑んだ。

 園長室へと入り、向かい合うようにソファーに座ると、僕は話を切り出した。

「ごめんね、急に呼び出したりして」

「いえ、そんな・・・でもどうしたんですか?」

 ソファーにもたれ掛かり、どう話すべきか考えた。

「オーバーテイカーの電電さんって知ってる?」

 そう尋ねると、タクミ君はきょとんとした顔のまま、「はい、何度かお会いしました」と、言った。

「この前、ここで電電さんがしたことは?」

「何のことですか?」

 たった一人で2000人を虐殺したなんてニュースは、普通はすぐにでも耳に入るはずだ。

「いや、色々あったんだけど、もしかしてずっとアリスちゃんと遊んでいたの?」

「はい、ここ数日はずっとアリスと一緒でした」

 悪名高い超越者アリスに付きまとわれれば、そりゃ他のプレイヤーは寄ってこないだろう。そしてアリスもそのことをタクミ君には話していない様子だ。

「電電さんが暴れてさ、騎士団連合がちょっと怒っちゃってるんだよね。もしかすると戦争みたいなことになるかもしれないって話で」

「戦争ですか・・・ゲームの中で?」

「ゲームなんだけどさ、でも、巻き込まれると大変だから、アリスちゃんたちとは少し距離を取った方がいいかなと思って」

 タクミくんは顔を伏せ、一拍置いてから口を開いた。

「でも、起きないかもしれないじゃないですか」

「向こうの偉い人に聞いたんだよ。危ないって」

「じゃあ・・・あの、アリスと相談してもいいですか」

 ハッとした。このことは口留めされていたし、向こうでそういう機運が高まっているなどとオーバーテイカー側に知られたら、更に火種となる可能性がある。

「ま、不味いかも。口留めされているんだった」

 それを聞いて、タクミくんはまたうつむいてしまった。

「事情を話せば、騎士団連合が匿ってくれるかもしれないし、そうすればアリスちゃんもうかつに手を出せなくなると思うよ」

「ちがうんです・・・」

 タクミくんが口を開いた。

「アリスのこと、別にそんな風に思ってないんです」

「そんな風って・・・?」

 理解が追いつかなかった。タクミくんは少し身を乗り出し、言葉に熱を込めて続ける。

「アリスも友達なんです、多分。向こうはどう思っているか分からないけど、だから・・・だから」

 だから、アリスが巻き込まれるのも、それを放っておいて逃げるのも嫌なのだろう。タクミ君は、「だから」の後の言葉を躊躇い、また顔を伏せる。その言葉を隠したのは、きっと僕の為だ。だから、

「いや、いいか」

「いいかって、なにがですか?」

 タクミくんが顔を上げ、不思議そうに呟いた。

「ゲームだからさ、開き直っちゃおうよ。アリスちゃんに言っちゃおう」

 それを聞くと、タクミ君は複雑そうな表情を見せる。

「い、いいんですかぁ?」

 声も上ずっている。

「よぉーく考えたらさ、俺は別にどっちの味方ってわけでもないんだし、良いんだよ。俺にそんな大事なことをしゃべっちゃったあのおしゃべり婆さんが悪い」

「信用して話してくれたのかも・・・それに、大変なことになっちゃうかも」

 タクミくんはいい子だ。相手のことを良い方に考えてあげられる。だからこそ、僕の中での優先順位の序列は、彼が一番になった。

「そうなったらそうなったで、きっと皆それなりに楽しむはずだよ」

 だって、これはゲームだ。実際には誰も何も失わない。いや、大切な時間を大量に失いながら、何かくだらないものを得るんだ。

 タクミくんは、まだ納得の行かない顔をしていたが、彼の得心を待たずに、僕は立ち上がった。

「あ、あの、もう少し、良く考えた方が」

「ダメ、タクミくんは我慢しちゃいそうだし。さあ善は急ごう」

 タクミくんの手を取り、アリスの元へと向かう。廊下を進み、子供たちが戯れるリビングを超え、そしてアリスのいる園庭へのドアを開ける。

「アリスちゃん、ちょっと話が」

「ばぶばぶば・・・ぶ・・・ぅ」

両手両足を縮め、おしゃぶりをくわえ、楽しそうに赤ちゃん役をこなすアリス。

「あの・・・アリスさん?・・・」

「ギャァアアアアアア」という絶叫とともに、傍らにあった哺乳瓶が飛んでくる。精神的バインド効果により、避ける事も出来ず、僕は、甘んじてそれを顔面で受けた。そして砕ける眼鏡。


