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【完結】花売り令嬢の身請け~公爵様は一目惚れに抗えない~  作者: 木風


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1/1

花売り令嬢の身請け

街行く人を眺める。


どの人に声をかけようか……なるべく、優しい人がいい。

昨日は誰にも声をかけることができず、怒られてしまった。


エリーゼ・フォンテーヌは、籠いっぱいの花を抱えて石畳の路地に立っていた。

夕暮れ時。社交界から帰る馬車が行き交う、王都の繁華街だ。

こんなはずじゃなかった……


三ヶ月前まで、彼女は伯爵家の令嬢だった。

質素ながらも幸せな日々。

父は優しく、亡き母が愛した庭園で花を育てるのが彼女の楽しみだった。

すべてが変わったのは、父が『聖ミカエラ教会』の勧誘を受けた日からだ。


「困っている孤児たちのために」

「神の御心に適う行い」


――甘言に乗せられ、父は全財産を寄付した。

いや、寄付させられた。

気づいた時には莫大な借金が残り、フォンテーヌ家は破産。

父は行方不明になった。


そして借金の担保として、エリーゼは教会に引き取られた。


教会とは名ばかり。

そこは貴族の令嬢を鴨にして、娘たちを借金の形に奪い、売春させる組織だった。


「お花はいかがですか……」


か細い声で呼びかけても、誰も振り向かない。

いや、振り向いても目を逸らされる。

この界隈で花を売る娘が何を意味するか、誰もが知っているからだ。


二日目の今日、エリーゼは一輪も売れなかった。

いや、正確には誰にも『買って』もらえなかった。

日が沈み、街灯に火が灯る。


明日も、明後日も、ずっとこうなのだろうか……

絶望が胸を締め付け、息がうまく吸えなくなる。


「ありがとう。また来るよ」


目の前の酒場から出てきた男性。

着ている服から、身分の高そうな貴族に見えた。

爽やかな声、何より優しげな表情。

彼なら……酷いことをされないかもしれない。


勇気を振り絞って、声をかけてみる。


「あの、お花はいかが、ですか……」


青年が足を止めてくれる。

エリーゼは息を呑んだ。


「君は……花売り?君みたいな綺麗な子が?」


深い藍色の瞳。整った顔立ち。

仕立ての良い漆黒の外套。

そして何より、彼女を見る目に浮かんだ――驚きと、何か強い感情。


エリーゼの頬が熱くなる。

こんな状況で、こんな言葉をかけられるなんて。


「あ、あの!昨日も誰にも買ってもらえなくて、怒られてしまって!」

「……落ち着いて。君の雇い主はどこにいるの?」

「え……?えっと、あっちに……」

「そうか。ここでちょっと待ってて」


そう言い残して、彼は歩いて行ってしまう。

どれくらい時間が経っただろう。

騙されたのかもしれない。


深いため息をつきながら、次に声をかける相手を探そうと、辺りを見渡すと、ぐいっと肩を抱かれる。


「あ……さっきの」

「さぁ、行こう。馬車を待たせている」

「え?え?」


わけもわからず馬車に乗せられると、彼は話し始める。


「僕はルーカス・ヴァンベール。君の名前を教えてくれないか」


ヴァンベール――公爵家の名だ。


「エリーゼ、です。エリーゼ・フォンテーヌ……」

「エリーゼ」

「あの、どこの宿屋に向かっているんでしょうか?」


エリーゼを買ってくれたということはそういうことだ。

目の前の男性の相手をしなければならない。


「あまり遠くに行くと、戻るのが……」

「あぁ、戻る必要はないよ。僕が身請けしたからね」

「身請け……?」


どれくらい馬車に乗っていただろう。

目の前に広がるお邸に息を飲む。


「ここ……」

「ヴァンベール公爵邸だ」


ルーカスが案内したのは、使用人部屋ではなく、客室だった。

広く、清潔で、大きな窓からは庭園が見える。


「ここが君の部屋だ」

「でも、身請けということは、私は使用人として……?」

「使用人?君に仕事なんてさせないよ」


そう言いながら、頬に手が伸びてくる。

エリーゼを見つめるルーカスの瞳に、熱が宿る。


「そうだな。仕事というなら、してもらおうかな。君は――花売りだ」


ルーカスの言葉の意味が遅れて胸に落ち、喉がひゅっと鳴った。

触れられるまま抱きしめられ、ベッドに押し倒される。

震えを隠すように目を閉じ、求められるまま身体を委ねた。


「エリーゼ?……シーツが……」

「……あ」


彼の視線の先を辿って、エリーゼはシーツを見た。

ルーカスの顔色が変わる。


「……君、まさか……」


ルーカスは、エリーゼが慣れていないだろうというのは、すぐにわかっていた。

しがみつく腕の強さも、涙を浮かべる瞳も――

もしかして、それすら男を悦ばせる演技なのかと、勝手に思い込んでいたのだ。


「言ってくれたら、もっと大切にしたのに……」


ルーカスが頭を抱えているのを見て、何か粗相をしてしまった?

