君への手紙
拝啓
心地良い風が桜と春の匂いを運ぶ今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、先日でお別れから十二年が経過いたしました。
世の中も目まぐるしく変わり、付いていくのもやっとというところです。
そんな私の姿を見て、貴方は笑うのでしょうか。
いえ、笑いますね。確実に。
インターネットの使い方もようやく慣れたと言えるようになり、ついに個展の開催もさせていただきました。
そこで、前回の報告の通り、貴方の作品も『ユイ』の作品として出しました。
散々悩んだ末の決断ですので、どうかお許しください。
これでやっと、貴方の隣に立てたのでしょうか。
今まで、ずっと貴方の背中を追ってきました。
貴方が歩んでいたであろう道を、歩んできました。
『ユイ』として、貴方と一心同体の存在として、今日ここまで生きてきました。
長年の目標を達成したからこその喪失感、とでも言えばいいのでしょうか。
少し前まで、私はこれから先の目標を見失っていました。
十年来の悲願でありましたし、何より、それが一番、貴方の名を遺すことに繋がるからだと思っていたからです。
そして、それを達成してしまった今、これから先、何をすればいいのかが、わからなくなってしまいました。
我武者羅に描いて、描いて、描き続けて、ここまで辿り着いて。
そうまでしても、まだ終わりが見えなかったこと。
けれど、確かに終わってしまったこと。
それに、私は少しだけ、絶望してしまったのです。
まだ、貴方の居る場所にはいけないのだ、と。
そこで、『ユイ』の個展を見に行こうとしたのは、本当に単なる思い付きでした。
覆面作家であるからこそ、正体の露呈は絶対にあってはならないことです。
けれど、いつの間にか足は会場へ向かっていました。
会場に入る扉の前、チケットの提示を求められたとき、私はそこでやっと、自分が何をしようとしているのかを自覚し、恥じて。
一瞬、考えて。
そして、ここまで来たからにはただでは帰れないと、腹を決めることにしたのです。
今思えば、あの時の私は『ユイ』ではなく、『千明結』という一人の人間として、『ユイ』の作品を見に行きたかったのかもしれません。
貴方が紡いだ魔法を、間近で見るために。
また、そこでとある女の子と出会いました。
その子が見ていたのは、貴方の遺作です。
初めは見惚れているだけかと思っていたのですが、どうやら、それの異質さを感じ取って、戸惑ってしまったようでした。
あれがそう思われることも想定の範囲内でしたし、そう思う人が出ることだってわかっていました。
だから、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎようと思ったのですが、いてもたってもいられず、私はその子に声を掛けてしまいました。
それを見て、何を思ったか。
聞かずにはいられなかったのです。
だって、貴方の遺作なのですよ。
そこから先の作品は、『ユイ』の作品ではあっても、『一色唯』の作品ではありません。
もし、その子が『ユイ』と『唯』の差を、いいえ、『唯』と『結』の差を理解できたならば。
私は、そこで筆を折ってしまおう。
悩んでいたこともあり、丁度良い機会と思ったのです。
しかし、結果はそうなりませんでした。
彼女の答えは、私を、『ユイ』を肯定するものだったからです。
違いがわからなかったわけではないと思います。
わかった上で、それもまた『ユイ』なのだ、と受け入れてくれたのだと。
都合の良い解釈ですが、私はそう思うことにしました。
正直、励まされてしまったので、そう思いたかったのです。
出会ったのが心優しい子で良かったです。
父親に似ず、母親に似たようですね。
なんて言えば、怒られてしまうでしょうか。
まあ、気付いたのは声を掛け終わった後のことなのですけれど。
貴方の従妹は、順調に成長しています。
歳を重ねるに連れ、貴方に似始めたなとも。
そろそろ、彼女も十歳の誕生日を迎え、本格的に絵を習い始めることにしたそうです。
白羽の矢が立ったのは、私でした。
こんな私が、と初めは思いましたが、新たな挑戦と思えば、少しは前向きになれました。
恩返し、というのもありますね。
明日から授業が始まります。
と、言っても夕方から夜に掛けての二時間ほどですが。
彼女の身になるような教えができるよう、頑張ろうと思います。
もちろん、学芸員としての仕事も熟しますよ。
『ユイ』の活動も、です。
次に手紙を出すのは、お盆の頃になります。
彼女の成長報告もそのときにしますよ。
楽しみにしていてください。
くれぐれも、あちらで体調を崩さないように。
健康で、元気で居てください。
敬具
平成二十二年三月三日
千明 結
一色 唯様
〖鯨の歌、君の色彩〗をご覧下さり、ありがとうございました。
元々、同人誌として発行予定のものでしたが、色々と不備が重なり、短編のみを発行したため、本編をこちらで掲載した所存です。
その短編自体は……そのうち、投稿する日が来るかもしれません。
するとしたら、別口での投稿になると思います。
シリーズではまとめておきますので、いつか機会がありましたらそちらもよろしくお願いします。
さて、この作品のテーマですが、『不思議美少女に人生を変えられた男が書きたい。あと死ネタ』という、雑過ぎる発想から生まれたので、そう高尚なものがあるわけではございません。
強いて言うならば、『死とは何か』になるでしょうか。
持論ですが、創作者から『創る力』を奪うことというのは、殺人と何ら変わりないことだと思っております。
だからこそ、唯が『芸術家』ではなく、『人間』として死ねたのは、ある意味幸せだったのではないでしょうか。
あの夏の日、もし、彼が居なければ。
彼女は、あそこで『終わっていた』はずですから。
そして、あの世界に『ユイ』が存在する限り、彼女はあの世界で生き続けます。
死してなお、生き続ける。
唯一にして普遍の魔法使いという、矛盾存在の彼女には、ぴったりの『生き方』かもしれませんね。
最後に出てきた彼女については、はい。
すみません、これ以上話すことは無いです。
機会があれば、本格的に彼女が出てくる作品を書くことがあると思います。
同シリーズの短編に少しだけ出ていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。
章タイトルについては、ジョージ・クラム氏作曲の『鯨の声』から引用させていただいております。
クラシックってこんなのもあるんだな、と驚きました。
とてもいい曲です。
舞台設定については、東北の片田舎以上の設定は特にありません。
夏に文化祭だったり、文化祭の前(大体春から初夏頃)に運動会があったりするのはそういうことです。
多分内陸だと思います。
海があったら、【海のノクターン】は書けないので。
『なんで東北?』と聞かれますと、本来出すはずのイベント会場が東北だったからです。
あと、がっつり地元で想像しやすいからです。
田舎民は都会がわからない。
本編中には書ききれなかったエピソードがいくつかあるのですが、細か過ぎて伝わらなそう、かつ時間が足らなかったのでチラシの裏で済ませておきます。
要望があれば書くかもしれません。
長くなりましたが、これにて〖鯨の歌、君の色彩〗を完結とさせていただきます。
感想、評価等いただけますと、とても励みになります。
また、もしよろしければ、普段連載しているこちらの作品もご一読お願いします。
https://ncode.syosetu.com/n3138id/
重ねて、ご覧下さりありがとうございました。
またお会いできることがありましたら、その時はよろしくお願いいたします。
令和六年十月一日 四月朔日燈里




