145 あいことばは・・・?
「だぁあ~~~~!憶えきれる気がしねえ!」
「ううぅ・・・。」
そう言ってソファーに深く凭れているのは、ローラントさんです。そのお隣に座っているアメリアさんは、貴族年鑑とにらめっこしながら一生懸命に憶えようとしていますよ。
「ローラント、静かにしてくれないか?」
お2人とは違うソファーに座っているリンカーラさんは、とても見覚えのある(真っ白な)サッシュに刺繍をしながらローラントさんに注意しています。あまりにもサッシュが真っ白だったので、商業都市に住んでいるケイトを思い出してしまいましたよ。
・・・ケイト、さすがに結婚衣装の刺繍は終わっていますよね?
みなさんこんにちは。ここ帝都では、9月の後半になるとあちらこちらのお屋敷でお茶会や夜会が開かれるようになります。サロンなんかも開かれているみたいなのですが、私にはまだまだ未知の領域となっていますよ。
お茶会やサロンは貴族同士の繋がりを強くする為に開かれる事が多いのですが、夜会はそういった開催理由の他に新しい繋がりを求める方達も参加出来る事が多いんだそうです。なので、招待する側も招待される側も、新しい人脈を作る為にたくさんのヒトと会話をするみたいなんです。
・・・私はアスラさん関係で夜会への参加率が低い事もあり、ヴァレンタ家繋がりのスターリング侯爵家寄りの皆さんとしかお話した事がありません。ですが、ローラントさんとアメリアさんの様子を見て、つくづく「アスラさんが騎士さまで良かった」と思ってしまいました。
「ぐぬぅ・・・。だけどリンカーラ殿、これ以上は憶えられる気がしない・・・。」
そう言って貴族年鑑を手放したローラントさんは、お膝に乗っているステイさんの両脇に手を差し入れて「高い高い」をし始めました。これにソールさんが反応してアスラさんのお膝によじ登りましたが、アスラさんはソールさんをまるっと放置して貴族年鑑の確認をしています。
ぷくっとほっぺを膨らませているソールさんは可愛らしいのですが、お勉強の邪魔をしてはいけませんよ?
「ローラント殿。期限も近付いていますから、もう少し頑張ってみませんか?」
ローラントさんの近くのソファーに座っているキールさんが一生懸命に戦場(勉強)復帰を促しているのですが、そんなキールさんに対してローラントさんは「キール殿、もう無理だ。俺には憶えられる気がしない」と、キリッとしたお顔でキールさんにお返事をしています。ステイさんも同じようにキリッとしたお顔でキールさんを見ているのですが、どうしてなのでしょう?ですが、その様子はとても可愛らしいですよ。
「・・・うぅう、私もこれ以上は憶えられそうにありません・・・。」
潔いローラントさんの言葉を聞いてしまったアメリアさんも貴族年鑑を閉じて、紅茶の入ったカップに手を伸ばします。
「頭をたくさん使った時には、甘い物が良いのですよ。今日はプリンタルトを用意しているので、皆さん一休みしませんか?」
私のこの言葉に、リープさんが「さんせいでしゅの!」と言って、キラキラした目でリンカーラさんを見上げます。そんなリープさんを見たリンカーラさんは、「それじゃあ、少し休憩しようか」と言ってサッシュと刺繍針を裁縫箱にしまいます。
・・・リンカーラさん、そちらのサッシュへの刺繍完成も重要事項になっているのですよ?あと2日しかありませんが、大丈夫ですか?
「・・・だけど、納得がいかないのはフィーネリオン嬢だよな。」
プリンタルトを真っ先に食べ終わったローラントさんは、私にこう言って来ました。その言葉に、お部屋にいる皆さんがローラントさんに注目します。
「え、ローラントさんどうしたのですか?・・・プリンタルトは、1人1つですよ?」
確かに、私は味見を兼ねて1つ多く食べていますが、その1つは「作ったヒトの特権」での味見なのですよ?
