その1
幼い頃、みんなは私のことをリーザって呼んでいた。でも六歳の誕生日、おばあちゃんが私の頭に真っ赤な手縫いの頭巾をかぶせて言ったんだ。お前は赤頭巾。私のかわいい赤頭巾って。
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大きな大きな森のはずれ、村から森へと続く細い一本道のほとりに、私の家は建っていた。道は細いながらも、小さな石板で隙間なく舗装されている。誰がこの道を作ったのか、誰も知らない。遠い昔、最初の王様がこの土地にやって来る前から、この道はここにあった。
小さな私は、家から森までの短い距離を行ったり来たりした。不ぞろいな石板は不思議な模様を描き、甲高い声で私に歌いかけてくるのだった。
――ついておいで、赤頭巾。決して私から離れてはいけないよ。
お母さんもおばあちゃんも、口をすっぱくして同じ事を言う。森に入ったらこの道から離れてはいけないよ。森の中には危険がいっぱいなのだから。
一人でいる時には、森の入り口まで来るとすぐに引き返した。森の中へ入るのが許されるのは週に一度、お母さんに連れられておばあちゃんの家に遊びに行く時だけだ。おばあちゃんの小屋は森の奥深くにある。そして、その道は小屋の前庭まで続いていたのだ。
森には昔から、人に悪さをする魔物が住むと言われていた。途方もない大きさの狼を見た、という村人もいる。それでも幼い私にとって、森は心躍る場所だった。繰り返し通っている道なのに、毎回、見覚えのない場所を歩いている感覚に襲われる。この石畳の小道が案内してくれなければ、きっとすぐに迷ってしまったことだろう。
道は頻繁にその向きを変え、角を曲がるたびにいつも新しい景色が現れた。透き通ったせせらぎ、鮮やかな石に彩られた洞窟の入り口。思わず足を止めるたびに、母は私に声をかけた。「どんなに綺麗な物を見ても、道を離れては駄目よ。この道はあなたを守ってくれているの。道をはずれたら、二度とうちには戻って来られなくなるわ」
お母さんはお使いに行くたびにとても疲れるようだった。私が八歳になった頃には、お母さんはすっかり老け込み、森に入った翌日は寝床から起き上がれなくなっていた。見かねたおばあちゃんは、ついにお母さんに言った。「メイや。お前にはもう無理だ。これからは赤頭巾一人に来させなさい」
お母さんは反対したけれど、おばあちゃんの言いつけは絶対だ。次の週からは私が一人でおばあちゃんの小屋まで通うことになった。
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その日も赤い頭巾をすっぽりとかぶり、大きな籠を抱えると、私は外に出た。 私一人では大きな荷物は運べなかったので、お使いは週に二回だ。
私たち以外には、おばあちゃんに会いに行く人はいなかった。村の人たちがおばあちゃんの話をするのを聞いたこともない。森から出て来ないから忘れられてるのかな? それとも偏屈だから嫌われてるのかもしれない。子供の目から見ても変わり者だったけど、私はおばあちゃんが大好きだった。
ひとつだけ気に入らないのがこの赤い頭巾。おばあちゃんの言い付けで、出かけるときには必ずかぶらなくてはならない。そのお陰で、村中の人が私のことを赤頭巾と呼ぶ。私にはちゃんと名前があるのに。
石畳を歩きながら、私は何度も籠を持つ手を変えた。ぶどう酒の瓶がずっしりと重い。初夏だと言うのに森の天蓋の下はひんやりしていたが、それでも額に汗が滲んでくる。私は道の真ん中に腰をおろし、水筒の水を飲んだ。後どのぐらいかかるんだろう。朝ごはんを食べてから家を出て、いつも小屋に着くのはお昼前だ。私は上を見上げ、木々の隙間から太陽を探した。その日はなんとなく、いつもよりも早く歩けた気がしていたのだ。
水筒を籠に戻し、立ち上がろうとしたその時、どこかから甘い匂いがふんわりと漂って来た。木々の間に目を凝らすと、小さな空き地に真っ白い花がびっしりと咲き乱れている。見覚えのない花だ。暗い森の中、そのあたりだけがぼんやりと白く浮かびあがって見える。
私は何も考えずに道から足を踏み出し、花畑に向かって歩き出した。おばあちゃんにお花を摘んでいってあげようと思ったのだ。あれだけ繰り返し注意されてきたというのに、お母さんの言葉なんてすっかり頭から抜け落ちていた。
花畑の真ん中に座り込み、私は夢中で花を摘んだ。白くて柔らかい五枚の花びらの中心からは長い金色のしべが突き出している。大輪の花には不釣合いな細い茎は、私の小さな手でも簡単に折ることができた。立ち上る強い香りに頭がくらくらする。摘み取った花を籠にいれようと振り返ったとき、誰かが後ろに立って、肩越しに覗き込んでいたのに気付いた。
それはとても背の高い男の人だった。
