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2 谷さん親子の来訪

「コンニチハ、ワタシはジーン・マッコイ・谷です。初めましてですね。ハコーベさん?」


 マッコイ先生は朗らかな笑顔で、カタコトの日本語を紡いだ。さすが親子、谷さんと同じで見事な美しい金髪のショートヘア、それに青い瞳だった。


「はい。林美枝ハヤシミエの孫で、村山星花ムラヤマハコベと申します。こちらこそ初めまして」

 

 私がそう返すと、マッコイ先生は、にこやかに両手を広げそうになった。が、谷さんに抑えられていた。

 もしや私をハグする寸前だった?

 

「こんにちは、谷です。お久しぶりです。この度はありがとうございます。こちらへお伺いできて嬉しいです」


 何もなかったかのように、谷さんは挨拶を続けた。

 谷さんは、お休みの日にも関わらずグレーのスーツ姿。今回も丁寧な日本語、爽やかなスマイルは私の鼓動を早くする。


「いいえ、わざわざおいでいただいて本当にありがとうございます。祖母も喜んでいると思います」


 林先生の孫として恥ずかしくないように、愛想良く応える。

 今日の訪問は、あらかじめ約束はしていたものの、やや緊張していた。

 おばあちゃんのお葬式の受付をしていた時、初めて会った谷さん。父と私は、金髪碧眼の谷さんの流暢な日本語のお悔やみの言葉に、お香典を受け取るのも忘れて一瞬ポカンとした。

 彼は、柔らかい口調で、


『美枝さんはS学院で英語講師をしていた私の母ジーン・マッコイ・谷とプライベートでも親しくしてくださいました。母の作る焼き菓子をとても気に入ってくださったと母から聞いています』

 

 と、言葉を繋げた。

 おばあちゃんの長年勤めていた学校関係の方だった。

 葬儀の時は慌ただしくて、そのくらいしか会話はしていない。けれど、お葬式の帰り際、お母さまが今、日本にいないので、帰国したらせめて仏壇に挨拶したいから、連絡先を教えてくださいと言われ、迷いながらも私の携帯電話番号とメールアドレスを教えた。


 そして、今日の訪問の約束をしたのだ。

 谷さんと会うのはおばあちゃんのお葬式以来。


 谷さんは、アクアマリンのような瞳に優しげな笑みを浮かべたまま、私をじっと見つめている。

 ちょっとドギマギしてしまう。

 

 葬儀会場でひときわ輝く金色の光を放っていた谷さん。お辞儀もお焼香する仕草も自然で優雅で、どこかの王子さまみたいな印象だった。


「そ、その節は、祖母の葬儀にお越しいただきまして、本当にありがとうございました」

「いえいえ」


 ふたりでペコペコと頭を下げ合った。


「母がせめて美枝さんのご仏壇にご挨拶したいと申しておりましたので、お忙しい中、母との訪問を快諾してくださってありがとうございます」


 谷さんは、とにかく丁寧すぎる。


「ど、どうぞどうぞ。埃っぽくて、かなり散らかっていますが、中へおあがりください」


 私がそう言って促すと、谷さん親子は、パアッと顔いっぱいに喜びの表情を浮かべた。


 わっ、まぶしっ、似てる〜親子っ!


 ふたりの輝きに軽いめまいを起こしながらも、お客さま用のスリッパを並べて出す。


「ありがとうございます!」


 谷さん親子は、內玄関に上がると、手で自分の脱いだ靴の向きを変え、きちんと揃えた。

 家に上がる時、これができる男性はなかなかいない。それを海外の方が!!