「違うから。」
でも、私の答えはローラントさんに即座に否定されてしまいました。私以外の皆さんも「うん、そうだね」と言って私を見ているので、プリンタルトの件は関係無さそうです。
「ローラント殿、急にどうしたのですか?フィーネリオン嬢にあたるなんて、ローラント殿らしくありませんよ。」
キールさんのこの言葉に、ローラントさんはハッとしたように「そう言う訳じゃ無いんだ」と言って横に置いていた貴族年鑑を手に取ります。
「ほら、リンカーラ殿やキール殿は元々の繋がりでコレの中で憶える事は少ないでしょう?憶える所も『新しく増えた部分くらいだ』って言っていましたし、アスライールも2人程では無いが、仕事の都合上である程度の貴族の名前は知っているだろう?
・・・ぶっちゃけ、ステイと過ごしていても貴族と接する事が無かった俺と、元々貴族と関わりの無かったアメリアはコレを憶える所から始まるんだ。」
ローラントさんの言葉に、リンカーラさんとキールさん、アスラさんが「そうですね」と相槌を打っています。
「俺が『納得がいかない』と言ったのは、フィーネリオン嬢は俺達と同じ平民出身だろう?・・・それなのに、フィーネリオン嬢は貴族年鑑に書いてある貴族を既に憶えているんだ。・・・さっきの言葉は、『フィーネリオン嬢は夜会にもあんまり出ていないはずなのに、どうしてなんだよ!』と思った俺の心情なんですよ。」
ローラントさんもこの言葉に、リンカーラさんとキールさん、アスラさんがハッとしたように私を見てきますが、どうしたのでしょう?
「そう言われてみれば、フィーネリオン嬢は夜会で会った時もキチンと挨拶できていたね。」
「・・・確かに、そうでしたね・・・。」
リンカーラさんとキールさんがまじまじと私を見てきたので、ちょっぴり照れてしまいます。
「フィーナ、そう言われてみれば以前『侯爵家くらいまでしか憶えていない』と言っていましたよね?いつの間にそれ以外の貴族の事を覚えたのですか?」
アスラさんも首を傾げつつ、私に聞いてきました。でも、私とアスラさんの間に座っているソールさんがアスラさんのプリンタルトを狙っていますよ?危険な感じがするのですが、大丈夫ですか?
「アスラさん。それは『今年初め』までの私ですよ。私はレベルアップしたのです!今の私は、その時の私とは違うのですよ!
・・・そう、何て言う事はありません!貴族年鑑1冊分くらいの内容なんて、丸暗記してしまえば良いのです!」
「はぁ!?」
「えぇっ!?」
私の言葉に皆さんが驚いたようにしていますが、どうしたのでしょう?ただお名前とお顔を憶えるだけですよ?
「流石に丸暗記は・・・。」
「アスラさん、本当に簡単な事でしたよ?私、記憶力には自信があるので、丸暗記は得意なのです!レベルアップした私にとって、貴族年鑑1冊を憶える事何て、アスラさんの衣服やソールさんの着ぐるみを作ろうとアレコレ試行錯誤いていた時に比べれば、可愛らしい事なのですよ!」
アスラさんは戸惑ったようにそう言い淀みましたが、その後に「前にれべるの意味は教えて貰ったのですが、『あっぷ』とはどういった意味なのですか?」とも聞いてきたので、少し悩みましたが「向上です」と答えてみましたよ。レベルアップは、「水準向上」という事にしておきましょう!
