1 古い家
私は、年末に亡くなったおばあちゃんの家に向かっていた。
これから本格的に遺品整理をするために。
それと……。
市営の循環バスに乗って、ぼんやりと窓の外を流れてゆく町並みを眺める。
町の中心部から二十分、どちらまわりに乗車しても楽しめる。自分の車なら便利だけれど、やっぱりあの古い家には、ゆっくりと風景を楽しみながらバスで行きたいという思いがある。過去の思い出に浸るには、ちょうどいい長さでもある。
いくつものお寺、歴史ある古い造りの駄菓子屋、こぢんまりした商店、古本屋、古い印刷所の看板、広い道もあれば、ここをバスが通るのかと思うくらいの狭い道もある。循環バスなので、必ず時間合わせに停車する大きな門構えのある大学前の広めのバス停。その数分の待ち時間がもどかしい。
そんな想いを乗せてしばらく走って、目的地に近いバス停に到着した。
江戸時代の偉人の菩提寺である【龍天院】前のバス停を降りて、市道から脇道に入る。今は舗装された細い道の突き当たりのお寺の手前の家。隣りが墓地なので、子どもの頃は怖かった。
何度か増改築はしても、おじいちゃんは家の建て替えはしなかった。なんでも、おじいちゃんのお父さんが、家を建て替えした途端に亡くなったからだそうで、自分は建て替えは絶対しないと決めたらしい。
今どきは珍しい青いトタン屋根の、古びた昭和の家が奇跡的にそこに存在していた。敷地の広さはおよそ百坪。家よりも堂々としていて風情のある梅と桜と楓の大木がある、水が涸れている小さな池の跡、鬱蒼と草木が茂る広い庭。敷地を囲う時代を感じさせる低めのコンクリートのブロック塀に、それに似合わない木製の引き違いの門扉。
今はもう誰も住む人のいない家。
林一郎。プラスチックの小板に油性マーカーで名前を書いただけの表札は、長い年月、外気と雨風にさらされていたため文字は薄くなっているけれど、かろうじて読める。おじいちゃんが亡くなってからも、ずっとそのままの表札だった。
耳を澄ますと、いろんな鳥たちのさえずりが聞こえる。この囲まれた空間は現代から切り取られた昭和仕様。タイムスリップして来た感がある。風に木々の葉が擦れて奏でる調べは心地よい。
戦前に建てられたこの家は、空襲もあったけれど、隣が墓地だったので火の手が遮られ被害を受けずに残った。おじいちゃんとおばあちゃん、伯父と母。残された叔母や孫の私たちの思い出がたくさんつまった家。
けれど、残したくても、もう古すぎる家。おばあちゃんの遺産はこの家だけ。長男である亡き伯父の家族は元々関西のほうが生活拠点になっており、東北には住まない。市内にある先祖代々のお墓も関西の近くのお寺で管理したいとのことで、その移す費用もかかる。
遺産相続人 、私を含め計六人いた。このうちの誰かがこの家をもらうなら、土地と建物の評価額をきちんと試算してもらい、他の相続人にその割合分をおそらく金銭で渡さなければならないのだと思う。
おそらくとても支払えない金額だ。このあたりの土地は街に近いため、元々地価も高い。
『万里子、ハコベちゃん、あの家しか残せるものがないのよ』
施設のベッドに横たわるおばあちゃんは、瞳に以前の輝きはなかった。
『ハコベちゃん、あとのことはよろしくお願いね。万里子を助けてやってね』
『まかせて、おばあちゃん。何も心配しないで。安心していいよ』
私がそのように力強く返事をすると、おばあちゃんは皺を深めて、穏やかな笑みを見せてくれた。
おばあちゃんが亡くなる前、何度もそういう会話が繰り返された。
思い出から現実に戻る。これから、この残された家の遺品整理をしなくてはならない。地元にいるのは私だけ、必然的に私が中心となって整理を行うことになる。
おばあちゃんとも約束したしね。
最後は業者さんに頼むとしても、まずは残しておきたいもの、必要なもの、価値のあるものを選別しなくてはならない。
とにかく物が多い家なのは知っているから、気が遠くなる。
誰も住まなくなった古い家は、早めになんとかしないとご近所の方々にも迷惑だろうとは思っていたけれど、さすがに真冬は無理だった。
先に相続の手続きで司法書士さん、土地と建物を売るための不動産屋さんの手配を、叔母とふたりで行った。
少し季節が移る頃、ようやく片付けを始めるところまで漕ぎ着けた。
今日がその初日。
門扉の建付けの悪い木製の引き違い戸をガタガタ言わせながら開けた。
すると、上からぽたぽたと黒っぽいものが落ちてきて、ギョッとなる。
ぎゃわわあああ、ワラジムシ〜!!!
