8話 林間遠征
朝。
冒険者学園に入学してからもう一週間。
だんだん学園にも慣れてきた頃だ。
何度か授業も受けてみて、この学園のレベルもわかった。
国内でも屈指と言う割には、魔法に関する授業のレベルはそこまでとは思わない。
……もっともこれは多分俺がおかしいんだろう。皆は中々に苦労しているようだし。
一方で、冒険者としての常識や心構えを学ぶ授業では、俺はついて行くのが精一杯だった。
爺ちゃんや婆ちゃんも冒険者に関してそこまで詳しいことは教えてくれなかったから、聞くこと全てが新しい情報なのだ。
単純に覚えなければいけないことの数が皆とはけた違いだから、必然理解力にも差が出てくる。
だが、このまま置いて行かれたままではいられない。
ということで今現在俺は、朝の時間を利用して冒険者に関する知識を蓄えていた。
「えーっと……冒険者とは迷宮や森林等の一般人では立ち入りが難しい場所を、国から資格を得て踏破する者たちのことである。ただしそういった仕事は相応の実力がないとできないので、街や村の警備と言った騎士と同じ仕事に就く冒険者も多い……ねぇ」
俺は頭を掻く。
冒険者というのはいわゆるエリートだ。
狭き関門をいくつも通り抜け、選び抜かれたものだけが冒険者という資格を得ることができる、と授業で習った。
それでもなお実力が足りないことがあるのか……。
なんというか、世知辛い世の中だなぁ。
「リュート殿は魔法は凄いでござるが、頭はあんまり良くないんでござるな」
勉学に励む俺を見て、ツルギが嘆く。
「ぐふっ……。つ、ツルギって結構ストレートに物言うタイプだね……」
正直俺は頭の出来はそこまで良くないと思う。
というか、周りが凄すぎる。さすがは特進クラスだ。
別に侮っていたわけではないが、まさかペティーシェでさえ俺より頭がいいとは思わなかった。
「ゲロンゲローン」
ペティーシェは自分の机を変化魔法でカエルの形に変えて遊んでいる。
……あれに負けたのはちょっとショックだ。
「でもリュートの場合、やればできると思うけどなー。魔法に関してはボクたちよりもよっぽどすごい知識があるんだし」
「ルルナ……!」
たしかにそうだな、俺は魔法の知識に関してなら誰にも負けるつもりはない。
さすがルルナ、友達だけあって俺のいいところを良くわかってくれている。
ルルナに会えて俺は幸せだ!
「どうしたのリュート? 目を輝かせて」
「ルルナに会えて俺は幸せだ!」
感情のままに発した言葉に、ルルナは顔を赤くする。
「むふっ。あ、ありがとう」
毛先をくるくると手で遊ばせながら、ルルナは堪えきれないかの如く口をにやにやと緩ませる。
感謝したいのは俺の方だというのに、やっぱりルルナはいい人だ。
そんなことを思っていると、後ろからケロケロとした声が聞こえてきた。
こんな声を出せるのは一人しかいない、ペティーシェだ。
「リュート君の魔法に関する造詣の深さは本みたいケロ。……あ、そうだ。おいらの変化魔法でリュート君を本にしちゃうって言うのはどうケロ?」
「怖いこと言わないでくれる!?」
俺はまだ人間として生きていたいよ!?
思わず立ち上がった俺に、ペティーシェは手の指を開閉する。
「ゲロッパ! 冗談だケロ。人の場合は相手が受け入れないと使えないケロー」
「俺は君が怖いよ……」
ペティーシェって顔が変わんないから本気か冗談か全然分かんないんだよな……。
「怖がらないでリュート。素直に受け入れよう」
「ルルナのそれは一体どの立場からの助言なの?」
受け入れたら俺、本になっちゃうんだよ!?
君の初めての友達が本になっちゃうよ、いいの!?
「受け入れるでござる、リュート殿」
「君たちちょっと悪ふざけが過ぎるよ!?」
とその時チャイムが鳴り、それと同時にバギランがその大きい身体で教室へと入ってくる。
「よし、全員いるな」
ふぅ……。
俺は席に着きながらため息を吐く。
やっと一息つけた……。
俺たちの前に立ったバギランは、教壇に前のめりになりながら口を動かす。
「……林間遠征だ!」
……ん? なんだって?
「これから林間遠征を行う! 非常事態に巻き込まれたという想定の為、戦闘用に持って行ける物はほとんどない。普段持ち歩いている物だけだ。例えばツルギの刀とかだな」
「ちょっ、ちょっと待ってください。いきなりすぎませんか?」
今からって、準備もなにもできないじゃないか!
そんな思いの俺に、バギランはふぅ、とため息を吐き、厳しい目で俺を見る。
「いざとなれば上級生にも情報収集は出来たはずだぞ。冒険者になればいつ何時予想外の事態に巻き込まれるかわからん。いつも万全な状況で事に当たれるわけではないのだ。これはその練習とでも思ってくれ」
その言葉は確かに筋の通ったものだ。
たしかに上級生とコンタクトなどとったこともなかった。
それは俺の落ち度だろう。
「わ、わかりました。すみません」
俺はバギランに謝る。
バギランは「気にすんな」と言って俺の頭を乱暴に撫でた。
雑な動作だが、不思議と悪い気はしない。
なんだかんだ言って、バギランも学園の教師なのだ。生徒のことを考えてくれているのだろう。
そう思う俺の前で、バギランは飄々と言う。
「まあ本音を言うと林間遠征について伝え忘れていた。すまんすまん」
ふざけんな、俺の謝罪を返せ!
