1.梅雨と聖者
初投稿となりますので、なにか至らない点がございましたら申し訳ございません。寛大な心でお許しください。
雨音と共に訪れる異世界へのいざない。もちろん抗うこと無く、僕はそれを受け入れた。黒き魔女の黄昏と、白き騎士の誓約が作った世界は、誰の来訪でさえ拒むことの無い、混沌と堕落の世界だった。
1.梅雨と聖者
0と1で出来たその世界は風も光も、命さえもが創造主を持つ、まさに神話の世界そのものだ。その世界の名は「アーク」。虚無と言う名の聖杯を内包する箱庭。それが僕のプレイしていた多人数オンラインロールプレイングゲーム、俗にいうMMORPGの名称である。この世界での僕の性別はあべこべで、見た目は女性の形をしていた。ボリュームのある天然パーマ風の髪は焦げ茶色、黒い縁の眼鏡に、誰もが最初に目をやってしまうような豊満な胸。名は好きなコーヒーの銘柄からとったブラジルNo2。銀色のハルバートを振り回しながら生物図鑑を完成させるために世界を放浪する女戦士、それが偽物の世界の偽物の僕、現実を超越した、理想の僕だった。
激しい雨に煙る草原を馬で駆ける。厚い雲で陽の光は遮られ、当たりは薄暗く、光の加減か青い靄が掛かっていた。向かう先は草原の先に広がる古老の森だ。ヒカリゴケが群生する美しい森で生息する魔物も弱く、ゲームを始めて間もないプレイヤーが草原での狩りに物足りなさを感じたら次に向かう場所でもある。
「雨、止むなよ」
祈る様に、そう独り言を呟いて手綱を振ると、黒毛の美しい馬は、雨粒を弾いて速度を上げた。速度に比例して近づいてくる森はヒカリゴケの光が漏れ出して、仄かに淡く光を発しているように見えた。薄暗い世界に灯る優しい光は、デジタルで有るはずなのに温かささえ錯覚させる。
森は古老と名づけられてはいるが、、入り口付近の木々はまだ若く、ほとんどは細い枝ぶりをしており、老成した巨大な木はまばらに生えているに過ぎない。晴れた日なら、日差しは地面にまで届き、小さな草花を育むだろう。そして森深くなるにつれ、木々は徐々に逞しさを増し、暗く、美しく豹変していく。馬を引いてヒカリゴケがランタン替わりの道を少し進むと、細い小川に掛かる橋が見えた。目的地はこの川を下ったところにある小さな池。雨の日にだけ湖面で踊る、アマゴイイトアメンボと、それを食べに集まるスノートラウトを図鑑に記録することが、今回の目的だった。
空を見上げると、枝や葉の間から覗く空が少し白けてきている。
「急がないと」
手綱を橋の 手すりに縛り付け、シトシトと頼りなくなった雨脚に気を取られながらも、目的地へと足を急がせた。
川を下っていると、ふと移した目線の先に小さな人影が見えた。巨大な木に出来た洞で、雨宿りをしているようだ。装備から察するに、まだゲームを初めて間もない様に見える。雨に長時間当たると、体力の回復速度が遅くなってしまう。きっとこのあたりに生息するカワオオカミウオや肉食トンボなんかの魔物にやられて休むために雨宿りをしているのだろう。
「ねぇ君」
この辺には人を見れば襲ってくる魔物や獣人も数は少ないが生息している。心配になって、声をかけてみた。驚いた様子で、少年のようなキャラクターが僕の方を振り向くと、それ以上に驚かされたのはコッチの方だった。
「エンシェントエルフ?!」
オッドアイの瞳を見て、つい大声が漏れる。
このゲームはある一定以上の強さになると、転生することができる。転生はステータスやスキルが初期に戻る代わりにいろいろと特典が付くのだけれど、その一つに人間以外の種族にランダムで転生する場合があって、短くてとがった耳と幼い容姿、そして、他ではワーキャットのレア種族だけが設定可能なオッドアイが特徴のエンシェントエルフは転生確率が尋常でないほど低い上に全部のワールドで個体数が決まっている。古参のプレイヤーたちがこぞって転生を繰り返し、我先にと独占していったレア種族を、古参のワールドではあるが、あまり人気の無いこのサーバーで見かけることが出来るとは、万に一つも思わなかった。彼を図鑑に書き込めたらなぁ、なんてことが頭によぎる。
「ごめん、初心者の人かと思って声をかけてみたんだけど」
つまり彼は、その何百、何千人で一つの椅子を取り合う椅子取りゲームを勝ち取った上級者に違いない。
「しょ、初心者です。あってます」
少年は顔と手を必死で振っていた。
「元は姉のキャラで、引退するんで僕が貰ったんです」
「こんなレアキャラを譲るなんて、随分気前がいいね」
そう言葉を返すと、少年は少しだけ目を伏せた。
「折角だから最初からやろうと思って・・・」
「転生して始めようとしたら偶々古代エルフに?凄い幸運だ」
「嬉しい反面、目立ちすぎちゃってちょっと困ったりもするんですが」
下手をすれば自慢の様に聞こえそうだが、少年の表情は曇り気味で、何となくだが気苦労が窺えた。
「ところでさ、こんなところでどうしたの?もう少し先に行けば村もあるし、そっちで休んだ方が安全だよ。獣人の群れが徘徊していることもあるからね」
