17話 蛍
時はあっという間に過ぎていく。
一週間あった林間遠征も、あっというまに明日が最終日となっていた。
俺は布団に入りながらこの林間遠征を振り返る。
複数属性を使う魔物と戦うことになったりルルナと戦うことになったり色々とあった遠征だったが、俺の成長にはとても役に立ったと思う。
「……寝れないな」
なんとなく寝付けない。
俺はごろんと寝返りを一つ打った。
布団が擦れ合う音が部屋に響く。それ以外の音は一切しない。
なんたってこの部屋は俺だけしかいないからな。
別に俺が特進クラスだから特別扱いを受けているわけではなく、一般クラスももれなく一人一つ部屋を与えられている。
この建物はどんだけ広いんだって話だよな。
「リュートー……起きてるー……?」
そんなことを考えていると、扉の外から声が聞こえた。
この声は……ルルナ?
「起きてるよ、ちょっと待ってて」
俺は部屋の明かりをつけ、扉に近づく。
開けると、そこにはルルナとツルギとペティーシェ、A組が勢ぞろいしていた。
「どうかしたの? こんな時間に」
「リュート殿さえ良かったら、蛍を見に行かぬかと思って誘いに来たのでござる」
「蛍? ここ、蛍が出るの?」
「ゲロッパ!」
肯定なのか否定なのかわからないけど、少しだけ上がっている口角からして多分肯定なのだろう。
「今日お風呂でそれを聞いてね、一緒に行きたいなぁと思って。あ、もちろん眠いなら無理しなくていいんだけど」
「行きます!」
俺は即答した。
夜に美少女三人に外に蛍見に行こうって誘われる? なにこれ夢かな?
理性が強いと自称する俺だけど、さすがにこれには乗らざるを得ない。
というかここで即答しないやつとは俺は友達にはなれそうもない。
いや、ほとんど友達いない俺が言えたことじゃないけどさ。
外に出た俺は、三人に続いて森の中を進む。
魔物が出てくるかもってのはあるけど、あの魔物が出てから先生たちの間でも隈なく探索したみたいだし、普通の魔物しかいないはずだ。
そして普通の魔物なら、俺たち四人いればなんとでもなる。
これは慢心じゃなく、純然たる事実だ。
「ここだよ!」
ルルナが立ち止まる。
「おお……!」
俺の眼前には、黄緑色の小さな光がキラキラと舞い踊っていた。
不規則に点滅する天然の明かりは例えようもないほど幻想的であり、目を奪われる。
俺たち四人はただただ蛍が飛び回る光景を呆然と眺めていた。
――だから、気づかなかったのだ。
俺たちと蛍以外に、まだ生物がいたことに。
ガサリと音がして、俺たちは我に返る。
音が聞こえた場所には、誰か人のような影があった。
「だ、誰だ!」
俺は声を荒げる。
相手は人に見えるが、魔物の可能性も捨てきれない。
その場合、戦闘は避けられ――
「やあ、A組の諸君。僕だよ」
聞こえてきたのは男とは思えないほど透き通ったガラスのような声。
俺の知る限り、こんな声の男は一人しか知らない。
つまりは……
「エルギール、君だったのか」
「そう、僕だよ」
そこにいたのはエルギールだった。
まったく、魔物かと思って肝が冷えたよ……。
「この暗がりだ、顔も見えにくいだろう。一応名乗っておこうか?」
「いや、必要ないよ? ボクたちもうキミのこと知ってるし。エルギール君でしょ?」
そう答えたルルナに、エルギールはコクリと頷く。
おお、今回はあの長ったらしい自己紹介を聞かなくて済みそうだな。
「その通り、覚えてくれているとは光栄だね。改めて名乗ろう。僕はエルギール。エルギール・フォン・エストレア。――いずれ冒険者の頂に立つ男さ」
君はどうあっても名乗らずにはいられないんだね。そういう病気だと思うことにするよ。
マントをはためかせながら前髪を後ろに掻き分けたエルギールに、女子三人は固まっていた。
「ゲロゲロー」
いや、ペティーシェだけはいつもどおりか。この子本当マイペースだよな。
「エルギール殿も蛍を見に来たのでござるか?」
「ああ。これも貴族の義務だからね」
「そんな義務があったとは初耳だ」
絶対嘘だろ! 蛍を見る義務とか、むしろ負いたいよ!?