「・・・ちょっ!?この厚さの貴族年鑑だぞ!?フィーネリオン嬢、マジか!?マジなのか!?」
「フィーナさん、凄い!」
ローラントさんが貴族年鑑を持って私にこう言ってきましたが、ローラントさんの勢いに私が驚きですよ?でも、リンカーラさんとキールさんも驚いたように私を見ています。アメリアさんに至っては感動しているみたいです。
「なので、アスラさんは知らない方がいらっしゃった時には安心して私に聞いてきて下さいね!」
「フィーナ・・・。ありがとうございます。」
プリンタルトに狙いを定めていたソールさんの頭をガシッと抑えているアスラさんに驚き気味の私ですが、ソールさんも「う~~!」と言いながらアスラさんのプリンタルトを狙っていて、ちょっぴりドン引き中です。
「フィーネリオン嬢、貴族年鑑で36番目に記載されている貴族はどこかな?」
そんな中、リンカーラさんが私にこう聞いてきました。
「36番目ですか?36番目は、リンカーラさんのセルディス家ですよね?ただ、リンカーラさんとキールさんリープさんのお名前は、御実家であるサイジェル家の所にも書いてありましたよ?」
ムムッと記憶を探って答えると、リンカーラさんは「当たっている」と驚いていました。ローラントさんとアメリアさんも貴族年鑑を広げて確認して驚いていました。
「ローラントさん、気合いですよ!『憶えよう!』と思う気持ちがあるのなら、これくらいの量は気合いで何とかなりますよ!」
私の言葉にローラントさんは嫌そうに顔を歪めていますが、お隣のアメリアさんは「なる程!」と感心して「がんばろうね!」とローラントさんに言っています。後2日ありますからね。お2人なら大丈夫でしょう。
「おかあしゃまも、きあいをいれてがんばりましゅのよ!」
「そうだね。リープの言うとおり、カーラも気合いを入れて刺繍を終わらせないといけませんね。」
リンカーラさんとキールさんの間からキリッと「がんばりましゅのよ!」とリープさんがリンカーラさんに言っていますが、リンカーラさんは気まずそうに「そうだね・・・」と言ってチラリと(ほとんど真っ白な)サッシュを見ます。
ローラントさんとアメリアさんはトライデント候爵さま達と一緒に行動するみたいなので、重要な方達さえ憶えてしまえば大丈夫だと思うので何とかなると思うのです。なので、私が心配なのはどちらかと言うと、サッシュに刺繍を入れ終えていないリンカーラさんの方だったりするのですよ。
リンカーラさんは、今回の皇帝陛下への謁見時にレイドさんとジンニーナさんが帝都に来る事になったんだそうです。それで、リンカーラさんはお母さんであるジンニーナさんから「サッシュへの刺繍は自分で入れる事!」との厳命を受けたんだそうです。それで、ラミィさんにお願いしようとしていたサッシュへの刺繍を刺しているのですが、なかなかに刺繍は捗らないようです。
リンカーラさんの御実家であるサイジェル家が共和国との国境沿いにあると言う事で、サイジェル辺境伯爵家の家紋は「盾」をあしらった物となっています。そんなサイジェル辺境伯爵家の分家を継いだリンカーラさんのお家の家紋は、不思議な事に「ユリの花」が使われた物なのです。その組み合わせのナゾは、キールさんに解いて貰いました。キールさん曰く、「ユリの花」は「剣」の女性版なんだそうです。元々、リンカーラさんが継いだセルディス家の家紋は「剣」をあしらった物なんだそうですが、こう言った家紋の爵位を女性が継いだ場合、家紋が女性用に変わるんだそうですよ。
・・・絶対に「剣」の方が刺繍しやすかったと思うのですが、どうなのでしょう?
真っ白なユリの花は、真っ白なサッシュには刺繍に向かない一品だと思うのです。私も、白い鳥の刺繍に泣きそうになってしまいましたから、リンカーラさんのその苦労はちょっぴり分かるつもりなのです。私の仕上げたサッシュはお義母さんに喜んで貰えたので良かったのですが、出来る事なら色の付いた布に刺繍したかったです。本当に。
アスラさんとソールさんの戦いは、スイーツハンターの侵略を最小限に収めた騎士さまの勝利で終わったのですが、キールさんはリープさんの攻撃を真っ正面から受けてしまったようで、とても残念な結果になっていました。
キールさん、気合いと根性でスイーツハンターの侵攻を防ぐのですよ!そうで無ければ、小さなスイーツハンターさん達は、どこまでも貪欲にお菓子を狙ってきますからね!
リープとソールと違って、ステイはローラントとアメリアから少しずつプリンタルトを分けて貰っていました。
リープの「おかあしゃまなら、できましゅのよ!」の言葉と真っ直ぐな目に、リンカーラはやる気を出しました。サッシュへの刺繍は、ラミィとの2人3脚で何とか乗り切りました。
アスライールも記憶力は良いのですが、「他人の顔」を憶える事が苦手。リンカーラも、殆どキールに丸投げ状態です。フィーネリオンは元々記憶力が良いので丸1冊暗記しましたが、そんな憶え方をするヒトは滅多にいません。
サッシュ入る家紋は、本人の「顔」の代わりとなっています。