特にこの森を根城にしているキツネ型の獣人、ルナミツコ族は、鼻が良く、遠くからプレイヤーを見つけて襲ってくる。追跡も得意で、逃げ切るには面倒な相手でもあった。まだ初心者用のフィールドだと言っても、最初の草原に比べたらこの森の環境はすこし過酷になっている。
「あの・・・」
少し言いにくそうに、少年は答えた。
「実は、道に迷ってしまって」
森の入り口から村までは道が続いており、分かれ道に置かれた道しるべを頼れば、迷うことはないはずだ。道草を食うにしても、拠点を確認するのが先だろう。そう思って地図を取り出して開いてみると、合点がいった。
「近道しようとして迷っちゃったのか」
「・・・はい」
「地図も無いの?」
「ちょっと訳があって」
地図は最初の街で簡単に手に入るし、転生者ならすでに所持してそうなのに。そう思ったが、何か事情があるのだろう。
「これも何かの縁だし、送ってあげるよ」
そういうと、少年は僕を見上げて嬉しそうな表情を見せた。
「あ、でも、お姉さんも何か用事があってここに来たんじゃ」
そうだった。空を見上げると、雨はすぐにでも上がりそうなほど弱々しくなっている。
「す、すぐ済むから。付いてきて」
そう言って、少年の手を強引につかみ、雨よふれふれと祈りながら下流を目指して走り出した。
「あ、そうだ、俺、中身男だから、お姉さんはちょっと恥ずかしいかな」
走りながら、自己紹介を済ませると、
「そ、そうなんですか」
と、なぜか少年は顔を赤らめ、僕のタグから名前を確認しているのか、頭の上あたりに視線を泳がせた。
「ブラジル・・・えぬ、おー・・・に?・・・ブラさん?」
「ブラもちょっと恥ずかしいかな」
「あっ、そうですね」
少年も気づいたらしく、更に顔を赤らめた。
「みんなはジルとか、ツーとか呼ぶよ。もちろんブラでもいいけどね」
「ジルさんて呼びます・・・」
そういえばと、彼の名前が気になり、慌てふためく少年の頭上にあるタグを見てみた。
「・・・タクミくんって、本名じゃないよね」
「はい、元々は姉のキャラですし」
そういえばそうだ。きっと彼の姉の好きなアイドルや漫画のキャラの名前、そんなところに決まっている。
水面に小さな赤い光が二つ。
喉に引っかかった小骨のような感覚に手を伸ばそうとした瞬間、目の前に現れたのはオオカミウオだった。現実のオオカミウオとは違い狼みたいに長い鼻を持った陸オオカミウオの一種で、森や川に住むタイプの初心者向けのモンスター。長いヒレを上手く使い、浅瀬の川をしぶきを上げて襲ってきた。
普段は銀のハルバードを得物としていたが、今日はあいにく持ち合わせて居ない。大した敵も居ないだろうし、自分の強さならこのあたりに居る弱い敵には襲われないからだ。この魚が襲ってきたのも、僕を獲物としたものではなく、僕と手をつなぐ、古のエルフ族の少年を狙ってのことだ。
腰に付けた長剣と短剣、その長い方に手を伸ばすと、引き抜いた動作のまま、不細工な魚に切り付けた。
その可哀想な魚が命を落とし、水面に浮かんで流されていくころには、小骨のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
「一撃で・・・強いんですね」
対して強く無くても、この程度の魔物なら一撃だけど、まだこのゲームを始めて間もない無邪気な彼には微笑みだけを返した。
オオカミウオは名の元となった狼と違って群れず、個体で縄張りを持っている。近くにはもう居ないと思うけれど、一応は剣を抜いたままにしておこう。
右手に長剣、左手に少年の手を握り、小川を下る。そして茂る藪を超えたところに、それはあった。
小川が岸壁に突き当たって出来た大きめの池の湖底から真っ白な光が差す。雨の日だけの特別な光景だ。
少年に示すように、湖面を指さして見せる。
「うわ、なんですか、あれ」
そこには、小さなアメンボの群れが円を描いて廻り、咲いて萎んで飛んで跳ねる。
「踊っているみたいだ・・・」
少年は目を丸くして、そう言葉を零した。
「俺も初めて見るんだけど、綺麗だね」
「綺麗なんてもんじゃないです。こんなものもあるんですね」
「結構細かい所まで凝ってるんだよ、このゲーム」
長剣を鞘に収め、図鑑に登録するためにカメラのような形をした魔導機を取り出してその光景を写し、確認のために図鑑を開くと、さっき取った画像がしっかりとそこに記録され、アマゴイイトアメンボの説明が記載されている。
「あっ」と、少年が声を上げた。視線を湖面に向けると、跳ねる白い魚が見えた。雪鱒だ。
「アメンボ、食べてます、あの魚」
心配そうな顔で、少年が湖面を指さした。
「そういう食物連鎖だからね」
そう答えながら、魔導機を構える。
「いいんですか、食べられちゃって」
「もう少し見て居たかったけど、あの魚も撮りたかったからね」
少年は、そういう意味じゃない、と言いたげな顔をしている。そんなこと、分かるはずもないし、分かったつもりにもなりたくなかったから、気付かないフリをした。
魚の上げた飛沫でちりじりになったアメンボがまた寄り集まり、円を作ってまた踊り出した。
食べられるために踊る彼らに祝福を。
つづく