「いいでござる、許すでござる」
「そうか。ツルギ、助かる」
「ツルギ!? なんでそんな軽いのさ!」
ルルナがツルギを驚愕の目で見るが、ツルギは平常運転だ。
「だって拙者、バギラン先生を尊敬しているが故に」
それだけ言えば十分だ、というように口を閉じる。
「ツルギってちょっと変わってるよな」
「そうなんだよ。バギラン先生のことを尊敬してるのは知ってたけど、まさかここまでとはボクも思ってなかった」
「拙者、変わってなんていないでござる。むしろ皆がバギラン先生に対する尊敬が足りないと思うでござる」
その言葉に反応したのはバギランだった。
「おお! ツルギ、やはりお前は俺が目を付けてただけあるな! このクラスで今一番伸びてるのは間違いなくお前だ!」
「あ、ありがたきお言葉にござる!」
目を爛々と輝かせ合う二人。
駄目だ、この二人にはついていけない。
「さて、改めて何か質問はあるか?」
そう問うバギランに、ペティーシェがヌッと手を上げる。
「なんだ、言ってみろ」
「先生、カエルは何匹まで連れて行っていいケロ?」
「うん、ペティーシェは何を聞いてるの?」
そんな質問今までの人生で一度も聞いたことないよ?
しかしバギランも動じない。
「必要なら好きにしろ。ただし他人に迷惑はかけるなよ?」
「らじゃーケロ」
「ペティ、カエルを何に使うのか聞いてもいい?」
ルルナのペティーシェの呼び方はいつの間にかペティ呼びになっていた。
ツルギも今はペティ殿と呼んでいる。
にもかかわらず俺がペティーシェ呼びなままなのは、なんとなく恥ずかしいからだ。
男女と女同士では距離感も違うしね。
ところで、ルルナの質問は俺も気になっていたところだ。
もしかして、変化魔法を使うにあたって制約みたいなものがあるのだろうか。「カエルに触れている間しか使えない」みたいな。
あとは……もしくはカエルを家で飼っているとか?
そんな風に考えを巡らせる俺の前で、ペティーシェは笑顔で言う。
「もちろん何にも使わないケロ? 聞いたみただけケロ!」
なるほど、ただ聞いてみただけだったかぁ……。
……ペティーシェはあれだね、思考回路が俺みたいな凡人とは違うんだろうね。
言葉はわかるのに言っていることの意味がほとんど理解できないや。あはははは。
「ゲロッ!? リュート君が一人で笑ってるケロ。リュート君って変わってるケロ~」
「君だけには言われたくないんだけど……」
「個人的には二人ともいい勝負かなー」
「えっ、ルルナ!?」
なんで君の脳内では俺とペティーシェが互角の勝負を繰り広げてるの!?
「お前らなぁ……。仲が良いのはいいことだが、ここが冒険者学園だってこと忘れんじゃねえぞ? 林間遠征じゃ、四人一組でチームを組んで森の突破速度を競うことになる。同じ特進クラスのB組とは嫌でも比べられるし、一般クラスに負けたらもう陰口叩かれ放題だぜ。なんせお前らは授業料免除されてて一般クラスからは妬まれてるからな」
俺たちの様子を諌めて、バギランが忠告してくる。
たしかにこの林間遠征である程度の順位というものがつくのだろう。
ここで負けることは、特進クラスの俺たちには許されないのかもしれない。
――でも、自信がないわけでもない。
俺は口を開く。
「俺たちの歩いてきた道のりには今まで積み重ね磨き上げてきた年月があるんです。誰にも負けるつもりはないですよ。ねえ皆?」
俺は別に冒険者を目指してたわけでもないけど、鍛錬はしてきた。
それは誰にも負けないものだったと自負してる。皆だって同じはずだ。
そう思って皆の顔を見ると、やっぱり皆俺と同じような顔をしていた。
「リュートの言う通りだね。ボクもやる気出てきたよ……!」
「リュート殿、拙者が今そういういい感じの言葉を言おうと思ってたんでござる! リュート殿はカッコいいセリフを考える速度が速すぎるでござる!」
同意するルルナに、悔しがるツルギ。
俺は余裕の口調でツルギに言う。
「ああ、それは友達とかいなかったから、カッコいい言葉を言う妄想に花を膨らませてたからね」
俺とツルギでは年季が違う。
簡単に譲れるほど、俺の十五年は短くなかったからね。
それを聞いたツルギはしゅんと俯く。
「あ、な、なんかごめんでござる……」
「リュート、ボクもだよ! ボクたち本当に気が合うね!」
「ああ、ルルナも拙者と会うまではそうだったのでござった……。二人を見てるとなんだか拙者が泣きたくなってくるでござる……」
「元気だしなよツルギ。ボクが悩みを聞いてあげるからさ」
ツルギの肩を、ルルナがポンポンと優しく叩く。
「俺も話聞くよ。仲間だからね」
もう片方の肩を叩く。
「うん、ありがとうでござる……。……あれ? なんで拙者が慰められてるのでござる?」
両肩をポンポンと叩かれながら、ツルギは不思議そうに首を傾けた。
遠征用の地竜車に先生含めた五人で乗り込んだ俺たちは、目的地であるらしいバキャネル森林へと向かう。
その車内でバギランが口を開いた。
「まあ、なんだかんだ言ってお前らも特進クラスだからな。やる時はやるんだろ? 心配はしてねえ――」
「ゲロッパ! 先生先生、ゲロッパ!」
「お前は本当なんなんだ。俺にはお前がわからねえ」
「ゲロローン」
なんだろう、無事行くことを祈りたいけど無事に終わる気がしない……。
俺の不安を乗せたまま、地竜車はバキャネル森林へと進んでいくのだった。