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第四話 蝉の声

 今でも覚えている。足が竦んで、怖くて動けなかった。

あいつの姿がすぐに見つからない。……俺に怪我はなかった。

きっとあいつが助けたんだろう。俺を突き飛ばして、自分を犠牲にして。

――それは蝉の声が耳につく、暑い夏のことだった。


+++


「じゃあ行ってくる……お前ら、帰ってきて仕事増やすなよ」

「はい!いってらっしゃいませ、軍曹!」

「誰が軍曹だ」

「無事のお帰りをお待ちしておりますね、軍曹様」

「俺は戦場に行くのか」

馬鹿二人に思わず突っ込みながら店の外に出た。

 相変わらず空は快晴で、一度も雨おろか曇りにすらなったことがない。空には三体のドラゴンがを人を乗せて飛んでいた。

……あれ、乗れんのか?

そういえば客の一人が”ドラゴン試乗体験”というのをやっていると言っていた。この世界ではドラゴンに乗れるのは主に輸送業者や貴族、兵士が乗るもので一般の人間にとっては触るのですらめったにないとも話していた気がする。

「あいつがいたら真っ先に乗りに行ってただろうな」

小さく笑った後、どこか虚しい心地がした。


「はーい、次の方ー」

長い長い行列の末、ようやく順番が回ってきた。

獣の耳(多分兎と思われる)を生やす女が俺のことを見てビクッとした。また気がつかない内に睨んでいたらしい。

「ええっと人型一体と猫一匹ですね」

「猫?」

自分の足元を見るとあの白猫がすり寄っていた。

「……おい白猫。なんで一緒に来てんだ」

結局白猫の野郎は離れず、一緒に乗る羽目になってしまった。


「お前、どこまでついてくる気だよ」

白猫は後ろからとてとてついてくる。俺が足を止めると、白猫も足を止めた。

「にゃー」

「にゃー、じゃねえ。ついてくんなって言ってるだろ」

「……にゃー」

「ちょっと悲しそうな目をしても駄目だ」

それでも白猫は離れてはくれなかった。

……猫を見ると、あいつの顔を思い出す。


+++


「君があのヤンキー君かい?なんだかヤンキーっぽくないな」

あいつは初めて会ったとき、こう言った。

 あいつ――一ノ瀬若葉(いちのせわかば)は学年一変わり者だともっぱらの噂だった。授業中に突然立ち上がって『ちょっと空が光っていた。気になるので行ってくる』や今度は体育中に『助けを求める声が聞こえる』と言って消えたりするような女だった。

 そんな女が俺の目の前に突然現れて言ったのだ。初めはいらっときたのだが、よくよく考えるとあいつは俺のことを『ヤンキーじゃない』と言ったのと同じだった。

昔から目つきが悪く、ビビられたり、知らない怖い奴から脅された幼少期。いっそヤンキーになってしまえと何をとち狂ったのか思って染めた茶色がかった金髪は効果抜群で一度も友達ができたことはなかった。というか状況が悪化した。悪いやつから尊敬されるようになり、舎弟がたくさんできた。なぜだ。