身請けをなかったことにされてしまうのだろうかと、エリーゼの顔に不安が広がる。


「怒られたっていうのは?」

「あ……昨日が初めてで、誰にも買ってもらえなくて」

「君は運がいいよ。君の前で足を止めたのが僕で。たまたま僕が君を気に入った」


運が良かった。

その通りかもしれない。


再び伸ばされた腕も、触れる手も優しい。

他の人だったらこうはいかなかったのは、初めてを経験するエリーゼでもわかる。


その優しさが、余計に胸を痛ませることになるとも知らずに、再び唇を重ねた。


翌朝、エリーゼは窓から見える庭園に惹かれて、外に出た。

広大な庭には様々な花が植えられているが、手入れが行き届いていない。

雑草が伸び、花壇の配置も乱れている。


「もったいない」


エリーゼは母から花の育て方を学んでいた。

フォンテーヌ家の庭園は小さかったが、いつも美しく整えられていた。


「何をしているんだ?」


振り向くと、ルーカスが立っていた。


「あの、この庭園、少し荒れていますね」

「母がね。好きだったんだ」

「ルーカス様のお母様が……」

「母は花が好きだった。父は母を愛していた」


苦笑しながら話すルーカスの顔が寂しそうに見えてくる。


「それでも母は、何度も父を裏切って出て行った」

「そう、だったんですね」

「だから花も、恋も……信じない」


ルーカスにとっては、この庭園を見ると、その母を思い出す忌まわしい場所。

それでも、花に罪はない。決して蔑ろにされてよい存在ではない。

エリーゼの中で、ルーカスの傷を癒したい。そんな思いが芽生える。


「ルーカス様。お世話になっているお礼に、手入れさせていただけませんか?」

「君、花に詳しいのか?」

「母から教わりました。花を育てるのが、好きなんです」

「花売りだけに?」


ルーカスが冗談めかして言うと、エリーゼは思わず笑った。


「そうですね。花売りだけに」


それから、ルーカスがいない時間、エリーゼは毎日庭園の手入れをするようになった。


庭園は命を吹き返すように明るい場所へと生まれ変わり始めた。

それはまるで、ルーカスとエリーゼのお互いの気持ちが変わるのと同じようだった。


ルーカスと過ごす夜は何度目だろう。

数えきれないほどの夜を共に過ごしてきたある日のこと。

エリーゼはふと聞いてしまう。


「ルーカス様はご結婚されないのですか?」


訪ねてすぐに後悔してしまう。

どんな回答だとしても、この場で聞くような話ではないのに。


「結婚か。しないだろうね。家は兄が継ぐだろうし」

「……好きな方は……?」


エリーゼは再び、地雷を踏むようなことを自ら問いかけてしまう。

好きな方がいたら、今こうしていること自体がおかしいのに。


「両親を見ているからね。僕は誰も好きにならない。好きになんてなれるわけがない」


月明かりに照らされる、ルーカスの横顔がとても切なく、暗く見えた。

何気なく聞いたことで、傷を抉ってしまったことに申し訳なくなる。


その表情を見た時に、エリーゼの中に今までとは違う気持ちが芽生えたことを自覚する。


「ルーカス様!私が、ルーカス様を好きにさせます」


ルーカスが驚いて彼女を見る。


「私のこと、好きになってください。結婚したいと思ってください」

「え?」

「それまで、キスも、何もしません」


真っ直ぐにルーカスを見つめると、エリーゼは呆然としているルーカスの手を取り続ける。


「だから、普通の恋人みたいに過ごしましょう。デートをして、踊って、笑って。そうやって、私を好きになってください」

「エリーゼ……」

「私、頑張ります!」


ルーカスは、複雑な表情で彼女を見つめていた。

それから、ふっと笑った。


「ぷっ。エリーゼ。自分の今の格好わかって言ってる?」

「え……あっ!」


エリーゼはもちろん、ルーカスも何も着ていない。

順番がめちゃくちゃなことに気が付いて、慌てて布団を頭から被って隠れる。


