17 ありがとうオリオン
ハコベは英語でステラリアというそうだ。
変換すると、これほど綺麗な響きになるとは。
星花という名前には、かなり苦労させられた。漢字は簡単なのに、まず、ふりがな無しでは読めない。子どもの頃は、容赦ない男の子たちから、『はこべえ』とかおじいさんみたいな名前とか言われて笑われた。
それが、まさか、金髪碧眼の男性から英語で名前を呼ばれる日が来るなんて。人生は、何が起こるかわからない。
それはそうと、口づけの後は、みんなどういう顔をするんだろう。
私が戸惑っているのを察してくれたのか、オリオンが立ち上がって、
「タオルありがとうございました。さてと、あとは自然に乾くと思いますので大丈夫です。ホームセンターから止水用のビニールテープを買って来て、今日のうちに水漏れ箇所に巻いておきましょう。もう一度外を確認してきます。ハコベさんも出る準備してくださいね」
と、さりげなく話題を変えて、外に出て行ってくれた。
「わかりました」
家の中も鍵をかけて、確認して、ブレーカーをさげて、荷物を持つ。
玄関の鍵を締めていると、ごく近くにというか、すぐ背後に気配を感じた。
誰かはわかっていても、驚くんですけど。
「ハコベさん、これからはお互い敬語は無しにしませんか? ハコベって呼んでも?」
オリオンが私の耳元で柔らかな声で囁く。
「ど、どうぞどうぞ……」
心臓に甘く刺さる声に、どきどきしながら、小刻みに頷いてしまった。
フッと優しく笑った息が頬にかかって、そのまま今度は頬に口づけられた〜!?
わあァ〜、心臓がもたない!!!
ヘルプっ!!
オタオタして落ち着きのない私の手にあった荷物を、オリオンはすべて持ってくれて、もう片方の手は私の前に差し出された。
手、繋ごう? ってこと?
この短い玄関から門扉までの距離で?
オリオンの澄んだ青い瞳が、また私に訴えかけている?
男性にしては色白だけど、大きくて預けて安心できそうな手が目の前に。半信半疑で私も手を出してみると、しっかりと握られた。やっぱり繋ぎたかったらしい。
オリオンの満足そうな表情が、子どもみたいで笑ってしまった。オリオンの手は、さらっとしていて温かい。それが心地よかった。
私たちは近くのホームセンターへ行ってビニールテープを買って戻ると、水道管にぐるぐると巻きつけてみた。メーターのバルブをあけて水を通して確認する。
結果は、素人では応急処置にもならなかった。水圧が優っているらしく、テープを巻いても水量が少し減ったくらいで水漏れを防ぐことはできず、私たちもそれ以上は何も施すことはできないと判断した。
バルブをしっかり閉めて、部屋の水道の蛇口から水抜きをしっかり行って、家の戸締りをした。
「オリオン、お手間をかけさせてしまってすみません。どこかで食事して帰りませんか? 最後の最後までお手伝いしてもらったので、お礼にご馳走したい、です……」
私が申し出ると、
「やった! ハコベから誘ってもらって嬉しい。お疲れさまの意味もこめて、僕のほうから食事に誘おうと思っていたんだ。心配しないで、僕の分は僕が払うからね。片付けの手伝いは、あなたとずっと一緒だったから嬉しくて楽しかったし」
オリオンから華やいだ笑顔を向けられた。
「ありがとう。でも、お礼がしたい、です……」
ああ、敬語無し、慣れない……。
「そっか、じゃあ……うん。わかった。ハコベは、何が食べたい? それか、行きたいお店ある?」
「な、なにも考えてなくて……ごめんなさい」
「それなら、回転寿司は? 僕、色々選べて食べられる回転寿司好きなんだよね」
「へ? 回るお寿司でいいの?」
そんな庶民的なお店でお礼になる?
「うん、ハコベは苦手?」
「ううん、大好き」
「じゃあ、決まりね!!」
オリオンから、勢いよく手を差し出されたので、また繋ぎたいんだなと思ってそれに応えるように手を添えたら、今度はぐっと引っ張られて、
「ぅあぇ……!?」
私が変な声は、オリオンの胸に吸収された。
うそ、また王子さまのハグ〜!?
「ごめん、大好きって、嬉しすぎて……」
頭の上から悶えるような声。お互い妙にあらい息づかいなのが気恥ずかしいったら。
いえあの、確かにあなたも好きだけど、今、大好きって言ったのは回転寿司のことだったのですよ。
そのあと、オリオンが携帯電話にアプリを登録しているという某回転寿司チェーン店に車で向かった。お寿司のどんなネタが好きとか、どれから食べるとか、最後は何を食べるとか、ずっと回転寿司の話をしているうちにお店に着いてしまった。
いつの間にか予約もしてくれていたようで、すぐにテーブル席につくことができた。向かい合わせに座ると、オリオンがすぐ棚の上のお手拭きや湯呑みを取ってくれた。手を拭いて慣れた手つきで、湯呑みに粉茶とお湯も入れて、どうぞって……。スマート過ぎる。
私は何もすることなく、お茶を一口飲んだだけ。
しかも、オリオンの席側に注文用のタブレットがあった。
「では、ハコベ、最初の注文は……」
「「甘エビ!」」
そう、私たちは、一番好きなネタが同じで回転寿司においては、好みが似かよっていた。お付き合いをはじめたばかりのカップルの親密度が、さらに増す王道パターン。
二人でタブレットを覗き込む。
「サーモンのカルパッチョがあるのは、ここの回転寿司だけなんだよね。僕のおすすめ。ぜったいハコベも気に入ると思うから、注文するね」
「うん、美味しそう! わあ、アボカドサーモンもある」
「ここのはね、載っている玉ねぎが辛くない。けっこう大事」
「そうそう、あまり口に辛さが残らないほうがいいよね」
てな感じであれこれ注文している間に、甘エビが二皿レールに乗って到着!
オリオンが、サッとお皿を取ってくれて、二人の前に甘エビが並んだ。
オリオンが湯呑みを片手に、ビールみたいに乾杯のポーズ!?
やだ、飲み物頼んでなかった〜。オリオンに何か頼んであげればよかったと悔やむ。でも、向かいに座る金色のオリオンは、何をやってもサマになり、全然気にしていない感じだった。
「改めて、お疲れさま。ハコベ」
「オリオンも、お疲れさま。本当にありがとう」
私たちは、まさかの湯呑みで乾杯。回転寿司で労をねぎらう。オリオンがあまりにも優しい人過ぎて、ちょっと目が潤んでしまった。
それを隠すように下を向き、甘エビのお寿司に醤油をつけて口に入れる。エビの尻尾をはずしてから、口の中でそのとろける食感とごはんとわさびと醤油のハーモニーを味わう。
最初から気分はパラダイス!
「甘エビ美味しい! 幸せ」
「うん、美味しい。僕も幸せだよ」
甘エビで幸せだと言ってくれるオリオン。
目が合って、その優しい光に吸い込まれる。
誰かと、というより、好きな人と一緒に食事をするってこんなに幸せで心が満たされるものなのだと教えてくれて……。
ありがとう、オリオン。




