オンリー・ワン/リスタート
某日某所。
あるビルの一室で、とある人物の個展が開かれていた。
その人物は、所謂『覆面作家』であり、性別、年齢、経歴は全くの不明。
SNSに挙げられる作品と、ペンネームだけが彼、または彼女の存在を示していた。
個展のタイトルは、『オンリー・ワン・カラー』。
意味は、『唯一の色』。
これに対する考察がいくつもネット上で挙げられたが、作者本人が反応することはなかった。
今日、三月一日から始まるこの個展は、完全予約制であり、もう全ての予約が埋まっているという。
わたしが予約できたのも本当に奇跡のようなものだった。
「……すごい、緊張する。本当にわたしが行っていいのかな……」
一介の女子小学生がおいそれと行けるような雰囲気ではないことが、ひしひしと伝わってくる。
しかし、この奇跡のようなチャンスを逃すわけにはいかない。
精一杯おめかしした服の裾を握り、わたしは会場に足を踏み込んだ。
瞬間、無意識に感嘆の声が漏れる。
普段、画面越しにしか見れない、幻想の景色が広がっていたからだ。
碧を基調した色彩により、空間全体が海のようにも、空のようにも見える。
無論、それだけではないのだが。
しかし、一番に目に入るのは碧なのだ。
鮮やかで、けれど穏やかで。
無表情なように見えて、表情豊か。
度肝を抜くような奇抜さはないというのに、唯一無二であり続ける。
それこそが、『ユイ』の作品。
覆面作家、ユイの作品なのだ。
ふと、わたしはとある絵の前で足を止めた。
七つの連作のうち、一つ。
星座をモチーフにしているものの最後の一枚。
他とは毛色の違うその絵から、わたしは目を話せなかった。
「……何か、気になることでもあったかな」
突如、背後から掛けられた声に驚いて、大きな声を出してしまう。
周りの視線が一斉に集まったことに気が付くと、真っ赤になりながら、縮こまった。
「……ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「……いえ、わたしが勝手に驚いただけなので。
えっと、何か御用ですか……?」
おずおずと、わたしは声を掛けた主を見上げた。
二十代中盤くらいの、若い男の人。
何だか存在感が薄くて、気を付けていないと見失ってしまいそうだった。
「その絵を見て、困っていそうだったから。
……何か、力になれるかなって」
「あ……そうなんですね。
わたし、結構ファン歴長いと思ってたんですけど、こんな作品見たことなかったので、びっくりしちゃって……」
わたしの『ユイ』ファン歴は、それはもう長い。
フォロワーが一桁代だった七年前からなのだから、最古参と言ってもいいだろう。
今思うと、三歳児が勝手にパソコンを使って作品を見ていたのは、少々異端過ぎる。
その時の記憶は殆ど無いけれど、両親にはとても迷惑を掛けていたはずだ。
そんなこんなで、大体の作品の題名と、発表された年代すらも言えるわたしだが、この作品は見たことはない。
『この連作は』ではなく、『この作品だけ』見たことがなかったのだ。
これらの掲載は去年の十一月から二月まで、一ヶ月に二枚ペースで行われ、計六枚の連作とされていた。
しかし、現実はどうだ。
本当は、この最後の一枚も含め、計七枚の連作だったのだ。
何故、『ユイ』はこれを発表していなかったのか。
それとも、わたしが見逃していただけなのか。
その答えが出ないから、立ち止まってしまっていた。
「……なるほど。僕も、これを見るのは初めてだ。
だから、君の記憶には間違いはないよ」
「ですよね! 未発表の作品ですよね!」
青年と意見が一致したことで、自分の見逃しではなかったことに胸を撫で下ろす。
次に疑問になるのは、何故これを発表していなかったのだろうということだ。
いや、寧ろ『何故これを発表したのか』の方が適切かもしれない。
だって、この絵は──。
「どこからどう見ても、未完成……ですよね」
「……そうだね」
『描いた』わけではなく、『色を塗った』だけ。
塗り絵とも言えない、中途半端な絵。
それが、このくじら座の絵だった。
「『没』になったのなら、ここで見せる意味はないと思います。
連作は六枚だけでも成り立つんですから。
そう思ったから、SNSでは六枚だけを公開していた」
「……なら君は、どうして『ユイ』が七枚目をここで公開したんだと思う?」
屈んで、わたしと視線を合わせた彼が、そう訊いた。
どうやら、彼の中では既に答えが出ているようだ。
「……そう、ですね。わたしの個人的な感想になるんですけど。
『ユイ』は、多分、描きたくても描けなかったんだと思います。
言い方は悪いんですけど……志半ばで死んじゃったみたいな、手を出せなくなってしまった状態なんじゃないかなって」
「……それなら、別に見せなくてもいいんじゃない?
