What's your name?
入学式から早二週間。
友達を作れなかった僕は、今日も今日とて部活動勧誘から逃れるため、本来立入禁止のはずの屋上に侵入し、暇を潰していた。
ここは勧誘に熱心な先輩が来ないことは勿論、教師も禁止された場所をわざわざ見回ることもない。
加えて、春の心地良い陽射しが差し込み、暖かな風が吹くこの場所は、絶好のさぼり場なのだ。
さて、ここで一つ、誰もが疑問に思う点があるだろう。どうやって、鍵の掛かっているここに入り込んだのかという点だ。
実のところ、僕も最初からここに侵入していたわけじゃない。
初め、屋上に向かう扉には南京錠が掛けられていた。よくある、ダイヤル式のあれだ。
そう、ダイヤル式の。
ここで、ぴんと来る人は来るだろう。
ダイヤル式の南京錠というのは、ある程度の技術がある者にとっては、簡単に解錠できるものだ。
なんてったって、つるを引っ張りながら、ダイヤルを下の段から一つずつ回していくだけでいいのだから。
多少技術は要るが、覚えてしまえばどうということはない。
そんなこんなで、僕は鍵を外し、悠々自適な『ぼっち』生活を満喫していたというわけだ。
「つまり、きみは友達が居なくて、どこにも居る場所がないからここに居る、ということか」
「……真実っていうのは、時に人を傷つけるんだぞ」
ぽんと手を叩く少女。
何で初対面の人間にこんな悲しい話をしなければならないのか。
全く、わけがわからない。
涙が出そうだ。まあ、泣けないのだが。
項垂れる僕に、彼女は肩を竦めて言う。
「すまない、許してくれ。
笑わなかったことに面して、ね」
「笑わなかったことは認めるが、それとこれは話が別だ。
顔に書いてあるぞ、『暇を潰すなら、図書館にでもいけば良いのに』ってな」
「……何故わかる」
「逆にわからないと思うのか?」
彼女の思うことは最もだ。
友達がいないところで、一人で過ごすなら屋上を選ぶ意味なんて、さほど無い。
ここは景色の良さと、空気の心地良さ以外何もない。
過ごしやすさならば、そこいらにある若者に人気のカフェの方がまだましだ。
ただ暇を潰すなら、図書館にでも行けば良い。
本も沢山あれば、楽な姿勢で過ごせるところもあるのだから。
その主張は、痛いほどわかる。
それでも僕は、ここを選んだ。
ここじゃなければ、駄目だったのだ。
その理由を説明するために、僕は彼女に問う。
「なあ、図書館ってどんなところだと思う?」
「……本がある」
「それは当たり前のことだ。もっと考えてみろ」
投げやりな言葉にむっとしたようだが、堪えて考え直す少女。
この様子ならば、答えに辿り着くまで、時間はそれほど要らないだろう。
雲が流れる碧い空を眺めていれば、視界の端で黒髪が揺れた。
「いつでも、人が居る……?」
「正解。よくお分かりで」
案外、早かったな。なんて、彼女を舐め過ぎていたのかもしれない。
どこにあるどんな図書館でも、人は居るものだ。
学校帰りの学生、老後を過ごす年寄り、勤務中の司書。
どの時間になっても、人が居る。
僕が図書館に行かないのは、それが理由だった。
「きみにとって、人が居ることは悪いことなのかい?」
「ああ、面倒臭いからな。
こっちは好きで一人で居るんだ。
その時間を邪魔されて溜まるかっての」
確かに、小さい頃は訪れていたのだが、時間が経つに連れ、いつも一人で居ることが心配されるようになってからは、疎遠となっている。
別に一人で居てもいいだろう、個人の好みなんだから。
言外にお前もそうだぞ、と忠告する。
しかし、彼女は気にする素振りを見せなかった。
寧ろ、自信満々に胸を張る。
そして、唐突に馬鹿げたことを言い出すのだった。
「なら、わたしに良い考えがある! 付いてきてくれ!」
「……は?」
学校指定の群青色のカーディガンを引っ張って、少女はずんずん進んでいく。
その勢いに付いて行けず、僕は手を振り払った。
「待て、説明しろ! いったい、どういうことだ!」
「『百聞は一見にに如かず』。
言葉で言うより、見た方が早い。そうだろう?」
「それでも説明するのが筋ってもんだよ!」
びしりと指を突き出せば、仕方がないと手を上げた。
いや、仕方がないではないだろう。
当然のことだが。
「きみは、一人で居たい。
一人で居ることが気にされない空間が欲しい」
「……ああ」
「けれど、この屋上。
侵入していることがばれてしまえば、きみは酷く叱られてしまうはずだ」
「そんなもん承知の上だ。じゃなきゃ、ここに居ない」
再三言うが、ここは立入禁止区域。
老朽化と安全のため、本来は施錠された空間だ。
そこに入り込んでいることが判明すれば、大目玉どころではないだろう。
最悪、停学処分だ。
しかし、それでもここは魅力的なのだ。
ここは誰も居ない、誰も心配しない。僕のことを見ない。
そんな場所が、ここ以外にあるわけ──。
「では、わたしがここに代わる安寧の地を提供しよう!」
一際強い風が吹く。
それは、僕に響いた衝撃の強さを表すようであった。
変に締まった喉が、震える声を何とか絞り出す。
「……そんな場所、あるわけ無いだろ」
「いいや、あるさ。わたしを信じてくれ」
長い前髪の隙間から、夜空のような瞳が僕を覗く。
「約束しよう。
わたしは魔法使いだからね。
きみの望みを叶える魔法ぐらい、簡単に使えるのさ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
食い気味に、彼女はそう返した。
真っ直ぐな意志が灯ったその瞳から、僕は目が離せない。
もしかしたら──なんて、幻想が脳裏を過ぎる。
駄目だ、駄目なんだ。
いつもそうやって信じて、失敗するくせに。
細く白い指が、薄い掌が差し出された。
「さあ、行こう!」
わかっている。人は信じられないものだ。
期待しても、絶対に裏切るものだ。
だって、今までずっとそうだった。
だから、これからも変わらないはずなんだ。
わかっている、わかっているはずなのに──僕はその手を取ってしまった。
信じてしまった。
愚かな僕は、彼女に賭けてしまったのだ。
「ああ、もう! どうにでもなれ!」
──君なら、僕を救ってくれるのか。
死ぬことより難しい、『救い』。
夜空に差した一縷の星の輝きに縋ってしまう僕は、きっとこの世で一番の愚者なのだろう。
「そういえば、きみの名前は?」
「今聞くことか? まあ、いいけど。
僕の名前は──」
叫ぶように教えれば、弾けるように君が笑う。
「奇遇だね、私は──」
歪んだ想いを胸に隠し、僕は彼女と手を繋ぐ。
晴れ晴れとした四月の碧空は、新たな出会いを祝福しているようであった。