飛びのいた。頭の上に受けなくて良かった。間一髪だった。お化け屋敷よりリアルに怖かった。
気を取り直し、注意しながら門をくぐり抜ける。
二階の屋根と同じ高さの見事な桜と梅は、今年も春には見事な花を咲かせた。涙を飲みながら、写真を撮って見納めした。ふと目線を下げると、松の大木の根元に、大きい舞茸に似たキノコが生えていた。以前、民生委員の方が、このキノコ食べられるんだよ、と怖いことを言っていた。
おじいちゃんが趣味で、様々な種類の草花を植えていたのが、野放し状態になっていた。来週には、庭木屋さんに草刈機で全体的に刈り取ってもらう予定だから、この思い出深い生い茂った庭も今日が見納め。
門から玄関までは、石畳が敷かれていて、人の出入りするスペースは確保してある。
……はずが、その石畳の中間地点で、ここの主のような貫禄のある大きなカエルが、余所者が来たと言わんばかりに微動だにせずこちらを見ていた。
と、通せんぼ? こんな巨大なヒキガエル? 初めて見た。泣きそう。
突如、ざざざざという何かが走る足音が聞こえる。
振り向くと、灰色の生き物が塀の隅を走って行った。なに? ねずみ? 大きすぎない?
本当に泣きたくなった。
正面に向き直ると主はドロンと魔法のようにいなくなっていた。無事、通行許可がおりたようで、助かった。
恐る恐るゆっくり玄関ポーチへと足を進めて、なんとかたどり着いた。
玄関の脇には南天が植えられていて、晩秋になると赤い実が実って綺麗なのを知っている。よくおままごとに使わせてもらった。
鍵を回して軽く開く玄関扉をカラカラと開け放つ。
慣れ親しんだそのままの空間にほっとする。
下駄箱の上には水晶っぽい石の原石、富士山の砂絵、おじいちゃんが大切にしていて咲かせた月下美人の写真。
色褪せた感じだけど、汚れてはいない段通の玄関マット。
靴を脱いで、あがる。
ギイギイと床が鳴り、少しザラザラした感じで、この家はいつも砂っぽい。
入って右のドアを開けると、簡易ベッドが置いてある客間。叔母が来ると、このベッドを使う。かつては応接間。母と叔母が使用したグランドピアノが置いてあった。
サッシをあけて、木製の雨戸をあけてみる。
日差しが眩しい。静かだ。
物が溢れていてすでに物置状態になっている薄暗い洋間、板ガラスの扉を開けて廊下の奥にあるトイレ、仏間のあるおじいちゃんの書斎、狭いダイニングキッチン、二間続きの和室、広縁。
空気の入れ替えもしようと、家の窓という窓を開けて回る。
今日は来客の予定だから、ひと通り、掃除機をかけて、目につくところは拭き掃除も行った。落ち着いたところで、玄関のベルが鳴った。
「こんにちは!」
男の人の声。
「はいっ!!」
緊張しながら、玄関に出迎えに行く。
玄関の引き戸をあけると、そこには金髪碧眼、彫りの深い顔つきの長身のいかにもな欧米人……の見目麗しい男女。
見上げるほど身長の高い三十歳前後くらいの爽やかな雰囲気の男性と、ニコニコしている優しげな母親と思われる年代の女性。
「お待ち、しておりました。どうぞ」
たどたどしく、ふたりを中へ促す。
「失礼いたします」
狭い玄関の中でとんでもなく場違い感のある金色の親子の登場に、私はわかってはいても緊張していた。