「お手並み拝見しようかな」


その声があまりにも優しくて、胸が高鳴る。

そっと、布団の中から顔だけ出し、ルーカスの顔を見つめると、思い描いた通りの優しい笑顔で見つめられる。


「覚悟していてくださいね」


それから、二人の関係は少し変わった。


ルーカスはエリーゼを街に連れ出すようになった。

社交界には出さなかったが、二人きりのデートを重ねた。


こんなのおかしい。

ルーカスがエリーゼを好きになってもらうはずが、気が付けばエリーゼの方が……

日に日に気持ちが大きくなるのを自覚してしまう。

それと同時に、ルーカスの眼に自分がどう映るのか、ルーカスの気持ちを得られなかった時。

その時、エリーゼは何を選ぶのか……


ルーカスの目が、真剣にエリーゼを見つめている。

そのまま距離が縮まって――

エリーゼはさっと身を引いた。


「ダメです」

「え……」

「約束、忘れましたか?ルーカス様が結婚したいと思うまで、キスも何もしないって」


ルーカスが苦笑した。

心の中ではエリーゼも焦れていた。

あの約束の日以降、キスはもちろん、それ以上のことは一切していない。


「君、意外と厳しいな」

「当然です」

「……僕も、いい加減覚悟を決めないとだな」

「え?」


ルーカスの唇が近づいた時、どれだけキスしたいと思ったか。

でも、ここで折れたら負けだ。

ルーカスに、本当の恋を知ってほしい。


自分に恋に落ちてほしい。

恋に落ちたうえで、身体を重ねたい、求められたい。

そんなことを願ってしまった。


変化が訪れたのは、秋も深まった頃だった。

ルーカスが忙しくなった。

朝早く出かけ、夜遅く帰ってくる。

時には泊まりで出かけることもあった。


「どこに行かれるんですか?」

「ちょっと、調べ物があって」


ルーカスの答えは曖昧だった。

だんだんと顔を合わせる時間が減っていった。

庭園で作業をしていても、ルーカスは姿を見せない。

食事も別々になった。


「私、何か悪いことをしたのだろうか」


約束を押し付けすぎたのだろうか。

キスを拒んだのが、まずかったのだろうか。

それとも――もう、飽きられてしまったのだろうか。


夜……

ルーカスはエリーゼが眠ってから帰宅しても、寝顔を確認しに来ていることをエリーゼは気が付いていた。

いつもは寝たふりをしているけれど、今晩だけはどうしても……


キスはしないと約束した。

でも、せめて抱きしめるくらい……そんなことを願ってしまった。


ルームランプだけの部屋。

ドアが開く小さな音。

足音を立てないように近寄る気配。


ベッド脇に腰を下ろす気配のすぐあとに、頬に触れる温もりに手を添える。


「エリーゼ……!ごめん、起こしてしまって」

「ルーカス様……」

「本当にすまない。今忙しくて。おやすみ」

「……あ……」


ルーカスは疲れた顔で、足早に部屋を出ていく。

バタンという扉の締まる音を聞いた瞬間、涙が溢れてくる。


「もう、ダメなのかもしれない……」


彼の心は、もう自分から離れてしまったのだ。

そんな確信がした。


翌日、エリーゼは決心した。

ここを、出よう。


このまま居続けるのは、ルーカスの負担になるだけだ。

荷物をまとめ始めた。持ってきたものはほとんどない。

すぐに終わる。


服だけは、何枚か頂こう。

どこか住み込みで働けるところを見つけて。


「エリーゼ?何をしているんだ?」

「ルーカス様……」

「荷物をまとめて、どこに行くつもりだと聞いている」


ドアの前に、ルーカスが立っていた。

ルーカスの声は、怒気を帯びていた。


「その、最近お忙しそうですし、私がいると邪魔かと……」

「邪魔?」

「避けられているように感じたんです。もう、私のことは――」

「馬鹿を言うな」

「大丈夫です。お金は、働いて返します」


ルーカスがエリーゼの荷物を取り上げた。