驚いた私は手に持っていた花を全部落としてしまった。森でよその人に出会った事なんて一度もない。おかあさんは『ごろつき』には気をつけるようにと言ってたけど、この人がその『ごろつき』なんだろうか。
「こんにちは。驚かせてしまいましたか?」
明るい笑顔で男が尋ねた。豊かな金色の髪が、木漏れ日を受けて柔らかな光を放っている。彼の服は、周りに咲いてる花みたいに上から下まで真っ白だ。裾と襟には金の糸で細かな刺繍が施されている。まるで王様のお城の人みたい。『ごろつき』というのはもっと汚い人のことだと思っていたので、私は思わず尋ね返した。
「あなたは『ごろつき』?」
「いいえ、『ごろつき』ではありません。私の名はシグといいます。あなたは赤頭巾ですね」
「みんなそう呼ぶけど、本当はリーザっていうの」
「かわいいお名前ですね」
シグは微笑んだ。
「いつもこの道を通って、おばあ様の小屋を訪ねているでしょう?」
「知ってるの?」
「ええ。でも森の中で女の子に近づくと、怪しまれてしまいそうですからね。今までは話しかけずにいたんです」
「そんなことないわ」
「さっきは『ごろつき』だって言われましたよ」
愉快そうにシグが笑う。
「ごめんなさい」
私は慌てて謝った。この人は悪い人間には見えない。
「おばあ様のところへ行くのでしょう? 遅くなるといけません。歩きながら話しましょう」
そうだ、時間のことをすっかり忘れていた。おばあちゃんが怒るととても怖いんだ。私は慌てて立ち上がった。
「あれ、道がない」
道があったはずの場所を振り返って、私は叫んだ。いくら細い道だからって、あんな近くにあったんだ。見失うはずなんてないのに。
シグが蔑むように鼻を鳴らした。
「あの道は信用なりませんからね。あなたが見ていない隙に、さっさと隠れてしまったんでしょう。心配いりません。私が案内しますよ」
そう言うと彼は私の落とした花を籠に納め、先に立って歩き始めた。私も後について歩き出す。足を踏み出すたび、黄緑色の絨毯みたいな下生えに靴が沈み込んだ。石板の上よりもずっと歩きやすい。
「道から離れてもいいの? おばあちゃんはあの道が私を守ってくれると言ってたわ」
「この森には昔から様々な生き物が住んでいます。中には人間を憎む者もいるんです。そんな者たちから身を守るために、古の人はあの道をつくったのでしょう」
――人間を憎む者たち。ふと、村の人たちが狼の話をしていたのを思い出した。
「怖いわ」
「私がいれば大丈夫ですよ。あなたを守って差し上げます」
「あなたは強いのね」
「ええ、とても強いですよ」
「狼よりも?」
「ええ、狼よりも強いです」
シグは私の不安そうな顔を見て、力づけるように微笑んだ。
「そんな危ないところに一人で住んで、おばあちゃんは大丈夫なのかしら」
「おばあ様は別ですよ。あの方がこの森も村も、王様の住む都でさえ守っているんですから」
「おばあちゃんが?」
「あの方は大いなる力を持った魔女なのです。彼女が巡らせたまじないのお陰で、邪悪な者たちはこの国に足を踏み入れることすらできません」
「でも村の人達はおばあちゃんが嫌いだわ。誰も訪ねてはいかないもの」
「そんなことはありませんよ。誰もがおばあ様に感謝しています。王様ですら彼女には敬意を払っているのですよ。あの方の魔法が強すぎて、誰にも近寄れないだけなのです。血の繋がりの強い、孫のあなた以外はね」
私を見つめるシグの目が、きらりと光った気がした。彼は私の知らないことをたくさん知っているようだ。どうしてこんな立派な身なりをした大人が、私みたいな小さな子供に話しかけてきたのだろう。気にはなったが、彼の話に聞き入っているうちに、そんな疑問はどこかへ消えてしまっていた。
お日様が頭上に差し掛かる頃、おばあちゃんの小屋が見えてきた。ひときわ大きなブナの木々にぐるりと周りを囲まれた小さな丸太小屋だ。苔むした屋根に乗っかった小さな煙突からは、料理の煙が細々と立ち上っている。手前にはさっき見失った小道が見えた。
「さすがにここまで来ると、いたずら者の道も隠れてはいられないようですね。さあ、道に戻ってください。あの道の上を歩かなければ、何者も小屋には近づくことができないんです」
私が小道の上に立つと、シグは私に微笑みかけた。
「私はここから先へは行けません。三日後に今日と同じ場所でまた会いましょう」
シグは私のお使いの日も知っているようだ。私には、あの花畑をもう一度見つける自信がなかった。何年も通っていて、今日まで気づかなかったぐらいなのに。
「お花畑、見つかるかしら」
「ひねくれた道も、必ずあの辺りを通らなければならないのですよ。花の香りを目印にすれば必ず見つかります。さあ、おばあ様が心配しないうちに早く行って下さい」
私はシグに別れを告げると、おばあちゃんの小屋に向かって歩きだした。ブナの木を通り過ぎて後ろを振り返ったけれど、彼の姿はもうどこにも見えなかった。