そのファースト・コンタクトの後、一ノ瀬はちょくちょく俺のところにやってきた。どうやら懐かれてしまったらしい。気がつけば昼休みや放課後を共にする仲になっていた。

 ある日、一ノ瀬に連れてかれてやってきたのは学校の裏庭の一画。そこに小さな小屋が建てられていた。

「あれ?いないな。おーいにゃん吉ー」

小屋を覗き込んで”にゃん吉”というのがいなかったらしい。大声で叫んでいると、ガサガサと茂みから音がして、白猫がやってきた。

「おおにゃん吉。お前を探してたんだよ。お前に私の親友を紹介しようと思ってな」

”親友”。

そんな言葉が一ノ瀬から出てきたことに俺は少し驚いた。

俺のことはただの暇潰しだと思っていたから。

しかも友人よりもっと特別な呼び名。

「おい凪。お前もにゃん吉に挨拶しろ」

「……こんにちは」

そう言った瞬間、俺はにゃん吉に指を噛まれた。歯が食い込んで皮膚がへこんだ。……なんて恐ろしいやつなんだ。

「まあ出会いにしてはいいんじゃないか」

「どこがだよ。どう見ても俺に対して警戒態勢じゃねえか。ふざけんな」

「喧嘩するほど仲がいいというじゃないか」

「これは喧嘩じゃねえ。一方的な攻撃だ」

「……にゃん吉は体育の時、助けを求めていてな、ヒーローの血が騒いで助けたんだ」

「お前ヒーローじゃねえだろ」

このときあの『体育中に失踪事件』の真相が明らかになった。

「人は誰しもヒーロー願望を持っているものだ。……ヒーローが誰かを守って結果怪我したり、死ぬのは本望だ」

俺は一ノ瀬の言葉がずっと耳から離れなかった。

 それから俺と一ノ瀬はにゃん吉の世話をしていた。俺はにゃん吉に毎回攻撃され、一ノ瀬は笑い、そんな日々が続いていた。

しかし、にゃん吉はふらりと行方不明になった。

俺たちは探し回ったが、あの憎たらしい猫は見つからなかった。

「……仕方ないさ。猫とはそういうもの。また恩返しにやってくるだろ」

一ノ瀬はそう言って少し寂しそうに笑った。


 そしてそれから数日後の暑い日。俺と一ノ瀬は通学路を汗だくになりながら歩いていた。

「今日は進路調査のための面談だってよ。お前、いつだ」

「君の一つ前だ。終わったらコンビニでアイスでも買うか」

一ノ瀬がそう言って笑った。

「なあ凪、将来って何だろうな。私にはよくわからない」

「誰だってそんなもんだろ。むしろわかってたら驚きだ」

「そうかもしれない。私はこの前の調査書に第一志望ヒーロー、第二志望探検家と書いた」

「それって普通は大学とか就職先とか書くもんだろ」

「そう、普通はな。私はヒーローに憧れているし、面白いことが好きだ。なのにどうしてそれを将来の夢にしない?」

一ノ瀬は心底それが不思議だという声色で問いかけた。

 こいつにつきあってわかったことは子供みたいな性格をしているということだった。楽しいことに興味を示し、何か格好いいものに憧れる。……俺はそれが一ノ瀬の長所だと思っていた。

「やっぱり難しい……待て、凪、危ない!」

どんっと背中を押された。俺は軽くとばされ、背後からぐしゃと金属がぶつかる音がした。

 後ろを振り返ると、さっきまで自分たちがいたところに車がつっこんできており、その下には見覚えのある制服のスカートが見えていた。

「一ノ瀬!」

蝉の鳴き声が妙に頭から離れなかった。


+++


 気がつけば、俺は昨日来た泉に足を向けていた。

意志とは関係なく、足が動いている。……まるで何かに誘われているようだった。

「一ノ瀬」

 泉の傍にいる一ノ瀬は何も話さなかった。ただそこにいた。

――俺はあいつのいたあの世界から逃げ出したかった。

何もできなかった俺はあいつに助けられ、今を生きている。

短い時間でも確かに同じ時間を共有した。なのにあいつは今、どこにもいない。

それを認識するのがとても怖かった。……だから逃げたかった。

「にゃー」

白猫が鳴いた。それがにゃん吉とダブった。

二匹はよく似ていた。

 白猫が前足を水面につけると、一ノ瀬の姿が現れた。

『人は誰しもヒーロー願望を持っているものだ。……ヒーローが誰かを守って、結果怪我したり、死ぬのは本望だ』

あの時言っていた言葉。

一ノ瀬も本望だったのだろうか。俺を庇って死んだことは。

「小倉君」

はっと気付くと、目の前で手がひらひらと振られていた。その手の主は思った通り頼りなさすぎの寺田がいた。

「夕飯にも帰ってこないから探しに来たんだ」

空を見上げると紺色に染まっていた。

「……君も、ここで誰かに会った?」

寺田はぽつりと聞こえるか聞こえないかの声で言った。

「僕も会ったんだ、妹に」

いつも脳天気で、必死に年上ポジションを守ろうとしている奴から考えられないような沈んだ声だった。

「水面に映る自分の姿も見た。妹と一緒にいるんだよ、そんなことあり得ないんだ。……僕が彼女から逃げたのに」

逃げた。こいつも俺と同じ。だからここにいるのかもしれない。俺たちは現実世界から異世界に逃げ込んだのだ。

「君は誰に会ったの?」

「……友達。俺を庇って死んだ」

「大事だったんだね」

「……あいつの死が一年経った今でもすぐ傍にいる気がして」

「違うよ、傍にいるんだよ。君のことが心配できっと仕方ないんだよ」

あいつがそんなことを思っているとは思えないが、黙って耳を傾けた。

「いつもより君がどこかに行きそうな気がする……その友達の話をしているからかな、多分」

「そうか?」

「……忘れたら、君と友達の思い出が消えてしまうよ」

その言葉で気付いた。

俺はあいつの死を認識したくないんじゃなくて、あいつのことを忘れたかったのだ。もうどこにもいないから。あの真っ直ぐな心を見れないから。

俺は現実じゃなくて、お前から逃げていたんだ。

「……今からでも許してくれますかね、あいつは」

「君が死んだ時にそれはわかるんじゃない?……僕の場合はわからないけど」

「あんたの妹もきっと許してくれる。あんただってこんなに向き合おうとしてるから」

俺の言葉に目を大きく開けて、そしていつもの脳天気な笑いを零した。やっぱりこの人はこっちの方がいい。

「帰ろう……寺田さん」

「何?」

「あいつ、本当は友達じゃなくて親友なんです」


 忘れないことが、償いになるのなら。

俺は泉に背を向けた。

今度は蝉の声は聞こえてこなかった。
















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