16 マイ・スイート・ステラリア
「大変です、ハコベさん、外の水道管から水漏れです!」
水漏れ!?
古い家だから、あちこちガタがきているのは承知していたけど。ギリギリセーフ? だったかも。片付け中に水やトイレが使えなかったら大変だった。
玄関に行くと、金色の髪から水滴をたらすオリオンがいた。
水をかぶったの? 水も滴るなんとやら……。冬じゃなくてよかった。
それどころじゃないのに、ドキッとしてしまった。
「水漏れはわかりましたけど、待ってて。タオル持って来ます」
「僕は大丈夫です。まず、来てください。家の外壁にはわせてある給水管の継ぎ目がズレて隙間ができたみたいで、そこから水が溢れているんです」
オリオンと共に家の西側に行ってみると、壁に取り付けてある管から、水がジャージャーと溢れて、すでに地面が水浸しになっていた。
オリオンに指摘された剥き出しの細い管が水道管だったんだ。建て替えはせずに無理に増改築を何度も繰り返していたから、おかしなところに給水管があっても驚かない。
これはきっと後から取り付けた縁側にある洗面台のための給水管だと思われる。
「僕が見回ってここまで来たら、急に水が吹き出して来て、見事にかかりました」
「それは、なんというか、バッドタイミングでしたね」
「水道のメーターボックスの場所、わかりますか? バルブを閉めないと水が出っ放しです。気が付かないで帰っていたら、水道料金が恐ろしいことになっていましたね。危なかった」
この家のメーターボックスは、庭の草木が茂る真ん中に埋まっていた。お庭やさんに一度草を刈ってもらっていたから良かったけど、草ボーボーのままだったら捜索が大変だった。
オリオンは蓋を開けると、中のバルブを閉めてくれた。
「とりあえず、これで水は止まりますが……。どうします? 解体工事まで、まだ日数がありますよね。ホームセンターでビニールの止水テープを買って来て応急処置をしておきましょうか?」
オリオンの髪からは水が滴ったままだ。寒い季節ではないにしても、少しは拭かないと。よくみると、服も若干濡れている。
濡れたオリオンのほうが気になって仕方がなかった私は、オリオンの手を掴んでいた。
「っ!? ハコベさん?」
オリオンが戸惑いを含んだような声で、私の名前を呼んだ。
「濡れたままじゃだめです。来てください」
動きがぎこちなくなったオリオンを引っ張って、玄関まで戻る。
彼を玄関の上がりかまちに座らせると、私は荷物の中から、予備に持って来ていたタオルを取り出す。
「これ、使ってください。まずは、濡れた頭を拭いて……」
タオルをオリオンに差し出すけれど、タオル越しに見えたオリオンの澄んだ青い目が、潤んで艶を帯びていて何かを訴えているように感じた。
オリオンは、私を見つめるだけで、手を出そうとしない。
ん? どうしたの?
私の手は魅了の魔法に操られたかのように動き始め、気がつくとオリオンの髪をタオルで拭いていた。
「ありがとうございます。嬉しいです。ハコベさんからお世話を焼いてもらえて、夢みたいです」
オリオンはウットリした様子で目を閉じている。髪や水滴が目に入らないようにそうしているだけではなさそう……。
夢みたいって、大袈裟なことを言われて、私の方が恥ずかしくなる。私の黒髪とは違って、綺麗な金色の髪、しっとりして柔らかい。
このようなシチュエーションに慣れない私はボーッとなって、無意識に力を入れ過ぎてしまったかも。
「ありがとうございます。あとは自分で拭きます」
「はい……」
タオルから離そうとした私の手を、オリオンが優しく握ってきた。
されるがままでいると、
「!?」
自然な仕草でオリオンが私の手を引き寄せ、手の甲に唇を寄せた。
かすかにチュッという音がした。
一瞬目の前で何が起きたのか、脳が理解できなかった。理解が追いつくと、一気に体中の血が沸騰した。
まるで物語の王子さまのような口づけ。
「慣れてくださいね。僕はあなたに触れたくて仕方がない」
金色の蜂蜜のようなとろける笑みに、卒倒しそうになった。
笑顔のオリオンは、王子さまに見えるけど、不思議と親近感があって、なんだかおばあちゃんみたいに安心する。なんて言ったら、気分を害する?
心配していたおばあちゃんの家の片付けが一通り済んで、ホッとして、誰かに甘えたい気持ちになった。私もオリオンに触れたくなってしまって、広い肩に腕をまわしていた。
「ハコベさん、わざと僕に抱きついてます? ここで僕を試してます?」
オリオンの言葉の意味がわからなかった。
「だって、今、こんなことできるのはオリオンだけだし。お母さんもおばあちゃんもいない。お父さんにはちょっとしたくないし」
「……そういうことですか。よく頑張りましたね」
オリオンは、ふっと息を吐くと、ちょうど良い感じに私を抱きとめてくれて、頭や髪とか耳とか、撫でてくれた。
誰かに撫でてもらうのって、こんなに気持ちが良いものだったんだ。
しばらくすると、
「かろうじて、もっと触れたいのを踏みとどまっているんですよ。僕だって無害じゃない。もちろんあなたの嫌がることはしないつもりですけど。毎週毎週一生懸命片付けをするあなたの姿を見ていて、その、触れたくなるのをずっと我慢していました。あなたが大好きです。ハコベさん」
私が異性から告白される、そんな日が来るとは思っていなかった。それも、とびきり素敵な人からなんて。
「わ、私もです。オリオンが好きです!」
オリオンの勢いにつられて、私までハッキリと口に出していた。
「僕にもご褒美をください」
熱のこもったオリオンの唇が、私の頬に触れてきた。
私の火照っている頬とどちらが熱いかと問われれば、いい勝負かもしれない。なんだかまた無性に恥ずかしくなってきて、オリオンの顔がまともに見られない。
「そんな、可愛い顔を……」
強く抱きしめられる。
「僕の愛しいハコベ」
「オリオン……」
私たちは、どちらともなく初めての口づけを交わした。
私が夢に見た幸せそうな恋人同士そのものだった。




