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四度日が沈み、四度日が昇る。
まだ早朝であるからか鳴りを潜める炎天下。
しかし、あと一時間も経てば猛威を振るい始めるだろう。
本日、八月二十四日土曜日。文化祭当日。
校内は祭りに浮足立っていて、どこもかしこも飾り付けられている。
丸二日割かれた準備時間で、足りなかった部分に手を付けていれば、もう開催時間が迫っていた。
鉢巻に法被と、いかにもな格好をした部長が僕らに声を掛ける。
「やあ、二人とも。今日はよろしくね。
定期的に見に来ようとは思うけど、基本二人と先生に丸投げだから。
困ったときは言ってね、どうにかする」
頷いて、彼女にも応援の言葉を返した。
あの教師が頼りになるかどうかは置いておいて、助けを求められる人が居るというのは心強い。
存分に頼らせてもらうことにしよう。
「お昼にはいくつかうちの商品持っていくね」と言い残し、彼女は背を向けた。
部長のクラスは屋台をやっていて、焼き鳥やトルネードポテトなどが売られている。
ソフトドリンクもあるので、今日の昼食が楽しみだった。
「今日は、ほぼここで過ごすことになるが……本当に良かったのか?」
「昨日、きみと散々回ったからね。もう十分だよ」
レジの役割を持つ長机、その側の椅子に腰掛けた僕らは、開催の合図まで昨日の振り返りをする。
八月二十三日、真夏の校舎で始まった文化祭準備二日目。
午前中いっぱいで各出し物の準備が終わると、試験営業が開始された。
どこのクラスも食事やレジャー系の出し物をしているので、試しておかなければ、当日のトラブルの予想が付かないからだ。
その点、美術部は、明日の商品が無くならないよう、展示だけであるので、仕事は顧問が軽く見回るくらい。
そのため、自由である僕たちは、暇を潰そうと校内を回った──のだが、それはもう大変だった。
各場所でそれぞれのクラスの客引きが行われ、他クラスに負けないよう張り合って大声を出す。
その大声に負けないように、また声を張る。
それが何度も繰り返され、どこもかしこも熱狂していたのだ。
ゆっくり回る気分でいた僕らは、その喧騒に気圧され、唯一静かな茶華道部の店に転がり込んだ。
中には同じように外の騒がしさから逃げてきた者、ただ茶を飲みに来た者、煩わしげに茶を点てる茶花道部員が居た。
皆、遠い目をしていたのが印象的だ。
「この学校、運動部員が多いからか、いつも盛り上がり過ぎちゃうんだよね」とは、席を同じくした在校歴六年の教師の言葉である。
そこで抹茶と茶菓子に舌鼓を打ち、束の間の平穏を楽しんだ後、校内図を頼りに、僕らは先輩たちのところへ向かうことにした。
彼ら彼女らはクラスがそれぞれ異なっており、B組、C組、D組、E組、そして、顧問が担任を務めるA組と回る必要がある。
尚、この学校ではAからC組が文系、D、E組が理系であり、先輩たちは文系と理系が半分ずつだ。
同じ部活は、均されるようにクラス分けされるとのことで、皆別のクラスになったのだろう。
コスプレカフェや屋台、演劇、縁日など。
『文化祭』と言えばこれというような出し物ばかりで、奇抜さに驚くことは無い。
けれども、とても前向きに回れていた。
全て回り終わった僕らは、休憩室で一息付いた。
両手には買い込んだものや景品がいっぱい。
今日を満喫したことが見て取れる。
だが、流石にずっと歩き回ったので、疲れてしまった。
背伸びをすると、少女が顔を覗き込む。
「文化祭は、楽しかったかい?」
「そうだなあ……多分、楽しかったんだと思う」
膝の上に載せた、射的の景品を弄り回しながら、僕はそう答えた。
ここまで自分から動いた文化祭は、初めてだ。
中学時代は常に一人であったし、自由ではなかった。
合唱大会やら作品展示やらがメインで、『皆で一丸となること』ばかりが強調されて。
それが悪いというわけではないが、僕にとっては少々窮屈であったのだ。
しかし、今日の文化祭は何かが違う。
出し物が面白いとか、賑やかだからとか、そういうわけではない。
もっと、根本的な何かが違う。
明確な理由は、まだわからなかった。
「また、煮え切らない返事。
もっと自信を持ってくれてもいいんじゃないか?」
「はいはい、楽しかったですよ。
……で、君はどうなんだ? いつも僕だけ言うのは不公平だろ」
頬杖を付いて、僕は彼女にそのまま質問を投げ返した。
反撃されると思っていなかったのか、彼女は間抜けな声を出す。
自分が訊くんだから、訊かれる覚悟と答える意志を持てよ。
答えに困り、黙りこくる少女をそう揶揄って、僕は返事を聞く前に先手を打った。
「良いよ、明日でも。
後夜祭があるだろ? その時に教えてくれ」
「……全く。ずるいな、きみは」
「いつも君がしてくることだ」
もしかしたら、いつも僕に答えを訊くのは、自分の感情が本物か、確かめるためのものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、僕らは試験営業が終わるときまで、休憩室で二人ぼっちの会話を続けていた。
携帯端末の画面を見れば、表示される時刻は九時五十九分。
残り一分足らずで放送が鳴り、文化祭が開始される。
電源を消してポケットにしまうと、僕は少女に釘を刺す。
「今日の夜だからな。忘れるなよ」
「……わかっているさ」
素っ気なく返されたことを意外に思いながらも、相槌を打とうとしたとき、頭上から機械音が聞こえた。
数秒の沈黙の後、「これより、文化祭を開始します」と一報。
瞬間、割れるような歓声が響く。
「……盛り上がってるな」
「昨日より、ね」
冷房が効いていて涼しいはずなのに、身体は少し火照っている。
先の歓声の熱に当てられたからだろうか。
それとも、この文化祭を楽しみにしているからなのだろうか。
自分でも、この熱の意味はよくわからなかった。
間もなく、何人もの客がここを訪れる。
購入する者はそれほど多くはないだろうが、零というわけもないだろう。
ああほら、言ったそばから。
扉ががらりと開けられ、見覚えのない人物が作品を眺めに来る。
大小合わせて数十点、統一感のない斑の世界観。
十人十色も過ぎる美術部の展覧会に、また一人と誘われる。
僕らは客を邪魔しない。
あくまで求められれば動くだけだ。
彼、もしくは彼女がその作品に魅入られ、これが欲しいというまで、ただひっそりここで見守る。
「なあ、今日は楽しくなりそうか?」
「……さあ、どうだろうね」
自分の作品が見られているという緊張感からか、彼女の返事は硬い。
しかし、その言葉の節々には少しばかりの期待が滲んでいる。
そんな彼女の様子に、僕は僅かばかり微笑んだ。