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哲学短信 「人間だけが神を持つ」

作者: 八神あき

「人間だけが」「神を持つ」

 前半部分は問題もない。人間という集合を指定しているだけ。

 問題は後半部分。


 少し寄り道しよう

「人間だけが」「直立二足歩行という性質」「を持つ」

 人間、という名が示す対象は、実存在する。対して直立二足歩行、という名は違う。それは実存在の有する性質。

 不思議の世界なら、チェシャ猫が消えたあとにニヤニヤ笑いが残ることもある。しかし我々の住む平凡な世界では、人間が消えたあとに直立二足歩行だけが残ることはない。


 では、直立二足歩行という名はどうしたものだろう。

 一見簡単な解決方法がある。言葉による定義だ。


 直立二足歩行{脊椎を鉛直方向と平行にした状態}


 ひとまずは良さそうだ。


 では、命題「人間だけが直立二足歩行という性質を持つ」:真

 恐竜は二足歩行だが背骨は鉛直に対して垂直。ゴリラや猿は短時間ならば立って歩けるが、基本はナックルウォーク。たいして人間は、基本的には直立二足歩行をしている。


 ならば「神」という名も、言葉で定義し、命題の真偽を問うことができるだろうか。


 神{不滅にして完全なるもの}


 一見、直立二足歩行と同じくらい、たしかなものに見えるが、決定的な違いがある。

{脊椎を鉛直方向と平行にした状態}は名に意味を与えるものではない、説明だ。

 言葉が意味を与えるのではない、現実が、名に意味を与える。人間がとっている歩行の形態が、「直立二足歩行」という名を意味している。


 対して「神」は、意味を与える現実の対象が存在しない。

 御神体の鏡も、ギリシャ人の手になる肉感あふれる神々の彫刻も、神ではない。神という文字、あるいは音の連なりに、意味を与えてはくれない。


 ならば「人間だけが神を持つ」は偽なのだろうか。そう言い切ることもまた、現実に即していない。

 人間は神という言葉を用い、共有している。経典を作り、戒律に従い、人を殺す。

 だがそれを為さしめるのは、神の存在ではない、言語の作用だ。


 ならばこう言い換えよう。


「人間だけが論理空間を構築する」

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