悪夢から始まる朝
待って…待ってよ蒼太……
『さぁ、行こうか』
『えぇ、いきましょう蒼太さん』
どうして…どうしてあなたの隣に立っているのがわたしじゃないの?
ずっと、ずぅっと一緒に過ごしてきたのに、どうして今のわたしはあなたに寄り添っていないの?
わからない……わたしに何か至らないことがあったの?もしそうなら直すからさ……
『あ、でもその前に』
『?』
暗い空間に押し込められている私に振り向いた『女』は私の姿を見るなり口元を歪めた。
そしてその骨のように真っ白な両手を蒼太の両頬に当て……
「いや……やだよ…やめて…」
ゆっくりとその醜い顔を…口を、愛しの蒼太の穢れなき口へと近づける……
「だめ…そうたぁ…おねがい、やめて…」
止め処なく私の両頬を流れる涙は、暗闇へと呑まれていく。
両手と両足は蒼太の下に行こうともがき続け、口からは歯を食い縛りすぎたせいか鮮血が流れ出す。
もがいて、必死に追いかけようとするが、まるで蜘蛛の糸に掛かった蝶のように闇はさらに私の体を縛る。
「うぅ…やぁ……こんなの…こんなのって…ないよ……そうた……そうたぁ!!」
もがき続ける私など見えていないかのように二人の距離はどんどん近づいていき、
「いや……いやぁ……」
そして――――
◆◆◆◆◆◆
「いやぁぁああああああああああっ!!」
雄叫びとともに体から布団を跳ね除ける。勢いをつけすぎたせいか、体がベッドの上で少しだけ弾んだ。
荒い呼吸、乱れた髪、汗でぐしょぐしょになったパジャマ……そして、窓からさわやかに差し込む朝日。
それらが教えてくれたひとつの答え。
「……ゆ、夢だったのねぇ~」
ふにゃりと体から力が抜け、ふたたびベッドへと体を預ける。ポフンと軽い音を立てたあとに、ゆっくりと全身を布団が包み込んでいく。
おでこに片腕を乗せ、軽く伸びをすると、朝の長閑な空気が肺に入り込んできた。一気に膨らんだせいで、少しだけ圧迫された肺が痛みを主張してきた。
「それにしても、まさか昨日読んだ小説の一場面を夢に見るなんて……」
しかも主人公の立場になって、一番のダークシーンを再現する羽目になるとは……
私はぼーっとする頭を右手で支えながら、夢の内容を恨む。あんな不幸な展開をわたしたちで再現しようだなんて……なんてタチの悪い夢なの―――
―――はっ、ちょっと待って!
「蒼太は!蒼太はどこ!?」
再び飛び起きて首を振る。ぐわんぐわんと寝起きの頭がかき混ぜられて、強烈な眩暈がするが、そんなことは些細なことと片付けてわたしは血眼で目標物を探し回る。
するとあっけなく目当ての人物が視界の隅に移った。
布団に包まり、私の寝ていた位置から少し離れたところで静かな寝息を立てているその姿が、わたしの五感を一気に高めてくれる。
「とおぉ!!」
私はすぐさま体をよじり、ほふく前進のように目標地点まで近づく。一歩進むたびに、この世のものとは思えない甘美な香りが鼻腔を刺激してくる。
い、いかん、鼻血でそう……だが、私はこんなところでくたばるわけにはいかない!
必死に意識を保ち、布団の隙間に体を潜り込ませる。光のない湿った空間がさらに私の歓喜を呼び起こしていく。
ゆっくりと、しかし確実に前へと進んでいく。気分は金銀財宝を目指す探検家か、険しい山の頂に輝く景色を夢見る登山家だ。
そして私は、長く暗いトンネルを抜け、ようやく光の差し込む、布団の先端という名のゴールへと顔を突っ込んだ。
「えへへ~、おはよう蒼太♪」
文字通り目と鼻の先にいる私のこの世でもっとも愛してやまない旦那――――蒼太は私の挨拶を無視していまだに眠りこけている。
その寝顔が可愛くて仕方なかったが、ここまでしていまだに起きないことにも少し腹が立った。
だから、私は少しだけ悪戯をすることにした。
「ふ~」
「むにゃ……ふあっ!?」
優しく耳に息を吹きかけると、すっとんきょんな声を上げて蒼太は体を震わせた。その振動が添い寝する私の体にも伝わってきて、思わずこっちまで気分が高揚してきてしまう。
寝ていても私を悦ばせられるとは……さすが私の旦那だ、惚れ直しちゃったよ。
やがて薄っすらと目を開けて、澄んだ両の眼に私の姿が映し出された。
「おはよう香鈴、今日もいい朝だね」
昨日の夜は添い寝していなかったはずの私が、朝になったら目の前にいる。しかしそんな状況でも驚くことはなく、蒼太は優しく私の体をぎゅっと抱きしめてくれた。
蒼太は昔からこんなだ。私が驚かそうとしてもなぜか驚かないでいつも通りの反応なのだ。
それがちょっと納得いかないこともあるけど、別に蒼太はそれでいいと思う。
「ははっ、やっぱり香鈴はあったかいなぁ」
「もう。褒めても私の体しか出せないぞ?」
なぜなら蒼太は驚くかわりに、私の喜ぶことをしてくれるからだ。
確かに、尽くすだけの女でも悪くはないと思う。現に昔の私はそれだけで良いと思っていた。だけど、やっぱり愛というのはお互いに与え合うのが一番大切だと思うのだよわたしは。
だから蒼太が抱きしめてくれる分を、私が抱きしめ返すことでおかえしすることもごくごく必然的なことであって、決して劣情が沸いたわけではないのだ!
「あはは……香鈴、抱きしめてくれるのはとっても嬉しいんだけど……このままだと二人とも遅刻になっちょうよ?」
「も、もう少しだけ!」
「だからって、何も両腕両足でがっちりと固めてこなくても……」
「でも嬉しいでしょ?」
「……無論だね。今にも昇天しそうなほど、僕は幸せだよ」
もはや私の抱き枕と化してしまった旦那は、その大きな手で私の頭を優しく撫でながら口元を緩めた。
私も負け時と体全体を使って蒼太の体を包む。胸が圧迫されて少しだけ苦しいけど、それでも精一杯自分のチャームポイントを押し付ける。もちろん、脚を蒼太の体に絡ませることも忘れない。
そうして、私たちののんびりとした朝は過ぎていく。
いよいよ始まってしまいました!
短編でも、この作品は繋がりがあるので一応一話目から読んでいただけると嬉しいです。
感想・評価、文化祭用の小説を書きつつ待ってます!