そんな気持ちを隠して俺はエルギールに言った。
そんな俺に、エルギールはひらひらと手を振って笑う。
「冗談だよ、冗談。僕を見てくれ、リュート君」
そう言って俺の真ん前に立つエルギール。
こんな真夜中でも相変わらずのイケメン具合だ。
蛍の光で幻想的になっている分、余計に手が付けられなくなっている。
「うん、見たよ?」
俺の答えに、エルギールは両手を開いて言った。
「どうだい、輝いているだろう?」
「……はぁ?」
何言ってんだコイツ?
「蛍と僕、どっちが輝いているか比べてみようと思ってね。今日はそのために来たのさ」
すごい思考回路してるなこの人。
「あれ、そう言えば他のB組の人たちは? 一緒じゃないの?」
「彼らには断られてしまったよ。一緒に来ようと思っていたのに残念だ」
……もしかして、エルギールってB組で浮いてたりするのかな?
だとしたら可哀想だよな。最初は嫌なやつだと思ったけど、今じゃそうは思わないし……。
俺は気の毒だなと思いながらエルギールを見た。
「うん? なんだか突然同情の視線を向けられ始めた気がするんだけど?」
「辛かったんだねエルギール。もう大丈夫、俺がいるよ」
俺はポンポンとエルギールの肩を叩いた。
友達がいない辛さはよくわかる。
俺には爺ちゃん婆ちゃんがいたから耐えられたけど、エルギールにはそんな人さえいないのかもしれない。
ああ、なんて可哀想なんだ……!
「何を勘違いしてるのかな。僕は皆から大人気だよ!」
「え、そうなの? 俄かには信じられないけど」
「リュート君は意外と毒舌だな……。僕が人気がないわけがないだろうに。そうだ、試しに君たちはどうだい? 僕のことどう思う?」
エルギールはルルナ達に話を振った。
「自意識過剰でござる」
「ゲロッパだケロ」
「猪突猛進ナルシストかな」
さんざんな評価だな。
「ぼ、僕は泣かないぞ……! 僕は強い子なんだからな……!」
エルギールはわなわなと震え、唇を噛みながら拳を握りしめる。
その青い瞳にはかすかに光るものがじわりと滲みつつあった。
それを見たルルナがエルギールに優しく語りかける。
「ごめんエルギール君、言い過ぎたよ。だからそんな顔しないで? ……ちょっとボクには刺激が強いから……!」
ルルナのやつ、エルギールが泣くのを我慢してるのを見てウズウズしてる……!
「君は……ルルナさん、と言ったかな? 優しいんだね、ありがとう」
「うひ……じゃなくて、うん。どういたしまして」
優しいというか、自分を抑えるのに必死って感じだけど……まあ、わざわざ誤解を解く意味もないか。
俺の初めての友達は、俺の理解が及ぶ範囲のはるか先を歩んでいるなぁ。
「あれ、どうしたんだいリュート君。随分と遠い目をして」
「いや、皆尖ってるなぁと思って」
「尖ってる? 輝いているならわかるけど」
それ、まだ言うんだ……。
特進クラスには変人でなければ入れないなんて決まりでもあるのだろうか。
俺はため息を吐く。
皆に比べて俺は……。
「なんか俺って特徴ないなぁ」
そう嘆いた途端、ルルナたち三人が俺に寄ってきた。
「何悩んでるのさリュート。キミはボクを学園まで背負ってくれた、とっても優しい人じゃないか。どんなに影が薄くても、リュートはボクの友達だよ!」
「うん、ありがとうルルナ」
影が薄いってところが気にかかるけど、そんな風に思ってもらえてるなんて俺は幸せ者だ。
続いてツルギとペティーシェの二人も声をかけてくれる。
「リュート君は面白い人ケロ。いるかいないかわからない時もあるけど、それでもおいらはリュート君がクラスメイトでよかったケロ」
「リュート殿はとても頑張り屋でござる! リュート殿の気配絶ちの術は見事で、いつか拙者も教えて欲しいでござる!」
「二人もありがとう。本当にうれしいよ」
でもとりあえず、俺は気配絶ちの術なんて知らないってことだけは言っておきたいな。
やっぱり印象が薄いって思われてたのか……。
仕方ないことだけど、やはり落胆は隠せない。
「ど、どうかしたのリュート。元気だして、ね?」
ルルナは心配と悦びが混じった顔で俺を見る。
君、あの戦闘でドSなのがバレて以来ガンガンそういう面見せるようになったね!?
