12 お付き合い宣言
長い土曜日だった。
怒涛の展開から数時間。私はオリオンに送ってもらって帰宅していた。
車の中でも、オリオンは絶好調で、
『母に僕たちのこと話したら、喜んでくれると思います。ハコベさんのお父さんやお仏壇のお母さんにもご挨拶させてくださいね。明日来る澪さんにも話していいですか? 明日もハコベさんに会えるから、本当に嬉しいです!』
次々と外堀を埋めようとする。
オリオンが嬉しそうだから、まあ、いいか、って思えたけど。
それから、そう、明日の日曜日もまた予定がある。先日お邪魔したブックカフェ【秘密の本の庭】の店長の奥様の杉本澪さんが、おばあちゃんたちの蔵書を見に来てくれる予定なのだ。
またオリオンと顔を合わせるかと思うと、一気に体が熱くなる。会いたくないわけではなくて、心が落ち着かない。迎えに行きますよって言われたけど、バスに乗りたいからと断った。
そこはあっさり引いてくれて、なんだかホッとした。
本当は口実だったりもする。結婚を前提としたお付き合いって、いったいどんなことをするんだろう。普通のお付き合いとは違うのだろうか。
男性とお付き合いした経験がほとんどないと言っていい私としては、実は戸惑っている。
地元の女子大を卒業して、福祉機器、福祉用具、介護用品の販売やレンタルをしている会社の事務をしているけれど、女性社員中心の会社だし、取引相手も介護関係だから女性が多くて、若い男性と知り合う機会もなく三十歳目前になった。
オリオンには行き遅れじゃないって、息巻いてみたものの、立派な行き遅れだ。
友だちに紹介された男性に会ってみるという経験もしたけれど、独特の匂いのトワレをつけている人で、その匂いがどうも苦手で。二回目会った時に、外でいきなり手を繋がれたのもなんだかついていけなくて、すぐにお断りした。その後は、母の具合が悪くなってそれどころではなくなって、おばあちゃんのことも母の代わりにケアマネさんとやり取りして……。父は母が入院が長かったせいで、ひとりで炊事洗濯、掃除も何でもこなせるようになっていたから、たまにおかず届けるくらいで良くて助かってるけど。最近は、少し物忘れが出てきたのが心配の種。
色々と考えても、まあ、なるようにしかならない。
私は、気持ちを切り替えようと、シャワーの栓をひねって、お湯を出した。
☆
翌日、おばあちゃんの家に着くと、既に門の前でオリオンが約束の時間の前にもかかわらず、待ち構えていて……。
「ハコベさん! こんにちは!」
当然のように、オリオンが金色の髪をキラキラなびかせ、両腕を広げてハグしようとして来た。
私は一歩下がって、両手を前にして身構えた。
「あ、すみません。つい。嬉しすぎて抑えがききませんでしたが、気をつけます」
オリオンが動きを止める。
「あ、いえ、私の方こそ、慣れてなくてすみません。じゃあ、鍵開けますね」
さりげなくオリオンをかわすと、外の門扉の鍵をあけて、わざと力強く端までガンと開く。
ワラジムシがポタポタっと落ちてこないことを確認してから、さっと門をくぐる。
後ろを振り向いて、
「気をつけてくださいね。ワラジムシの落下。いたのは初日だけでしたから、大丈夫だとは思うんですが」
と、オリオンに注意喚起をする。
「ハコベさん、その、忍者のような素早い動き、超可愛いかったです」
オリオンが口を手で抑えて、なんだか悶えている。
「なっっっ!?」
ち、超絶恥ずかしいんですけど!!!
やだっ、もう、知らない!!
無言でオリオンに背を向け、すたすたと玄関まで行き鍵を開けていると、足音が近付いて背後から頭を撫でられた。
「大丈夫。頭にワラジムシはいませんよ」
優しさに甘さを含んだオリオンの声が、脳を刺激する。
うっっ。もう、足から力が抜けて崩れ落ちそう。
早く澪さん来てください!!
澪さまに、私の必死の訴えが届いたようで、車のエンジン音が聞こえて来た。
きっと、澪さんだ!
「み、澪さん、もういらしたんじゃないですか? 私、お湯沸かしてお茶の準備をしますから、オリオンは雨戸と窓を開けて部屋の中に風を通してください!」
「わかりました」
オリオンは素直に返事をして、私から離れてくれた。
私たちは家に入ると、手分けして澪さんを迎える準備をした。
程なくして、
「こんにちは! 杉本でーす! ハコベさん、オリオンくん、いる?」
溌剌とした声が玄関で響いた。
澪さんには、場の空気がクリアになるほどの明るさがある。一緒にいて楽しい気分にさせてくれる素敵な女性だ。
「こんにちは、澪さん。先日はどうも。今日はご足労をおかけしてすみません。来てくださって、ありがとうございます!」
「澪さん、こんにちは」
オリオンと玄関で澪さんを迎える。
「ハコベちゃん! オリオンくん。どうも〜。あら、ふたりとも、この前よりなんだか馴染んでる感じ。距離が近くなったよね?」
え! 鋭い?
「そうなんです。僕たち、お付き合いすることになりまして」
オリオンの大きな手が私の肩に載せられた。
うわっ、か、肩抱き寄せなくても〜! さっそくのお付き合い宣言、恥ずかしいんですけど。
「わー! 良かったね。オリオンくん、ハコベちゃんのこと大好きオーラ出してたもんね。良かった、良かった」
なんと、平田さんといい、澪さんといい、皆さんは気がついていたんだ?
オリオンを見上げると、すぐに嬉しそうな満面の笑みが返ってきた。清々しいほど隠す気なし。
「それにしても、いいわあ、この若干カビっぽい古書の匂いが漂ってくる家。まさにお宝が眠っていそうね〜」
「あ、昨日アンティークの買取業者さんに本棚売却してしまって、本がバラバラに積んであるんです。見にくいかもしれません」
「お気になさらず。物色させていただきますから」
「まずは、お茶でも、いかがですか?」
「ありがたいけど、本のほうを先に見せていただいてもいい?」
「はい。どうぞ、よろしくお願いします」
本の置いてある奥の洋間に案内すると、澪さんは、嬉々として積み上がった本の山に突進していった。