ルーカスは深く息を吐いた。


「僕が忙しかったのは、君のためだ」

「え……?」

「話すつもりだった。全部準備が整ってから。でも、順番が逆になってしまったな」


ルーカスはエリーゼを椅子に座らせ、自分も向かいに座った。


「僕はこの数週間、君の父親を探していた」

「お父様を……?」

「ああ。フォンテーヌ伯爵は、破産後に行方不明になったと聞いた。でも、君を教会に売ったのは、伯爵じゃない。教会の連中が勝手にやったことだ」

「そんな……」


エリーゼの手が震えた。

ルーカスの説明にエリーゼの瞳から涙が溢れた。

父は、生きていた。


「だから、ちゃんと君に釣り合う状況を作ってから、告白しようと思っていたんだ」


エリーゼの涙が止まらなかった。

ルーカスが苦笑した。


「僕が不器用すぎたな」

「ごめんなさい、私――」

「謝るのは僕の方だ。ちゃんと説明すればよかった」


ルーカスがエリーゼの涙を優しく拭った。

エリーゼは泣きながら笑った。


「ルーカス様は、本当に優しいんですね」

「エリーゼ、改めて聞かせてほしい。僕と結婚してくれないか」

「でも、結婚はしないって――」

「君が変えてくれた」


エリーゼの心臓が激しく打った。

ルーカスが真剣な目で見つめる。


「君といると、幸せになれると信じられる。両親のような関係じゃない、本当の愛がある結婚ができると」

「ルーカス様……」

「愛している、エリーゼ。君だけを」

「はい。私も、愛しています」


エリーゼは泣きながら頷いた。

ルーカスが立ち上がり、エリーゼを抱きしめる。


「じゃあ、約束は果たされたな」

「約束?」

「僕が結婚したいと思うまで、キスも何もしないって」


ルーカスが悪戯っぽく笑った。


「今、すごく結婚したいんだけど?」

「それは、その……」

「だからもう、いいよね?」


エリーゼの顔が真っ赤になった。

ルーカスが顔を近づける。

今度は、エリーゼは逃げなかった。

唇が重なった。

優しくて、温かくて、愛に満ちたキス。

長い長いキスの後、ルーカスが囁いた。


「君の味がする。花の蜜みたいだ」

「も、もう!」

「これからは、毎日キスしていいんだよね?」

「それは……はい」


エリーゼは恥ずかしそうに頷いた。


久しぶりの抱擁からの触れ合う唇。

それは、まるで初めてのキスのように、二人を震わせる。


ある晴れた庭園。


「ねえ、エリーゼ」

「はい?」

「君がここに来た時、花売りだったよね」


誰に声を掛けたらいいのかわからないまま。

目の前に現れた優しい人に声をかけた。


誰でも良かったわけじゃない。

一目で、この人になら自分の初めてを捧げても良いかもしれない。

そう思ってしまったのだ。


「本当はね、一目惚れだったんだ」

「え……?誰のことも好きにならないって……」


ルーカスは顔を赤くしながら、視線を逸らす。


「格好悪いだろう…あまりにも理想の子で。そのまま連れ帰ってしまったなんて」


エリーゼはお金で買われ、そのまま抱かれたのかと思っていた。

でも、初めてと知る前からルーカスは優しく、それ以降もずっと優しさは変わらなかった。

ルーカスもまた、最初から選んでいたのに、商品として扱ってしまったことを後悔していたのだ。


「君は僕に人を好きになること、愛することを教えてくれたんだ」


ルーカスが彼女を抱き寄せると、エリーゼの目に涙が浮かんだ。


二人は花々に囲まれて、静かに口づけを交わした。

エリーゼが花売りだった日々は、もう遠い過去だ。

今、彼女は愛する人の隣にいる。

そして、二人で育てた花々が、幸せな未来を祝福するように咲き誇っていた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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