 一通り叫んだあと、顔を真っ赤にしながらベンチの上で正座し、明後日の方向を向いているアリスに、一通りのことを説明してみた。一緒に遊んでいた女の子たちが、「大丈夫だよ、可愛かったよ」などと、慰めているが、逆効果だから止めて差し上げて欲しい。

「どうかな、アリスちゃん」

「・・・どうかなって何よ。あんたらが束になったって、あたしたちにかなうわけないでしょ!」

 アリスが食って掛かる。立ち上がり、険しく歪む顔をこれでもかと近づけて威嚇してきた。

「君たちは平気かもしれないけど、タクミくんは・・・」

「じゃあ何よ、止めろっての?言ったって聞かないわよ!」

今にも殴りかかってきそうな剣幕で捲し立てる。子供たちは遊ぶ手を止め、こちらを注視してた。僕が、言葉に詰まると、タクミくんが口を開く。

「なら、アリスも一緒に逃げない?」

 タクミくんが、アリスに手を伸ばす。

 一瞬の間。払い除けられた手。

「裏切れって!?バカじゃないの?!バカバカ皆バカ!自分たちじゃ何もできなくて、いっつもあたしを頼るの!」

「おねぇちゃん・・・」

 アリスと一緒に遊んでいた子の一人が、心配そうに手を伸ばす。アリスは彼女を見ると、泣きそうな風に顔を歪ませ、「あんたもよ!」と、どなりつける。

「あんたたちも、いい大人の癖に子供のマネして気持ち悪い!」

「むー・・・」

 その子は急にふくれっ面になった。

「おねぇちゃんもそんなエッチな服きてるくせに!」

その子がアリスを指さすと、子供たちは「えっちー」「えっちー」と、口にしだした。

「エ、エッチちがう!」

「えっちぃ」

「エッチじゃない!」

「えっちぃ」

「エッチじゃないって言ってるでしょ!」

と押し問答を繰り返すが、形勢は徐々に園児たちに傾く。

エッチエッチの大合唱に、アリスは顔を赤くして後ずさる。

「エッチじゃないわよバカぁ!」と、捨て台詞を吐いて逃げてしまった。子供たちは、「かったぁ!」と嬉しそうにはしゃぎ始める。

「ど、どうしよう」と、タクミくんに尋ねるが、困った顔同士で見つめ合うことしか出来なかった。

「あの、僕がメール送って見ます」

「うん・・・お願い。俺はちょっと、辺りを探してみるよ。ここで待ってて」


 アリスは、すぐに見つかった。

 とりあえず、大通りの方へと歩いていくと、アリスが腕を組んで仁王立ちし、顔だけを横にプイっと向けていた。こっちから話しかけろ、と言わんばかりの態度だった。

「あ、エッチな恰好の人だ」

「エッチじゃないわよ!」

 地団駄を踏む人を、僕は初めて目にした。アリスは僕をにらみつけると、歯切れ悪く、呟く。

「い、一緒に行ってあげても良いけど」

「いいの?オーバーテイカーの事」

「いいの、あんなの別に」

 指で髪を巻き、口を尖がらせている。

「タッキーはさ、良い奴じゃん」

「うん」

「最初はさ、レアだから欲しかったんだ」

「そうなんだ」

「だけどさ・・・」

 で、言葉が途切れる。

「分かってるよ」と、答えた。

 本当は分かってはいなかったが、今、分かった気がする。

「アリスちゃんは友達の友達だからさ、俺も友達になってあげるよ」

 意地悪に笑って見せると、「なっ、あんたみたいなネカマなんか絶対に嫌よ」と見事に振られたしまった。悔しいから、兎の耳がつけっぱなしなことは、まだ黙っておくことにした。


つづく

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