 谷さんへの好感度はアップした。

 ふたりを仏壇の置いてある北側の部屋に、案内する。

 昔の日本家屋の鴨居の高さなので、高身長の谷さんは一度頭をぶつけたけど、痛いとも、うんともすんとも発しないで、用心しながら部屋の奥へ。


 仏壇の前に来ると、マッコイ先生は、おばあちゃんの遺影を見て、


「オー、ミエさん……ソーリー……」

 

 とかなんとか、日本語と英語を混ぜながら、切なげな声をあげて語りかけ始めた。


「この祖母の遺影は、祖父の叙勲の授与式に同伴した時のクリーム色の色留袖姿で、その当時写真館で記念に撮影したものなので、少し若めです」


 おじいちゃんの遺影がやはり叙勲の時の勲章を胸に着けた写真だったので、後々ふたり並べて飾るバランスを考えてのことだったと思う。


 私が話すと、谷さんが大きく頷きながら、マッコイ先生に英語で説明してくれた。


「とてもうつしくスバラシイ写真です」


 マッコイ先生は、しばらくおばあちゃんの遺影を眺めていた。


 マッコイ先生は、昨年アメリカにいる実のお父さまの具合が悪くなって……、そのままお亡くなりになった後の手続きなどもあって帰国が遅れ、おばあちゃんの葬儀に間に合わなかったそうだ。


 私は、仏壇のロウソクに火を灯した。

 ふたりは、慣れた手つきでお線香に火をつけた。

 手を合わせて丁寧に拝む姿もやはりさまになっていて、自然と日本での生活の長さを感じさせている。


 拝んでいただいたあと、狭い台所兼食堂に案内する。

 ここが今の来客の応対用の部屋になっている。この四人がけの小さなダイニングテーブルで、おばあちゃんはそれこそマッコイ先生から教わったレシピだと言って、レーズンがたっぷり入っていてシナモンの香りが強烈なパウンドケーキと、クルミ入りのテョコレートブラウニーをよく作って私に振る舞ってくれた。

 私にとって、マッコイ先生といえば、あの甘く濃厚な焼き菓子の印象。


「ミエさんは、このレーズンのケーキがお好きでしたので、焼いて来ました。ドウゾ」


 マッコイ先生が、鞄の中からアルミホイルに包んである、まさにそのパウンドケーキを出されたので、懐かしさに胸がいっぱいになった。


「あ、おばあちゃんが大好きなケーキ、ありがとうございます! 狭いですが、どうぞお掛けください。今お茶をおいれします。ケーキもいただいていいですか?」


 思わず声が弾んでしまって、少し恥ずかしくなった。

 でも、谷さん親子も嬉しそうなので、気にしない。


「ありがとうございます」


 おふたりは、綻びた赤いビニールの背もたれ付きの食卓用の椅子に座ってくれた。

 私は、おばあちゃんのお気に入りだった有田焼のお客さま用湯のみでお茶をお出しした。私がおばあちゃんの誕生日のお祝いに贈ったものだ。五客セットで外側が落ち着きのあるグリーン、金の縁どりがあり内側は白地に蘭の花が描かれていた。


 私はすでに切ってあったマッコイ先生のケーキを黒檀の小さな菓子皿に二切れのせて、仏壇にもお茶と一緒に供えた。


「供養になりますし、せっかくですので、ご一緒に」


 私たちの分も菓子皿に取り分けた。

 最初は遠慮していたおふたりも、お出しすると、いただきますとおっしゃって、上品に食べ始めた。

 

 マッコイ先生のオリジナルのほうは、おばあちゃんのよりもさらにシナモンがキツくてレーズンはいわゆるラム酒漬けのものだった。おばあちゃん、私が食べやすいように少しアレンジしてくれていたんだ。


「祖母は、よくこのマッコイ先生のケーキを作ってくれました。くるみ入りのチョコブラウニーも。懐かしくて、美味しいです。この辺りの商店にはケーキの材料なんて小麦粉と砂糖くらいしか売っていなかったので、おばあちゃんはいつでも作れるように、わざわざ街中の業務スーパーまで行って、レーズンとくるみ、シナモンやココアの大袋を買ってきてストックしていたんです」

「オー、ソウデスカ」


 三人で顔を見合わせて笑う。


「実は、私の勤め先の秋津町のことでも、美枝さんには大変お世話になったのです。僕のことはオリオンさん、と親しげに呼んでくださって、嬉しかったです」


 谷さんは、内ポケットから二枚の写真を取り出してテーブルに並べた。


 一枚めは、大きなホール? そういえば秋津町にそぐわないと噂になっていたけれど、立派なコンサートホールが温泉街に出来たことは知っていた。名前は確か【モーツァルトホール】。