とそこで、後ろから何かの叫び声が聞こえてくる。
「うおおおおお!」という叫び声。それを聞いただけでA組の俺たちは誰がやって来るかを察した。
「なんだこの声!? もしかして魔物か?」
ただ一人、B組のエルギールだけは警戒するような素振りを見せた。
「いや、違うよエルギール。この声は……」
「うおおおお! ん? なんだ、お前らもここに来てたのか」
やってきたのはバギランだった。
相変わらず声がでかい。今が深夜なのを知らないのだろうか。
「なんでずっと大声あげてたんですか?」
ルルナが当然の疑問をバギランにぶつける。
「せっかく蛍を見に行くのに、魔物と鉢合わせて戦闘になると興が削がれるからな。俺がいることを周りに教えてやってたんだよ」
なんだか理解できるような理解できないようなよくわからない言い分だ。
「先生が蛍好きだったなんて意外ケロ」
「俺の勝手だろ」
たしかにバギランの言う通りなのだが、顔と好みが致命的に合っていないのは否定できない。
「拙者は似合うと思うでござる! 先生はとても可憐でござる! まるで一輪の花でござる!」
「お前には俺がどう見えてんだ……?」
バギランは引いた顔でツルギを見た。
バギラン先生と同じ感想を持つなんて初めてかもしれない。
続いてバギランは、エルギールに目を止めた。
「おっ、お前エルギールだろ? B組の担任から聞いてるぜ、有望株だってな」
「それはそれは。ありがとうございます。まあ、僕なので当然ではありますけどね」
エルギールはそう言って不敵に微笑む。
その自信、俺にも少し分けて欲しい。
「A組もそうだが、B組も例年と比べてかなりの優秀さらしいな。今年は凄いやつらが多くて教師としちゃやりがいがあるぜ。……っと、そろそろ俺は帰る」
バギランは一瞬蛍を見ると、すぐに踵を返す。
「え、もう帰っちゃうんですか? 今来たばかりなのに」
「こういうのは一目見りゃいいんだ。それに、教師には色々準備ってもんがあるからな。お前らも寝坊しないようにほどほどで帰れよ。じゃーな」
そう言い残し、バギランは帰ってしまった。
すると、エルギールが笑い声を漏らしだす。
「フフフ……バギラン先生に名前を覚えられていた、これがどういうことかわかるかいリュート君」
「わからないけど」
「先生は僕をA組と認めたってことさ!」
「すごいな君は」
まったく論理が通っていないじゃないか。
「エルギール君はゲローゲロだケロ」
「ペティーシェさんと言ったかな。ゲロゲロとは一体どういう……?」
「ゲローゲロはゲローゲロだケロ。もしくはゲロンケロケロでも同じような意味ケロ」
「な、なるほど……わかったよ、何と言っても僕は貴族だからね!」
絶対わかってないだろ。何がなるほどなんだ。
そう呆れる俺に、エルギールは小声で耳打ちしてくる。
「なあリュート君、ゲローゲロとはどういう意味なんだ?」
やっぱりわかってなかったんじゃないか……。
俺を巻き込まないでくれ。
「わからないけど、多分褒めてるんじゃないかな? わからないけど」
適当にそう告げる。
それを聞いたエルギールは目を輝かせた。
「そうか……! ペティーシェさん、君は実に良い人だね!」
「ど、どうもケロ……。……さっきはゲローゲロなんて酷いこと言ってごめんなさいケロ」
そう言ってペティーシェは謝罪する。
ああ、やっぱり褒めてなかったんだ。まああの状況で褒めるわけないか。
「リュート君! 褒めてなかったじゃないか!」
そんなこと言われても俺だって知らないし、そもそもなんだこの状況は。
俺は蛍を見に来たんだぞ!
そうだ、これからは蛍に集中することにしよう。
俺は夜空を舞う蛍たちを見上げる。彼らはこの瞬間も一生懸命に飛んでいるのだ。
「蛍、綺麗だなぁ」
「ちょっとリュート君! 聞いてるのかリュート君! 僕を見ろリュート君! 蛍より僕の方が綺麗だぞリュート君! リュートくぅぅんっっっ!」
リュート君と叫ぶだけの機械と化したエルギールを無視して、俺はただただ蛍を観察するのだった。