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その話は、先輩がよくしてくれた。先輩は学校が「箱庭」で、生徒たちを「アリス」と呼んだ。それは同時に「無垢な存在」でもあるらしく、だからこそ残酷、と先輩は笑っていた。
無垢な存在は子どもと同じで、子どもは好奇心の塊でもある。きっかけさえあれば、簡単に好奇心につられてアリスはシロウサギを追いかけるだろう。夢から覚めない限りその世界はずっと、アリスにとっては現実で、総てであると先輩は言った。
「それって、ずっと思ってたんですけど、『不思議の国のアリス』ですよね」
アリスとシロウサギ、という単語だけで先輩が何を元にしたかが推測できた。僕はほぼこれに間違いないと思って確認しないでいたが、今は何だっていい。
「アリスの君は、その本を読んだことがある?」
僕はかぶりを振った。アニメ映画では見たことはあるが、文字で読んだことはないはずだ。絵本でならあるかもしれないが、文学としては読んだことはなかった。
「『不思議の国のアリス』っていうのはね、三姉妹の次女アリスのためにルイス・キャロル――イギリスの数学学者で三姉妹の家庭教師をしていた、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン――が即興で作ったアリスが主人公のお話なの。退屈していたところに目の前を、服を着たシロウサギが時計を見ながら遅刻だって言って走っていくのよ。アリスはもちろんシロウサギを追いかけた。
シロウサギ以外にも、想像上だったり絶滅した動物や、普通の動物が人の言葉を使って話したり、体の大きさが次々に変化したり、おかしな会に参加したり、公爵夫人とかハートのキングやクイーンとかのいろんな人に出会って、最後は『あなたたちみんな、ただのカードじゃないの!』って叫んで夢から覚めるの。それをお姉さんに聞かせて、お姉さんの想いが綴られて物語は幕を閉じる」
先輩が何も見ないでそう言った。先輩の手元にも僕の手元にも、インターネットやアリス関連の本はない。微笑する様子から、先輩がアリスの物語を大切にしていることが伝わってきた。
「登場人物にはほとんど名前がついていて、それは三姉妹の名前からとっていたり、友人の名前をとっていたり、ルイス自身の名前をとっているものもあるのよ。このお話を聞いた三姉妹はきっと嬉しかったでしょうね。自分の名前が物語に登場してくるんだもの。
アリスは、色んな登場人物に会って、話していくわ。その中でアリスは、意味が解らない、ナンセンスなものに対しても恐れないで会話を試みるの。
世間ではアリスを可愛いもの、として描いているものが多いけど、物語の中のアリスは強気で生意気で、現実にいたら可愛くないわ。だからこそ人気があるの。生意気なのが子どもらしくて、可愛い。そう思うようになったら、読者は大人になっているのよ。子どもなら、わがままと思ったり、ナンセンスを受け入れられなくて途中で読むのをやめるんじゃないかな」
先輩はどう思うのだろう。今読んで、先輩はそんなアリスをどう感じるのだろう。僕は先輩の話を聞いてそれだけが気になった。
先輩は、大人なのだろうか。それとも、子どもなのだろうか。
「アリスは、どうしてシロウサギを追いかけていったか、君には解る?」
先輩が伏せていた目を不意に僕に向けた。僕は先輩の茶色い目に映る自分を見ながら口を開いた。
「好奇心、ですか」
そう、と先輩は吐息を零すように笑った。クイズを解いた子どもを褒めるような笑い方だった。
「アリスは服を着たウサギが珍しかったから後を追ったのよ。
アリスは、退屈していたから」
だから、と先輩は続けた。この学校の生徒も、きっかけさえあれば夢の世界へ簡単に入り込むことができると。そしてそれを手助けするのはいつも、シロウサギなのだと先輩は言った。
「君にとってのシロウサギは誰かしらね。私で良ければ大人の世界を見せてあげようか」
「い、いえ、いいです。大人とか子どもとか、まだよく解らないから」
先輩の言う「大人の世界」は何だか少し興味が湧いたけれど、何となく僕はまだ知らなくて良いことのような気がした。
「そう、いつでも追いかけてきてね」
先輩はにっこり笑って僕に言った。僕は赤くなってるだろう顔を先輩から背けて、携帯電話が振動したと言い、きてもいないメールを確認した。ディスプレイに映された時計で示された時刻は、まだまだ閉館時間には到達しない時間だった。
* * *
学校というのは、どうしてこう、つまらないのだろう。
僕は図書室でそう考える。
誰が決めたかも分からない服や靴に身を包み、誰が決めたかも分からない教科書を開き、誰が決めたかも分からない方向を向いて、誰が決めたかも分からない座席で、誰が決めたかも分からない時間割や年間行事を、自分で決めたかも判らない従順さで文句も言わずにこなしていく。
こうして僕らは大人になっていくんだろう。何も分からない子どもの時に、大人に言われることをただただこなしていただろう、ロボットのような大人に指示されて。偉い人の命令を聞くだけの、ロボットとしての大人に、僕らはなっていく。
僕だけが楽しくないと思っているのか、みんなも楽しくないと思いながらも大人を騙すために楽しいふりをしているのか、はたまた楽しいと自分自身に思い込ませているのか、僕には判らない。そんなことを誰かに話したことはないし、話したいとも思わないし、誰かが話しているのを聞いたこともない。
漫画やドラマや映画では、今しかない高校時代、と言って青春しろと強制してくる。大人になって戻りたいと思っても戻れる場所ではない、と。今しかできないことを、此処でなければ体験できないことをしろと、大人は言う。
けれどそれは、決められた枠の中で、大人が想定する「高校生の青春」を許されているだけの話で、するしないは本人の自由のはずだ。僕の周りのいわゆる「高校生」は必死に許される中の青春をしようとする。文化祭ともなれば、その青春とやらは目一杯許される。友達と喧嘩して泣いて前より仲を深めたと思うもよし、気になる人と仲を深めようと画策して日々眠れない夜を過ごすもよし、クラスで一丸となってひとつのものを作り上げる喜びに酔いしれるもよし、僕のようにどれにも興味を持たずに流れるように生きるのもよしだ。ただ大人は、青春とやらをやたらと推奨してくる。それをかわすために僕は大人の前では良い子ちゃんの顔を覚えた。そうすれば、一般的な青春とやらをしなくても、大人はとやかく言わない。
今頃クラスの人たちは同じような格好で、同じような表情を浮かべて、同じような青春を共有していることだろう。それもまた、世間一般に話すことのできる思い出になるのだから無駄にはならない。僕のように文化祭の準備をサボって先輩と話をするだなんて、誰かに言ったら苦い顔をされるはずだ。協調性がない、ってね。