未完成な作品なんて、格好悪いでしょ」
わたしは首を振る。
彼は心からそう思っていないとわかっていても、その言葉を否定しなければ気が済まなかった。
「いいえ。
『ユイ』の中では、この作品はこれで完成しているんです。
無理矢理にでも完成させることは、いくらでもできます。
でも、『ユイ』はそうしなかった。
後から手を加えることを許さなかった」
「……それは、どうして?」
その質問に、わたしは自信を持って答える。
「あの人は、『思い出』を、その一瞬一瞬の時間を大切にしているんです。
だから、思い出を後から捻じ曲げることはしない。
そのとき描けなくなった思い出ごと、その作品にする」
──『ユイ』は、そういう人なんです。
ずっと作品を遡っていくと、わたしはある事実に気が付いた。
『ユイ』は、絶対に同じ作品を挙げない。
一度挙げれば、そこで終わりなのだ。
それはまるで、一期一会の人生のように。
同じものが、二つと無いように。
『ユイ』は、『オンリー・ワン』であるのだ。
だからこそ、わたしは『ユイ』に惚れたのだけれど。
「……そうか、ありがとう。でも、ごめんね。
僕が教えるつもりだったのに、逆に教えられちゃった」
「いえいえ! わたしこそ、ごめんなさい。
変な話聞かせてしまって……」
「いや、いい話を聞けたよ。
君みたいな人に会えるなら、来てみるものだね。
今日は本当にありがとう。
またいつか、どこかで」
そう言い残して、不思議な青年はわたしの前を去った。
「……何だったんだろう、あの人」
その後、約一時間くらいだろうか。
個展を満喫したわたしは、帰りにクレープを食べながら帰路に就いた。
春には、苺のお菓子が沢山世に出てくる。
好物が苺のわたしにとっては、天国のような時期なのだ。
夕方、母とともに夕飯の用意をしていると、玄関の扉が開いた。
「おかえりなさい、おとうさん!」
「ただいま。……個展、どうだった?」
「とっても楽しかった! もう忘れられないかも!」
玄関まで迎えに行ったわたしは、父に今日の出来事について語った。
父は高校の美術教師だからか、『ユイ』のこともよく知っていた。
母はその辺に疎いため、語れるのは父くらいなのだ。
これが素敵だったとか、これが最高だったとか。
個展で買ったポストカードなどを見せながら。
そして、出会った変な人についても。
「えっとね、二十代くらいの男の人なんだけど……」
「ごめん、電話だ。ちょっと待て」
突然鳴った父のスマートフォンの画面には、『千明』という名が表示されていた。
「ねえ、おかあさん。『千明』さんって、おとうさんの知り合い?」
「ええ、そうよ。昔の教え子なんですって」
「ふうん。わたし、会ったことある?」
「……昔、一回だけあるかもね。
小さかったから、覚えていないでしょうけど」
記憶を辿っても、それらしき人の顔は思い出せない。
電話をしている父は、しきりに彼、もしくは彼女に対して謝っていた。
何やら不手際があったようだ。
「……そういえば、絵画教室の話ってどうなったの?」
「お父さんに聞いてみなさい。
きっと、良い結果が待っているわ」
母の言葉に跳び起きたわたしは、やっと電話が終わったらしい父の背中に飛び付いて、件の話をする。
「ねえ、決まったの? 絵画教室の先生のお話!」
「ああ、お前だけの先生だぞ。良かったな!」
「やったあ!」
喜ぶわたしを持ち上げる父。
ずっと心待ちにしていた先生は、どうやら先の電話の主なのだという。
「良かったわね、彩」
「うん!」
その先生の名前は、千明結。
私が、父と母の言葉の本当の意味を知ることになるのは、一週間後のことだった。
Answeringルート
1998年
↓
2010年
◇千明結
高校一年生→学芸員兼芸術家。
唯との出会いで人生が変わった。
美大に進学し、現在は美術館の学芸員をしている。
基本影も自我も薄いが、美術関係になると活き活きする。
これから先、彼女以外のパートナーは存在しない。
◇一色唯
高校一年生。
不幸で、だけれど幸福だった。
病弱だが、芯は強い。
自然全般、中でも海のことが好き。
結に多大な影響を与えた。
◇叔父(美術教師)
結の母の弟であり、彩の父。
高校時代からの彼女と結婚して、家庭を持った。
時代関係なく普通に尻に敷かれている。
娘に姪の面影を感じ、血は争えないと思っている。
◇叔父の妻
彩の母。強い。
キャリアウーマンだが家庭を大事にするタイプ。
家事もバリバリできる。
◇先輩方
自由人。
卒業後も交流がある模様。
◇中年男性
どこかの大学の講師で、叔父の恩師。
◇同乗した青年
美大学生。
どこかの大学講師の息子。
父の頼みと趣味で、資料を撮りに来ていた。
◇彩
名字は菱科。
幼馴染にとても歌が上手い子がいるらしい。
趣味は絵を描くこと、見ること。




