7 誰もが異邦人
先日は谷さんの意外な面をいくつも見せてもらった。スイーツ好きコーヒー好き、色々面白いスポットを探しながら歩くから、歩く速度が私とほぼ同じ。
私が教えてあげた【黄色いポスト】を目の前にした谷さんは、かなり興味津々だった。
『本当だ、へえ、なるほど。私設ポストだから、ビル内のテナントさんの利用オンリーなんですね。うん、面白い』
谷さんは、パシャパシャとスマホで写真を撮りまくっていた。そして、すぐに【秘密の本の庭】の杉本さんに写メを送ったと思われる。
すぐに返事が来て、ニヤニヤ。谷さんて、ほんと……物好き……。まあ、私の写真が欲しいと言った段階ですでに物好き確定なんですけど。
そして今日は午後から、古道具やアンティーク、ヴィンテージ商品の買取をしてくれる業者さんが来る。
谷さんも当然のようにスタンバイしている。
谷さんの手際の良さもあって、すでに各部屋ごと、ざっと見て選り分けはほとんど終わっていた。あとは、掘りごたつの部屋のガラスの引き違い扉付きの大きな本棚の中だけだった。本や写真や記念品、いただき物、お土産などが入っていた。
下部にお情け程度に鍵のかかる引き出しがあって、その鍵がとてもレトロな雰囲気のある可愛いもので、私はこの鍵をおばあちゃんの形見として叔母に内緒でもらうことに決めていた。
そのくらいいいよね、この家の片付けをしたご褒美にしては、安いと思うし。
この本棚は、叔母が使うとのことで、すべてが終わったら叔母が家に持っていくそうだ。おじいちゃんのルビーのような赤く丸い石のついた勲章はちゃんとその引き出しに入っていた。勲章は林家を継いでいく伯父の家族に保管してもらう予定。
結局、おばあちゃんにかかった施設代、葬儀代、遺産相続手続きのための司法書士依頼代、その他の支払い関係、通帳類も、万里子叔母がまとめて管理していたので、金品や貴重品はこの家にはない。
遺品整理でたまたま出てきた貴重品や高価な品物と思われる品は、叔母に写メでその都度報告して、売るか誰がもらうかどうするか相談していた。
見たことないかなり昔の古い貨幣や古い切手シートも出てきた。切手シートは売却、貨幣は叔母が記念に欲しいとのことでそのままにしていた。
先日の絵画と切手シートを売却した代金は、谷さんと私の片付けの交通費、通信費、お茶菓子代になった。
谷さんのお眼鏡に叶う品はまだ見つからないのか(私の写真は除く)、これが欲しいとの相談や申し出は無かった。
まあ、言い出しにくいだろうとは思うけど。
ガラスの本棚には、おじいちゃんの記念の品、野球ボールがある。高校か大学か忘れてしまったけど、野球部の部長だったらしい。部員の方のお名前がボールに寄せ書きしてある代物だ。これも伯父のところかな。
おじいちゃんは、夏の夕方はこの堀ごたつの部屋のテレビでよく相撲やプロ野球中継を観ていた。巨人軍のファンで、地元の新聞ではなくわざわざ読○新聞を契約していた。
おじいちゃんの一番の思い出は、夏にプロ野球中継を観ながら、ビールに枝豆をつまむ姿かもしれない。毎日晩酌もしていたそうだ。私も旅行に行くと、おじいちゃんのお土産用にはお猪口をよく買ってきた。それが本棚に何個か飾ってあった。
お好みの日本酒は決まっていて、毎回同じ銘柄。子どもの頃、重い一升瓶から徳利にお酒を零さず注げるとおじいちゃんが褒めてくれるのが嬉しかった。いつもおばあちゃんがやかんに徳利を入れて温めて熱燗にして食前の食卓に出していた。
私がまたしても思い出にぼーっとしてると、
「ハコベさん、見てください! これ!」
谷さんの弾んだ声に、現実に呼び戻される。
谷さんが一冊の本を手にしていた。
【ヨウコ・ヒギンズ〜心の風景】というタイトルで、ヨウコさんがぼんやり遠くに視線を投げている横顔の表紙。
「本を開いてみてください」
谷さんに本を渡され、言われた通り開くと、内表紙に明らかにヨウコさんの直筆と思われるメッセージとサイン。
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ミエさんへ
声をかけてくださって、ありがとう。
感謝をこめて。
ヨウコ・ヒギンズ
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そして、ヨウコさんと元気なころのおばあちゃんのツーショット写真がはさまっていた。
優しげな笑顔のヨウコさんの隣りで、おばあちゃんは、誇らしげな笑みを浮かべていた。
素敵な写真だった。
「日付けからすると、【モーツァルトホール】での演奏会の時の写真だと思います。ヨウコさんは、ご自身の代表曲であるリストの【愛の夢】やラヴェルの【亡き王女のためのパヴァーヌ】のほかに、ホールの名前にちなんでモーツァルトの【トルコ行進曲】なども弾いてくださったんです。素晴らしかった。僕はクラシックなんて学校の授業くらいでしか接して来なかったけれど、ピアノの音が美しく響いて、まるで自分に喋りかけてくれているみたいで、あのような経験は初めてでした」
谷さんは、ヨウコさんの演奏から受けた感動を言葉にしていた。
「ヨウコさんはとても気さくな方で、僕に自分と同じ異邦人ねって、声をかけてくださって……。家族や恋人がいても、お金や才能があってもしょせんみんなひとり。誰もが異邦人。その孤独を肌で知っている私たちは、最高の異邦人なんだって。なんだか励まされました」
谷さんは、私の方を見ているのに、瞳は遥か彼方を映しているようだった。
ヨウコさんは、確かお父さんがイギリス人でお母さんが日本人のハーフ。明らかに欧米人の血の混じった美しいハーフの顔。昔の日本では珍しくて異邦人扱いされ、つらいこともあったかもしれない。
そして谷さんは純血のアメリカ人、なのに東北の町役場の職員。異国でその生涯を過ごそうとしている。その孤独と覚悟をヨウコさんが最高の異邦人と励ましたのもわかる気がする。
写真とメッセージの日付、よく見ると母が闘病していた頃だ。仕事をしながら入院中の母を見舞って、実家でひとりの父の様子も見て、慌ただしくしていた時と重なる。
誰もが孤独な異邦人。
そう、どんなに幸せでも病や死は誰もがひとりで向き合って、覚悟して受け入れるしかない。足掻いても、祈っても……現実がつきつけられる。
もう母もおばあちゃんもいない。
孤独がつらい時、頼る人はもういない。
涙ぐみそうになるのを堪える。
「ハコベさんのさびしさにつけ込むようですみませんが、いかがです?」
谷さんも泣きそうなのに笑みを浮かべて、両手を広げている?
なんのハグ?
なんでもいい。一歩踏み出すと、胸に抱えた本と一緒にフワリと長い腕に包まれた。
谷さんの腕の中の体温に安心する。人間てこんなに温かかったんだ。
人のぬくもりなんて、忘れかけていた。
「人間は100W電球と同じくらいあったかいんですよ」
谷さんのそんな科学的な解説に笑ってしまった。
「ふふっ、そんなに熱いんですか?」
「意外ですよね」
谷さんの腕に力が込められた時、玄関のベルが鳴った。
業者さんが来る時刻になっていた。