「美枝さんは、このホールのこけら落とし公演のため、世界的に有名なピアニストのヨウコ・ヒギンズさんを呼ぶことに尽力してくださったんですよ。母の美枝さん情報が役に立ちました」


 そんなことがあったなんて、全然知らなかった。ヨウコ・ヒギンズさんといえば、その経歴がドラマティックで、テレビドラマ化もされていて、私でも知っている。二枚めは、ヒギンズさんを中心に、関係者で記念撮影したものだろう。谷さんが説明してくれたが、町長や谷さんはじめとする町役場の関係者の方々、おばあちゃんも写っていた。

 なんでもヒギンズさんのお母さまが、東京で音楽家を目指す若者たちのための下宿屋を営んでいて、万里子叔母がそこにお世話になっていたそうだ。その話をおばあちゃんがマッコイ先生に話していたらしい。そんな話も初めて聞いた。


 おばあちゃん、すごいコネクションがあったんだ。


 それから、私がおばあちゃんの最期の日々の話をすると、谷さんがやはり難しい日本語は英語で説明してくれて、マッコイ先生は何度もハンカチで目を拭った。


 ひとしきり、おばあちゃんの話が終わると、私も込み上げるものがあって目頭を抑えた。

 誰からも慕われていて明るく凛としていたおばあちゃんは、今、みんなの思い出の中にいる。


 谷さんは、私の話を最後まで真剣に聴いてくれていた。


 そして、よくわからないけど、手をそっと上から包まれた。


「っ……!?」


 私は驚いたけれど、谷さんとマッコイ先生に表情の変化は無い。

 谷さんの手は、男性らしく大きくて温かかった。


 谷さんは、私の連絡先に、お忙しいところ失礼しますとことわりを入れながらも、なぜだか頻繁にメールしてきて、聞きもしないのに職場のことや趣味のこと、自分のことをつらつらと書いて寄こした。

 なんでも、谷さんは幼少の頃、シングルマザーであるマッコイ先生がおばあちゃんの務めるS学院に外国語講師として来日する際に、アメリカから一緒につれて来られたとか。その後マッコイ先生は日本人男性教師と再婚したから、ふたりとも日本に帰化した、とか。

 特別なガールフレンドはいないとか。

 町役場では、外国人が珍しいからか、【仙人】さんと呼ばれているとか。思わず笑った。

 有名な観光地である温泉街が町役場から近く、外国人観光客相手で何かあると、担当部署ではないにも関わらず、必ず通訳で呼ばれるとか。

 その日あったこと、近くの湖に来ていた白鳥の写メとかまで。


 私の方は、当たり障りのないお返事をしていた。お友だちではないし。

 二月のバレンタインデーには、驚いたことにメールでバレンタインカードが送られてきた。アメリカでは親しい友だち同士でメッセージカードを贈り合うらしく、日本とはだいぶ意味合いが違うそうだ。

 私は親しい友だちの部類に入るの?


 疑いながらも頻繁に何度となくメッセージが来ると、情が湧くものだ。心待ちにするわけではないけれど、最近は来ると嬉しいと思うまでにはなっていた。


 そして、今日の再会に至る。

 でも間違えてはいけない。

 谷さんは、博愛主義のアメリカン。おばあちゃんを亡くして、落ち込んでいる私を励ますつもりで優しく気にかけてくれているだけなのだと思うから。

 ところが……。

 私がこれから、この家の片付けを本格的に行うことを話すと、


「僕も片付けをお手伝いします。ハコベさんおひとりでは大変でしょうから」


 谷さんが、テーブルの上の私の手を握りしめたまま、力強く申し出てくれたけれど、たいしたお礼もできませんけど?


「えーと……」


 私が返事に困っていると、


「それがイイデス。オリオン、ヘルプハコベさんね!」


 マッコイ先生が両手を合わせて、いかにも良いことを行おうとしている息子を全力で褒めている感じ。

 

 なんなの? この流れは?


 私は押し切られる形で、この家の片付けを手伝うという谷さんからのありがたいけれど、かなり戸惑うような申し出を受けてしまっていた。



よう子さん、お名前お借りしました。

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